エキサイティング駅スタンプ 鹿児島本線編

東北から一気に九州へ飛びました駅スタンプシリーズ。間はないんかいっ(再)

これ以降のスタンプは全て私が高校生時分の1982年夏、初の九州旅行の時のものです。もう過去帳入りとなった路線もちょこちょこ出てまいります。

まずはこの両駅から。

門司港駅は今でこそ「門司港レトロ」の中心的存在となっていますが、当時はそこまで観光地化していなくて、単に大正時代の古い駅舎を大切に使っている駅、という印象でした。
スタンプの絵柄にも描かれていますが、当時は出入口前の車寄せに庇がかけられていました。「四角の黒」は「史跡や建物、文化財が特色の駅」です。

小倉駅は小倉城に祇園太鼓の組み合わせ。この「太陽とみどりのくに九州」スタンプは、1970年代後半に国鉄が行っていた「一枚のキップから」という全国キャンペーンの一環として作られたもので、九州内の主要駅に置かれていたようです。
駅スタンプにも幾多の変遷の歴史がありますね。

今の博多駅のスタンプはJR九州と西日本(山陽新幹線博多駅として)のそれぞれが異なる絵柄のものを置いていますが、1982年当時は同じ国鉄なのでこれ1種類だったように思います。九州の方のスタンプは現在もこの絵柄のようです。
「どんたく」はもともとオランダ語由来の休日という意味で、私ら以上の世代は週休2日制になる前の土曜日の午前勤務を「半ドン」などと言ったりしたものですが、いつしか「どんたく」と言えばこの祭のことを指すようになりました。

ちょっと横道に入っていきます。

志賀島で発見された金印の印影をあしらった「スタンプinスタンプ」という、なかなか珍しい図柄です。一見シンプルですが、金印の質感や印影が細部まで表現されています。
香椎線の海の中道を走る区間は今でこそ開発が進み都市化していますが、私の初乗り時は砂州そのままのようなところが沿線随所にあり、雁ノ巣駅あたりなど区間によっては車窓が見えないぐらい砂をもうもうと巻き上げながら走っていた記憶があります。

鹿児島本線羽犬塚駅と黒木駅を結んでいた全長20キロ足らずの矢部線。私が乗った時は全線1閉そくのスタフ式路線でした。当初はさらに先の矢部村まで到達する予定だったのが黒木で力尽き、1985年3月末廃止。地名は「くろぎ」でも駅名は「くろき」という、国鉄にはよくある食い違いがここでも見られました。
「大藤が咲きほこる駅」とありますが駅に藤棚があるわけではなく、これは少し離れた祇園神社の「黒木のフジ」のことを指すようです。

熊本城の石垣が地震で崩落するショッキングなニュース映像が流れてから今年で7年。
被災地の復興が進む中、城全体の復旧は今なお道半ばだそうですが、天守が再建されたのは大変喜ばしいことです。
銀杏城の名はかつて博多-熊本間を走っていた急行「ぎんなん」にも採用されていました(昔ぎんなん今つばめ

宇土駅から分岐する三角線は時間に追われて往復するだけであまり印象に残っていないのですが、スタンプを捺す余裕はあったようです(笑
当時はタブレット閉そくで、種別は宇土(楕円)住吉●網田■三角でした。三角線に▲なし
かつては別府・阿蘇方面と天草方面とを結ぶ観光需要があり、豊肥本線から急行「火の山」が乗り入れていました。今も臨時ながら特急「A列車で行こう」が後を継いでいます。

1977年9月号時刻表から(以下同じ) 三角駅では駅弁も売られていました

鹿児島本線をさらに南へ。
今は肥薩おれんじ鉄道となっている区間です。

私は釣りをやらないのでよくわからないのですが、水俣駅から少し海側に行った湯の児温泉あたりで舟を出して太刀魚の手釣りができるそうで、釣りの心得がなくても手で釣り糸を垂らすだけで結構釣れる…らしいです。

川内駅の「ガラッパ」は河童の意で鹿児島県内各所にガラッパ伝説が残っている一方、川内大綱引は島津藩以来の歴史を持つ鹿児島県の民俗文化財でもあるようですが、別に「ガラッパ大綱引」という行事名でもなく、両者の関係がよくわかりません。
まぁ狭い印面に複数の名物を並べる手法は駅スタンプではありがちではありますが…

その水俣・川内両駅から出ていた廃止路線の交点だった薩摩大口駅です。

凸型の入鋏を見ると、いかにも「きっぷ」やなぁ〜と思います(笑

東洋のナイヤガラ」とはまた勇壮ですが、200メートル超の滝幅は日本一だそうで、縦に長い滝が多い日本国内では相当な大瀑布と言えるのではないかと思います。

印面の山野線は水俣駅から肥薩線の栗野駅までを結び、川内駅から出ていた宮之城線は薩摩大口駅が終点でした。3方向に路線が伸びる拠点駅で、もちろん各路線ともタブレット閉そくです。山野線はJR九州移管後も1年近く走っていましたが、宮之城線はJR化を待たず1987年1月に廃止されています。
曽木の滝に最も近いところを走る路線は宮之城線ですが、どの駅からもかなり離れていて鉄道でのアクセスは良くなかったようです。

この索引地図の山野線・宮之城線に注目してみてください。
山野線久木野-薩摩布計間がくるっと輪を描いているのはループ線で、すぐ近くにある肥薩線大畑ループとともに目を惹く存在です。前にもどこかで書きましたが、ここは沿線に木々が生い茂っていて眺望がほとんどきかず、知らないうちに通過しているような地味なループ線でした。
一方、宮之城線の薩摩永野駅はスイッチバック構造で、よく見るとそれがちゃんと地図上に表現されています。特に勾配があるわけではなく、大きな集落の近くまでわざわざ立ち寄るための平地型スイッチバックでした。
駅跡に造成された鉄道記念館には当時のクロッシングがそのまま残されているそうです。


今回の大トリはもちろんこちら。

西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)スタンプ右上部は、印面そのものが欠けていました。のちに修復された印影をネット上で見ると「昭和から明治が見える町」のようです。平成年代になると「昭和」が「平成」に改刻されました。
もちろん鹿児島中央駅になってからは全く新しいデザインに変わっていますが、西郷隆盛の肖像はきっちり入っています。

鹿児島駅スタンプは西郷さんがいるかいないかの他は西駅と似たような図柄ですが、桜島の山肌のスクリーントーンがドット柄の西駅に比べてよりヴィヴィッドな柄のものが使われていて、市内の街並みや桜島フェリー?らしき船影も見られます。私なら、西郷さんには申し訳ないですが駅としては地味でも鹿児島駅の方を推し(捺し)たいと思います。

次回は日豊本線系のスタンプです。