ネ part2

今回は急行列車の寝台車についていくつか。

よんかくのおそらく初の寝台車体験はこの「銀河」でした。
中学生の頃、親父の仕事の関係先に同行した時のもので、普通なら新幹線で行くところをたぶん私がゴネて銀河に変えてもらったものと思います(笑
この時は20系客車による編成で、ハネは52cm幅の3段式。非鉄な親父は「狭いし臭いし寝られへんかったわ」などと文句を垂れていましたが、私は逆に「嬉しすぎて寝られへんかったわ」でした。

N型端末の発券で文字はタイプ打ち、「領収額」欄下にはN型から新たに導入された予約自動取消装置の読み取り用取消符号が印字されています。自動取消装置にキャンセル指定券を挿入すると、取消符号を光学的に読み取って取消情報が中央装置へ送信されるという、国鉄が磁気乗車券を導入する以前の当時としては画期的なシステムでした。

それから約10年後、東京出張の帰りに利用しました。
復路は「ひかり」(当時は「のぞみ」登場前)で取っていましたが、ふと「銀河」に乗りたくなって急遽変更したものです。新橋で呑んだくれて新幹線に乗り遅れたわけではありません
当時の「銀河」のハネは24系の2段式で、「ひかり」の特急料金が5,140円のところ2,000円ちょっと持ち出すだけで2段ハネで横になって移動できるということもあってか、固定客も多かったようです。
東阪間の夜行バスがドリーム号+αぐらいしかなかった時代の話です。

ハネで用意されていた備品はこんな感じです。写真は「あかつき」ソロのもので、2段式ハネでも同様のものが備えてありました。
枕、浴衣、ベッド用シーツ、掛け布団、ハンガー。寝るときにはベッド(兼座席)に自分でシーツを敷きます。浴衣はかつてロネにしか備え付けられていませんでしたが、いつの頃からかハネにも置かれるようになりました。
宿泊施設や病院などと同じく、国鉄・JR内でもこれらの寝具類を「リネン」と総称しています。

浴衣の柄は「工」の連続体で、かつて鉄道を所管していた工部省の工とレールの断面形状から、国鉄伝統のシンボルマークとして使用されてきたものです。
布団は厚手の毛布を2つ折りのシーツで挟んだだけもので、寝相が悪ければ毛布とシーツが分離してしまいます。
ハンガーは、天井の高い2段式ハネであっても服を掛ければ縦長さが不足で、服の下部3分の1程度はどうしても布団の上に乗っかかります。
このほか、寝台下にはスリッパがありました。昔は「天鉄リネン」などと書かれた使い回しの備品でしたが、のちに使い捨てのものに変わったと記憶しています。

ところで、当時でも5,000円台でまずまずのビジネスホテルに泊まれたのに、ベッド幅70cmで風呂は無しトイレは共用、カーテン1枚だけの貧弱なセキュリティ、イビキのうるさいおっさんと乗り合わせたら睡眠不足確定…という2段式ハネの6,180円という金額はどうなんでしょうか。
確かに、座席車に比べて定員が少ないうえ、深夜運転にかかる費用、寝台設備の維持管理や備品にかかる費用、そして寝台車自体の製造費用を積み上げて採算ラインに載せようとすれば、そのぐらいになるのはやむなしなのかなとは思います。

それでも、トータルで見れば新幹線や航空機利用でホテルに前泊・後泊するよりも寝台列車利用のほうが安上がりでしたし、寝ている間に移動して翌朝一番から行動できるメリットも大きかったのですが、それさえも夜行バスの台頭によって寝台列車の優位性は瞬く間にかき消されてしまいました。もはや、夜行での移動手段の第一選択基準は「価格」であり、「寝台で横になる快適さ」は考慮されない時代になっていたのでしょう。
ただ、速さをあまり要求されない寝台列車なので、特急料金や急行料金を上乗せせず「快速」として走っていたら、心理的な割高感は多少和らいだかも…というのはあります。
まぁどちらにしても、線路や信号システムなど地上設備も全部自前の鉄道と、税金で整備された道路を走るバスとで運行経費に大きな差が出るのは当然ですがね(憤

僻んでいても仕方ないので、次行きます。

  

「きたぐに」には寝台・座席問わずよく乗りました。
自由席乗車が最も多かったのですが、お金のある時は幅106cmのハネ下段を取ってゴロゴロ寝返りを打ちながら一夜を明かしました。
寝台電車では唯一の開放型ロネを連結していましたが、ハネの上・中段を取り払って新たに幅広の上段(しかも寝台幅90cm)を付けただけのもので特に新味はなく、高い料金を払ってでも乗りたくなるようなしろものではありませんでした。

次の奥羽本線十文字駅の手書き券はハプニングの産物でした。

このとき秋田にいたのですが、奥羽本線内の信号故障でダイヤが大幅に乱れたため旅程も大幅に変更することになり、横手駅からたまたま乗った院内行の車中で「きたぐに」利用を思い立ち、ちょうどその時に通りかかったのが十文字駅だったというただそれだけの理由です(汗
マルスもないところを委託の駅員氏は、電話照会やら手書きやらの手間を厭わず丁寧に発行してくださいました。その後は特急「つばさ」で福島へ向かい、会津若松で一泊して只見線経由で新潟に至る旅程でした。

このほか、よもやま話の東北周遊券ページに上野発秋田行臨時急行「おが」の寝台券と車内の動画を載せています。
この「おが」は20系客車のオールハネ編成で、52cm幅3段式寝台の狭苦しさ?が映像を通じておわかりいただけるかと思います。「きたぐに」の電車ハネの様子も少しだけ紹介していますので、ぜひご覧ください。

次回も急行列車の寝台について書いてみたいと思います。