エキサイティング駅スタンプ 北海道編

今、駅スタンプが人気?なのか、「捺し鉄」なるコトバまであるようで・・・

最近は旅先でもあまり駅スタンプを捺すことがなくなった私ですが、若い頃の旅メモを紐解くと結構スタンプの印影が残っていたりするので、何回かにわたってスタンプにまつわる写真や旅の思い出などを綴ってみたいと思っています。
いずれも1980年代から90年代初頭ぐらいに捺した、いささか懐かしめのスタンプたちです。

初回は北海道から参りましょ〜い(←なぜか桂小枝ふう?

ノートに捺したものは罫線が目障りですがご容赦を

これは1987年8月の東北旅行の折、砂原線に乗るため一瞬だけ渡道した時に捺したものです。
(旅メモにそう書いてあるだけで、私自身の記憶にはほとんど残っておりません…)
当時の駅スタンプというと「わたしの旅スタンプ」という、国鉄が全国統一的なデザインで作成したものが最もメジャーだったのですが、この大沼駅のものはそれとは異なるオリジナルのものでした。
シンプルですが洗練されたデザインです。

捺し方が雑で牛の群のはずが2頭しか見えません

幌延駅の「わたしの旅スタンプ」です。これは1989年2月の渡道時のものですが、幌延で下車した記録がないのでおそらく交換待ちの長時間停車の間に一旦改札を出て捺しに行ったものと思います。
「幌延駅スタンプ」で検索するとこれと同様の絵柄のスタンプ画像がいくつも引っ掛かりますが、どれも微妙に印面のディティールが異なるのは、ゴム印なので劣化が早く何度も作り直しているからでしょう。
どこの駅とは言いませんが、印面がほとんどツルツルになっていて捺しても何のスタンプかよくわからないものもあったりしますので、幌延駅は管理が行き届いていると言えると思います。

標茶駅と厚床駅とは一見無関係のように思えるものの、1989年当時は両駅を結ぶ標津線が走っており、その乗り継ぎのため両駅で下車した際に捺したものです。どちらも「わたしの旅スタンプ」ぽく見えますが、幌延のと比べると字体やら★の部分やらが異なっていて、図柄に関しては現場におまかせ状態だったのかも知れません。
標津線は標茶駅から根室標津駅までの本線と、その途中にある中標津駅から分岐して厚床に向かう支線から構成されていて、カタカナの「イ」の字のような線形を描いていました。根室標津駅にはスタンプが置いてなかったのか旅メモには印影が残っていません。
この時はJR移行後2年が経過していましたが根室標津の駅名標は国鉄仕様のままで、駅名標がJRタイプのものに更新されていない路線は廃止が近い、という目安のようになっていました。

根室標津は1面1線の棒線終着駅でした。
大抵の棒線終着駅は単なる列車の折り返し点なので閉そくを扱わない無人駅が大半ですが、この駅では到着した編成をバラして続行運転を行うスジがあった関係でタブレット閉そくを施行しており、場内・出発信号機も完備されていました。
駅の機能面では「鉄道員(ぽっぽや)」幌舞駅のリアル版みたいな感じです。あそこは単行が日に数往復しかない設定でタブレット閉そくの必要はなかったと思いますが

標津線西春別


支線の中標津-厚床間は日に4往復で当時としても超閑散線区の部類でしたが、現在はそれより列車本数の少ない区間もあるので驚くには値しませんな(汗
駅間は何もない原野の中をひたすら突き進む感じで、何も考えずにぼーっと車窓を眺める時間は今から思えば実に貴重だったと思います。

上の2枚も1989年2月のもので、廃止直前に乗った名寄本線の興部駅と紋別駅です。
道内で路線廃止が相次いだ1980年代後半あたりには、廃止予定路線の主要駅にこのような「廃止直前スタンプ」が結構置かれていたようです。

名寄本線興部


名寄本線はこちらでも書いたとおり宗谷本線名寄から石北本線遠軽に至る長大路線で列車本数もそこそこ多く、なぜ廃止になるのか不思議なぐらいだったのですが、普段の利用実態など我々他所者が知らないところに廃止せざるを得ない理由があったに違いありません。
廃止直前の乗客増を見込んでか駅ではグッズ販売が花盛りで、単行の列車内では車掌氏が何度もオレンジカードを売り歩いたりしていました。

紋別駅ではオリジナルの「わたしの旅」も置いてあったので、合わせて捺しました。
オホーツク海に押し寄せる流氷を見に来たはずが、まったく氷のない暖冬でした。

今回最後のスタンプは駅ではなく船スタンプです。
一番上の大沼駅と同時期の1987年8月のもの。
日付が入っています。

青函連絡船がJRの運営だった期間は1年にも満たなかったのですが、スタンプは煙突の社章がJNRからJRに改刻されたものが置かれていました。

次回は東北方面のスタンプを巡ってみたいと思います。