道内時刻表1985年8月号 その9 日高線・富内線

札沼線

1972年に新十津川ー石狩沼田間が廃止されてから13年が経った時点です。
この時は石狩当別ー浦臼間がタブレット閉そく、浦臼から先がスタフ閉そくで、浦臼ー新十津川間は5往復の運転でした。少ない運転本数を補うため、並行する国鉄バスの時刻も併記されています。

「大学前」は現在の終点・北海道医療大学です。フル札沼線時代から路線延長は約4分の1となり、いよいよ札沼線という名前の由来が分からなくなってしまいましたが、学園都市線という新たな路線に生まれ変わったと考えれば合点がいく気もします。

私は札幌から新十津川行629Dに乗りました。キハ40の5連でさすが大都市近郊路線は違うなぁと感じ入ったものでしたが、石狩当別と石狩月形でブツブツと切り落とされ、新十津川到着時には単行となっていました。新十津川からは国鉄バスで砂川に出て、臨時急行「天売」で札幌に戻り「利尻」で稚内へ向かっています。

今から思えばひたすら乗ってばかりで何が楽しかったのかと思いますが(笑)、この旅行ではほぼ毎日がこんな調子でした。

日高線・富内線

日高線は閉そく方式が少し特異で、苫小牧から苫小牧(貨)まで自動閉そく、苫小牧(貨)から勇払まで連査閉そく、勇払から先はタブレット閉そくとなっていましたが、1985年当時は勇払まで自動化されていたのかも知れません(記憶あやふや 汗)。札幌からの急行「えりも」が3往復乗り入れ、通過授受も行われていました。

私は「えりも2」で様似まで行き、国鉄バスで襟裳岬方面へ抜けています。浦河を出たあたりでカウンターを手にした車掌氏が襟裳岬行バス利用者をカウントしに来ました。バスは満員で、襟裳岬での降り際に見ているとほぼ全てが北海道周遊券の客でした。
全国版の時刻表には札沼線と同様、並行する国鉄バスの時刻も併記されていましたが、なぜか道内時刻表には記載がありません。

富内線は鵡川から出る支線で、日高線が本線たる所以だったのですが、この翌年11月に廃止されています。もちろんタブレット閉そくで、全線4往復+区間運転という当時からしても閑散路線と言わざるを得ない状況でした。
線内の閉そく扱い駅が旭岡、穂別、富内、振内の4駅もあるのは列車本数や駅数に比べて多い気がしますが、これは区間列車の折り返しと、短いように見えて路線長が82.5キロ(平均閉そく区間距離16.5キロ)もあることによるものと思われます。

富内線と日高線は終点で国鉄バス接続という共通点があります。終点の日高町からは夏季限定運転の帯広行国鉄バス日勝高原線が出ており、私もバスで帯広へ抜けました。

思えばこの両線とも片道1回ずつしか乗らないまま、苫小牧ー鵡川間を除いて廃線となってしまいました。

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