ネ part5(完)

「ネ」シリーズ完結編の今回は、20系時代の「銀河」からスタート。
いずれも大阪駅です。

撮影年月日不詳ですが、4代目駅ビル(旧名・アクティ)が建築中なので、1981〜82年ぐらいでしょうか。テールマークが絵入りになっています。
B寝台車の種別は★マークの数で表されていて、★は客車3段式、★★は電車3段式、★★★は客車2段式。
この★マークは乗降扉の上部に表示され、時刻表でも連結寝台車の種別を表す記号として使用されていました。

乗降扉は折戸式で、自動ドアではなく乗客自身で開閉していました。この写真ではほぼ見えませんが、窓ガラスには手で開けるよう促すステッカーが貼られています。ドアが閉まっていない状態で発車することも多く、カレチ氏が閉めて回っていました。
車掌スイッチでドアロックの施錠解錠を行うので、走行中に勝手にドアが開いたりすることはありません。

A寝台も窓越しにちょっと覗いてみました。
跳ね上げてある部分を下ろすと、座席使用時の背もたれとなります。

次の写真は、part3で出てきたナハ21「だいせん」の行先表示器です。
方向幕ではなく固定式で、裏側からサボのように列車名や駅名の札を差し込む方式でした。

「だいせん」の終着駅・大社。
出雲市からは普通列車に化け、20系客車の優雅な通勤通学列車となります。

下は米子・博多間急行「さんべ5」@米子で、テールマークには列車名が入っていません。
上の「だいせん」とは異なり20系寝台車と12系座席車との混結となっており、20系寝台車には12系からサービス用電源を受電するための変圧器設置や自動ドア化などの改造が施されています。

時代は進んで次はこちら。
ブルトレ「あかつき」の個室B寝台「ソロ」専用車オハネ15@長崎です。

全国的に寝台列車が次々と終焉を迎え、「あかつき」もそろそろ危ない、と悟った2007年夏の九州旅行で乗りました。当時は西鹿児島(現・鹿児島中央)行「なは」と併結運転で、鳥栖で分割します。
みやこ列車区の車掌氏は下関まで乗務、下関から長崎までは門司車掌区の担当でした。
予想は的中し、翌年3月改正で「なは・あかつき」は姿を消しました。

ソロはpart2でリネンの写真だけ掲載しましたが、車内はこんな感じです。
通路を挟んで両側に、上下2室の出入口ドアがずらりと並んでいます。

ドアを開けたらすぐベッド。
右上のボコっと出っ張っているのは階上室部分です。
室内が狭く通路も狭いので、写真が撮りにくくて仕方ありません。

階上室の出っ張りの大部分はベッド部分から外れているので、寝ていても圧迫感は全くありません。
カーテンを開け放てば大きな窓で、上体を起こして朝の車窓を眺めるのは気持ちの良いものです。

照明や空調の調節スイッチや非常用ボタンも設置されていました。
寝台幅と高さは開放式2段ハネとほぼ同じですが、狭くても個室というだけで居住性は段違いで、ここまで至れり尽くせりなのに寝台料金が開放式と同額でほんまにええの?と思ってしまいます。

このような優れた車両に気軽に乗ることができなくなったのは、極めて残念としか言いようがありません。

次は寝台券だけですが、出張帰りに超奮発して寝台急行「銀河」のロネに乗ったことがありました。
しかも下段ですよ下段(←自慢?

大枚はたいて乗ったものの・・・
率直な感想、ちょっと広い2段式ハネという感じしかなく、ソロの快適さとはまったく比ぶべくもありません。
ただ「A寝台乗車という優越感」をお金で買っているだけのものという印象でした。
常連の人からは「本当のロネの魅力や楽しみ方を知らない」などと貶されるかもしれませんが…

さて、物入れをごそごそしていたらこんなものが出てきました。
JR時刻表1991年4月号別冊付録の「JR寝台列車ハンドブック」です。
メル●リやヤ●オクなどで数百円〜千円程度で大量に売りに出されているので珍しいものではないのですが、私はリアルタイムでJR時刻表を購入して入手しました。
当時運用されていた全種別の寝台をもれなく写真とコメントで紹介するという、なかなかすごい冊子です。

ちょっとだけページをめくってみましょう。
「北斗星」のロイヤルは、独房と揶揄された従来型の個室ロネに比べてベッド幅も室全体も広がっていて、ダブルベッドにも出来る仕様。インテリアもなかなか凝っています。

「シングルツイン」はハネだけあって「ロイヤル」よりも狭苦しいですが、ほぼベッドしかない「ソロ」より多少広くて高さもあるので、1人利用なら快適度はかなり高そうです。料金も高いですが…

「カルテット」は開放式2段ハネを個室化したものですが、昼間時の座席がソファーシートとなっていてちょっと豪華です。でもこのソファーをどうやって寝台にしたのでしょうか?
4人個室には「Bコンパート」というのもありましたが、こちらは2段ハネの1ボックスにガラス戸を付けただけの簡易個室でした。

JR時刻表なので記事の書き方は当然JR目線で、寝台の特徴を褒めちぎるのはいいのですが、あまりに褒めそやしすぎて正直読んでいて恥ずかしくなるようなページもあります。
決して評判が良くなかったと思われる3段式ハネに至っては、よほど褒め言葉が見つからなかったのか「多客期の輸送力は大幅にアップ」「天地は狭いがリーズナブルで人気」と、半ば褒め殺しに近いような書き振りになっています。

 

最後に、寝台ではありませんが「サンライズ」のノビノビ座席をば。

これも出張の際に乗ったものです。
東京行のみ大阪駅に停車し、夜行バスや「銀河」がわりに使う需要が今も結構あるようです。
かつては東京行ブルトレ「瀬戸」「あさかぜ」がほぼ同ダイヤで相次いで停車し、「銀河」とともに大阪→東京間の夜行列車群の一翼を担っていました。もっとも、寝台専用列車なのでコスパ的には良いとは言えませんでしたが。

ノビノビ座席は「座席」ではありますが、シーツ・毛布といったリネンと、それになぜかペコペコの紙コップが各区画に備えられています。
頭部だけですが隣との仕切りもあって、一般的な客船の2等船室のような全くの雑魚寝というわけではなく、照明も落とされているので、よほど神経質な人でない限りは眠るのに支障はないでしょう。
床面はカーペット敷ではあるものの固く、寝台のように柔軟に身体を受け止めてはくれません。寝台との差別化のうえでこれは仕方のないことです。

寝台は1列車で1回しか使用されませんが、ノビノビ座席はあくまでハザなので、ひとつの座席(区画)を複数人が入れ替わって使用することが可能です。例えば高松方面→大阪間で使用された座席をそのまま大阪からの乗客に売ることができます。
ただ、前の乗客にリネンが使われていたら、それを再利用するのはちょっと躊躇するかもしれません。
まぁそんなケースは少ないとは思われますが。

上の写真は横浜を発車直後の様子で、隣とその隣の人はきちんとリネンを畳んで下車して行きました。これなら仮に次に乗る人がいたとしても、少しは安心できるかもしれません。
寝台なら敷きっぱなしで降りるのが普通でしたが、こういうところはやはり「座席」なのかなと思います。

まもなく東京に到着。ノビノビ座席で東京まで乗り通す人は案外少なかった印象です。

「新寝台」と言って良いのか微妙なノビノビ座席でした。
ノビノビ座席車の車両形式はモハネ285で「ネ」が付いていますが、この「ネ」はシングルが2室設置されていることによるもので、ノビノビ座席部分はあくまで「ハザ」です。
「WEST EXPRESS 銀河」のクシェットやプレミアルームも横にはなれますが、車両種別はモハでありクロであって「ネ」ではありません。
JRでは今後登場させる車両に「ネ」という形式称号を与えることはないというメッセージのようにも思えます。

1950年代に一般庶民の手が届く存在となった寝台車が70数年後の現在、まさに姿を消しつつあります。
150年もの鉄道の歴史の中で寝台車が華々しく活躍した期間は決して長いものではありませんが、それは日本が復興と成長を急速に成し遂げていった時期とも重なります。
そのことを偶然と言えばそれまででしょうが、寝台車とは人々の生活が徐々にゆとりを取り戻してきた時代を映した鏡のようなものだったのかもしれないと、密かに思っています。

これにて「ネ」シリーズ、いったん終了です。
(寝台ネタは今後もちょくちょく出てくるかもですが)