道内時刻表1985年8月号 その8 湧網線・道内のブルートレイン

湧網線

前回の名寄線の続きになりますが、遠軽で「大雪4」と接続する423発名寄行622Dは3両のキハ22にキハ40を従えた4連で、後部2両は回送扱い。中湧別で回送扱いのキハ22+キハ40を切り離し、それがそのまま湧網線の網走行一番列車921Dに化けますが、佐呂間でさらに分割されキハ22のみが網走へ向かい、残るキハ40は折り返し湧別行940Dとなります。
両運車の特性を最大限に活かした巧みな車両運用には思わず唸らされました。

湧別に到着した940Dは折り返し923Dとなって網走へと向かいます。この線はサロマ湖、能取湖そして網走湖と3つの湖をたどりながら淡々と歩むように進む風光明媚な路線だったのですが、夜行明けということもあって車窓風景はうっすらとしか記憶になく、非常にもったいないことをしました。
このようにサロマ湖やオホーツク海方面の観光にはうってつけのロケーションでありながら、日にわずか5往復では観光の足にはなり得ず、利用者減のため1987年3月に廃止となりました。
この時刻表時点でも、90キロ近い路線距離がありながら交換可能駅が計呂地、佐呂間、常呂の3駅しかなく、平均閉そく区間距離がおそらく当時最も長い路線だったものと思われます(今は五能線や山田線あたりがこれに匹敵します)。

道内のブルートレイン

ブルートレインは、普通は20系客車以降の固定編成の寝台特急列車のことを指しますが、ここでいう「道内のブルートレイン」は14系客車による急行列車のことで、ハネを連結していた列車は何とか首肯できるものの、オールハザの昼行「ニセコ」をブルトレと呼ぶのは少々しんどいんではないでしょうか。
ただ、この数年前まで道内の客車急行列車はスハ45やスロ54などの旧客と10系寝台車の組み合わせだったので、ブルートレインと称されるところに14系投入のインパクトが非常に大きなものだったことが想像できます。

旧客というと、山線経由の函館・札幌間夜行鈍行41レ・46レはスユニ主体の編成に旧客2両という混合列車ですが、多客期にはスハフ44改造の「カーペット車」が1両増結されました。
カーペット車は時刻表に記載がなく私も乗車時に初めて知ったのですが、鉄旅派にはもちろん大好評で、特別な料金が不要で定員管理もされないので満員御礼の雑魚寝状態でした。
仕方ないので横の人の足のニオイを気にしながら壁にへばりつくように寝ましたが、それでも寝転がって足を伸ばせるのは何物にも代えがたい心地よさで、これがのちにキハ27の夜行快速「ミッドナイト」カーペットカーにつながっていったものと思います(こちらは指定席料金が必要でした)。

山線といえば、新幹線の並行在来線となる長万部ー小樽間の鉄道存続が絶望となりました。これからの北海道の鉄道網がどうなっていくのか、さらに案じられるところです。

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