ネ@京都鉄道博物館

非自動@京都鉄道博物館のつづき)

つづいて、館内で展示されている「寝台車」関係展示も見て回りました。
入館してすぐのプロムナードにあるマロネフ59は、落成当初は1・2等合造車マイロネフ37で、1955(昭和30)年に従前の1等車が一部を除いて2等車へ格下げになったため「イ」が取れたものです。

交通科学博物館時代には自由に中に入れた時期もあったのですがいつからか完全クローズになり、京都に移設後は特別公開日にのみ内部見学可となりました。
まぁかつての皇室・貴賓客用車ですから無制限に立ち入られるのは運営上あまりよろしくないですな。

向かいのモハ80の主張が強すぎて中がよく見えません

隣のトワイライトプラザにはA寝台車オロネ24 4が置かれています。なんと今日は車内見学ができるそうです。

このオロネ24 4は新製配置の向日町から青森に移り、「日本海」や「あけぼの」に使われたのち2013(平成25)年廃車となりました。

通路を挟んで両側に寝台が並ぶプルマンタイプの開放型2段式A寝台車で、窓は下段が占領する構造なので上段用の細長い覗き窓があるのが特徴です。

スタッフから簡単な説明と注意事項を聞いた後、車内へと進みます。

入ってすぐのところにある1ボックスは寝台ではなく「喫煙席」で、タバコを吸いたい人はこちらで、という趣旨の席です。
列車内でタバコというのは今となっては信じ難いハナシですが、唯一「サンライズ出雲・瀬戸」の一部個室は現在も喫煙可のまま残されています。

この席だけは着席可能なので座ってみました。シート自体は上質なソファーの感じで、ゆったりと座ることができます。
喫煙席とはいえオープンスペースなので副流煙が通路に流れまくりですね。

そしてずらりと並ぶ寝台が壮観な室内へ。カーペット敷きの通路が高級感を演出しています。

昼間時の下段は向かい合わせの座席となっていて、座面を前に引き出すと同時に背ズリも降りてフラットとなり、ベッドの体裁がととのいます。

展開後はこんな感じで、この上にマットレスと敷布を敷いてベッドとします。座席時のヘッドレストを跳ね上げると下から寝台灯が現れるとともに、ちょっとした棚となって小物が置けるようになっていました。
下段寝台は幅101cm、長さ193cm、高さ113cm。通路側もがっちりガードされているので、いくら寝相の悪い人が寝返りしても落ちることは稀でしょう(笑

掛け毛布と思われる寝具。もちろん営業時にはちゃんと寝られるようにベッドメイキングされているのでこのまま置かれているわけではありませんが・・・

座席時に跳ね上げてある上段ベッドを降ろすとこのような形に。マットレスが置いてあります。
寝台幅と長さは下段と同じですが、天井が車両形状に沿っていて高さが最大92cmしかなく、そのため寝台料金は下段10,500円、上段9,540円(2011年時点)とビミヨな差がつけられていました。
上段への出入りは付属のハシゴで昇降します。

上段にも下段と同じく寝台灯が設置されています。押しボタンが2つあり、赤ボタンを押すと内蔵の蛍光灯が点灯し白ボタンで消灯します。
その右側が覗き窓で、シャッターを右へスライドすると外が見えます。覗き窓の上には簡易な鏡もついています。

ベッドと外部との仕切りは1枚のカーテンのみで、夜中は通路の両側がびっしりカーテンだらけになります。

車両入口に戻ってきました。寝台室と喫煙席の間に「更衣室」があります。

よんかくは開放型A寝台の乗車経験が1回しかなく当時は気づかなかったのですが、喫煙席の横に1平米未満の狭さながらも更衣室が1室設置されていました。この日は開放されていませんでしたが、中は衣料品店の試着室のような感じだったそうです。

開放型A寝台は上下段とも1万円前後の料金を取るにもかかわらず占有スペースはベッドのみ、カーテン1枚の貧弱なセキュリティ、上段はハシゴで昇降、洗面とトイレは共用…と、この設備にしてこの価格でも利用者がいたのは夜行列車が繁栄していた時代ならばこそ、でした。
何事もコスパ・タイパと喧しい今の世の中なら全く選択肢に入らないでしょう。

さて、一部の寝台列車では寝台の座席利用(ヒルネ)が行われていました。B寝台や開放型A寝台をセットする前あるいは解体した後の寝台を座席として利用する制度で、B寝台車なら指定席特急料金または立席特急料金で乗ることができたのですが、A寝台車のヒルネにはグリーン料金も必要でした(ヒルネについてはこちらにもちょこっと書いています)。
しかし、この向かい合わせの非リクライニング座席にグリーン料金が払えますかと訊かれると・・・

上下段で1ボックスなので1座席を1人で占有できるのですが、寝台解体後は荷物の置き場がないので座席に置くことになり、荷物の多い人はゆったり座ってられませんな。相席ブロッカーならそれでも喜ぶかも

B寝台が3段式しかなかった時代はそれなりに優位性を保っていた開放型A寝台でしたが、2段式B寝台車24系25形が登場すると大きな違いは寝台幅(2段式B寝台は70cm)だけとなり、2段式B寝台料金6,300円(2011年時点)との価格差ほどの居住性の違いがなくなったことで、2段式B寝台の列車には個室A寝台が連結されたりA寝台自体連結されない列車が続出しました。
そんな中にあって、オロネ24 4が最後に就役していた「日本海」、それと東海道を駆け抜けた伝統の寝台急行「銀河」はA寝台とB寝台の両方とも2段式という稀有な列車でした。そんな中でA寝台利用者がどれだけいたのかわかりませんが、最後までA寝台が連結されていたということは一定の需要はあったのでしょう。

なんか悪口ばかりになってしまいましたが、それでもA寝台というステータスは何物にも代え難いものがあったことは事実で、居住性よりも「A寝台に乗ってるんダゼ」という優越感をお金で買っているような、そんな色合いもあったのではないかと愚考しています。

次は本館屋内展示の「月光型」581系寝台電車。これはよんかくも結構乗りました。
この系列は寝台車とグリーン車、食堂車が作られ、寝台は開放型A寝台と同じくプルマンタイプの3段式B寝台でした。

窓は下段が独占しているので、中段・上段の覗き窓があります。

この車は車内を公開していないので、窓から中を覗くだけです。
A寝台と同様の座席配置とシートで、下段は座面と背ズリを引き出してベッドとし、中段と上段はそれぞれ上に跳ね上げてあるベッドを降ろして使用します。この写真の左端に、下ろされた中段と上段がわずかに写っています。

電車3段式B寝台は下段の幅が106cmとA寝台をも凌ぐ広さで、中・上段は幅70cm。ただし、高さは各段とも70cm前後と寝台に腰掛けることも困難で、仰向けに寝ると棺桶に入っているような圧迫感がありました。寝台料金も差がつけられ、中・上段は5,250円に対し下段は6,300円(2011年時点)。やはり下段から先に売れていったようです。
同系列の583系とともに北は青森から南は西鹿児島(現・鹿児島中央)まで、夜行の寝台特急と昼行の座席特急の両面で八面六臂の活躍でしたが、大阪-新潟間急行「きたぐに」を最後に定期運用から外れました。581系化以前から「きたぐに」にはA寝台の需要もあったので、B寝台車の1両を2段式に改造した開放型A寝台車サロネ581も登場。「きたぐに」はA寝台車、B寝台車、グリーン車、普通車自由席という編成のいかにも夜汽車といった風情の列車でした。

最後は本館2階、これは車両ではないんですが・・・
客車3段式B寝台のモックアップです。

高さは上段84cmで中・下段は70cm台、寝台幅わずか52cm。
長さは190cmありましたが、ちょっと背の高い人ならアタマと足がつっかえてしまうでしょう。

ロングシートの座面とほぼ変わらないぐらいの幅の狭さ。
現代人の体格では、このベッドで横になるならまだフツーの座席で座ってる方がマシかもしれませんね。

これを見ると、開放型A寝台の居住性がいかに優れていたかがとてもよくわかります。←えげつない手のひら返し

今となっては全室個室の「サンライズ出雲・瀬戸」と一部のクルーズトレインしか寝台車と言えるものがなくなってしまったわけですが、つい数十年前までこういう「ベッド付き車両」が全国各地を走っていたことは、オールドファンとしては忘れることができません。

寝台車に関しては当ブログの「ネ」シリーズもご覧ください。
ネ part1 part2 part3 part4 part5