はこねごてんば

こみなといすみの続き 2017年7月30〜31日撮影)

今回の旅行は青春18きっぷ利用なのですが、旅程の都合で大原→上総一ノ宮の1区間だけ特急「わかしお」でワープします。
上総一ノ宮で東京行快速に乗り換え、舞浜で府中本町行に乗り継ぎ、さらに新松戸で常磐線に乗り移って北千住までやってきました。

ここから「メトロはこね」で一気に箱根湯本まで突っ走ろうという魂胆です。

東京メトロ千代田線ホームにちょっと場違いですが…という風情のMSE車が入線。メタリックブルーの胴体にロマンスカー伝統のバーミリオンと白の帯を巻いたスマートな車両です。
私は小田急「ほぼ」全線完乗しているものの特急には乗ったことがなく、息子は小田急そのものが初めてなので、どうせなら全国唯一の「地下鉄を走る有料特急」に始発駅から乗ってしまおうという運びとなったわけです。
「ほぼ」を「完全」にするためにはまた特急に乗らなければなりませんが、今回は見送りです。

ここから乗る人が意外と多い印象

ネット予約で先頭車両最前列右側1C・1D席を取ることができました。
貫通扉からの前面展望はやや窮屈ではありますが、高速走行時はそれなりの迫力が味わえます。
千代田線を抜けて代々木上原から小田急小田原線に入ったのちは町田と本厚木に停車し、16時半ごろ小田原に到着。ここから先の箱根登山鉄道は未乗線区なのでちょっと緊張?します。

入生田-箱根湯本間の三線軌条区間

箱根湯本駅は東京方面へ帰る人で混雑しています。
ところで、この旅行の最初のコンセプトであった「昭和テイスト」はいつの間にかどっかへ飛んでいってしまった感がありますが、車両に掲出されていたロマンスカー60周年記念ロゴに昭和の名車への敬意を捧げ、昭和テイストの旅絶賛継続中ということにします。

強羅行に乗り換え。
かなり以前、小田原駅でも登山電車の姿を見た記憶があるのですが、輸送力などの諸事情で登山電車が小田原まで来なくなり、今の小田原-箱根湯本間は小田急の路線のようになっています。

発車するといきなり80パーミルをぐいぐい登り始めます。
留置線には1935年製の古参車両・モハ108+109の姿が見えます。→これも昭和テイストな光景
2024年1月時点では108のみが現役で活躍中とのことです。

箱根登山鉄道の最大の特徴は言うまでもなく急勾配と3か所のスイッチバック。
箱根湯本方から最初のスイッチバック停車場である出山信号場で列車交換がありました。
上下列車ほぼ同時進入という見事な交換技には感動すら覚えます。

【動画】出山信号場へ同時進入

モハ108がここでも活躍中

次なるスイッチバックは大平台駅。
下の写真では山に囲まれて秘境駅ぽく見えますが、駅舎は国道1号線に面していて乗降もそこそこあるようです。

大平台駅のひとつ強羅方にある上大平台信号場が最後のスイッチバック停車場です。標高96メートルの箱根湯本駅から250メートル上がってきました。

【動画】上大平台信号場に進入

行き止まり型のY字スイッチバックというとシーサスクロスが付き物のように思えますが、箱根登山鉄道のスイッチバック配線は上下線の間隔が狭いためか片渡り線2本で構成されています。
JRのY字スイッチバックでも肥薩線大畑駅・真幸駅などはシーサスなし配線です。

信号場にもちゃんと駅名標が設置されています

上大平台信号場の次は仙人台信号場。こちらはフツーの交換型信号場です。
スイッチバック停車場の分岐器は全てスプリングポイントでしたが、ここの安全側線のある出発側分岐器は遠隔操作により転換されます。
よもやま話のはずなのに信号場応援団みたいになっています。

箱根湯本-強羅間は全ての停車場(駅及び信号場)で列車交換が可能となっていて、大平台駅(0.5キロ)上大平台信号場(0.8キロ)仙人台信号場(0.9キロ)宮ノ下駅の区間は交換設備が1キロ未満の短い間隔で設けられています。
山岳路線ならではのダイヤ乱れや線路支障などの影響を最小限にとどめるためと思われますが、運転面だけでなく施設の維持管理という面でも大変な苦労がうかがえます。

旅程も終わりに近づいてきました。
今日はケーブル上強羅駅近くに宿を取っています。
いつもながら、ケーブルカーに乗ると平衡感覚がおかしくなりそうです。

強羅駅で購入した「新車両記念弁当」を宿での夕食にします。強羅近辺は外で食べると高そうなので
「新車両」とは2014年デビューの3000形アレグラ号。

一泊して翌日は早雲山からロープウェイで大涌谷、桃源台へ。
朝早くから乗り場には長い行列ができていました。

循環式で次から次からゴンドラがやってきます

大涌谷は中学校の修学旅行で訪れています。
あの時は新大阪から三島まで新幹線、そのあとは全行程バス移動で、登山鉄道もケーブルもロープウェイも何もない、私にとっては極めて無味乾燥な時間でした。まぁ数百人の団体行動ですからバスでないと実際無理なのですが。
そのせいもあってか、まるで初めて訪れた場所のような錯覚に陥りました。

旅はやっぱり、自分の行きたいところへ行きたい手段とルートで行くべきと、改めて思ったことでした。

この後は引き続きロープウェイで桃源台まで行き、バスで御殿場へ抜けてJRで帰途についています(←結局バスかw
ここからはひたすら淡々と帰るだけです。

沼津で乗り換え待ちの間に駅弁を購入。新幹線が通らない普通列車主体の駅としては貴重な駅弁販売駅です。
明治時代から営業されている桃中軒は寿司系の弁当が良いと聞いていたのですが、あいにく売り切れだったので、並べられていた中で最も古くからありそうな「とり重」を購入しました。

そして東海道本線を普通列車で西進し、名古屋では今回旅行2回目の関西本線に乗り換え。
往路は紀勢本線で亀山まで来ましたが、復路はその亀山から関西本線をひたすら進んでいきます。

柘植-加太間にあったスイッチバック式の中在家信号場は、引き上げ線こそ残っていたものの列車交換は既に設定がなくなり、場内信号機だけが残っていてかろうじて閉そく区間の区切りとダイヤ上の採時点として命脈を保っていた状態でした。そもそも優等列車もなく続行運転の不要なダイヤとなっていましたが、信号設備の廃止にも手間と費用がかかるので、CTCなど運行システムの更新時期が来るまで放置していたものと思われます。
現在は信号機も撤去されて単なる一本の線路となり、引き上げ線や駅舎の跡も徐々に自然に還りつつあるようです。

中在家信号場下り場内信号機から上り場内信号機まで

かつて蒸気機関車の重連+補機が喘ぎながら登った難所を、いとも軽快にディーゼルカーが飛ばして行きます。
最終日もたくさんの「昭和」に出逢いながら帰宅しました。