列車の編成ご案内1977 〜新幹線・寝台特急〜

今回は、よんかく所蔵の最古の時刻表「国鉄監修・交通公社の時刻表 1977年9月号」から「列車の編成ご案内」を見ていきたいと思います。<最近古いネタばっかりやってますが・・・

まずは新幹線。東京-博多間の東海道・山陽新幹線しかなかった時代で、もちろん全列車0系編成です。
「ひかり」16両編成は今も変わらずで、現在グリーン車となっている8〜10号車は食堂車・半室ビュフェの指定席・指定席という並びでした。
「東京〜新大阪間のこだま号の16号車は禁煙車です」との注記があるように、当時の優等列車は基本的に喫煙可(というか禁煙ではなかった)で、座席の肘掛けに引き出し式の灰皿が付いていました。

「こだま」専用編成は5号車半室売店と13号車半室ビュフェで、「ひかり」と共通運用の編成は食堂車が営業休止(通路扱い)、9号車の半室ビュフェのみ営業していました。ひかり編成の「こだま」は、普通車の自由席と指定席の配列が「ひかり」の裏返しとなっているのが面白いですね。
食堂車は定番の日本食堂やホテル系レストランが運営し、厨房でシェフが腕を振るった本格的なディナーや定食が提供されました。ビュフェはFRP製の簡素な椅子に腰掛け、あるいは立ったまま喫茶や軽食をとるスタイルのカウンター式簡易食堂です。
下の写真は0系最初期のビュフェで、「夢の超特急」らしく壁面にスピードメーターが付いています。

鉄道ピクトリアルNo.794(2007年10月号)から

年代は異なりますが、1985年5月号時刻表の東北・上越新幹線も加わったメニューです。

食堂車はなかなかの高級志向で、都ホテルのサーロインステーキ定食や帝国ホテルの子牛のカツレツ定食などは今でもサイフと要相談…というお値段です。もっともあの狭い厨房で火も使えず、電気コンロや電子レンジを駆使して調理というシェフの苦労と食堂車維持のためのコストを考えると妥当な価格だったのかも知れません。よんかくは悩みに悩んだ末のカツカレーセットかな
ビュフェ営業の東北・上越新幹線ではレトルトやレンチンものが主体だったようですが、当時駅弁でもこれぐらいの価格帯だったので、それなら車中で温かいものを食べる方が気が利いているということでしょうか。
車内でニオイの出るものを食べるのは如何なものか、という論調が幅をきかせる昨今、食堂車やビュフェという形でなくても遠慮なく飲食できる号車やスペースを設けるのもアリかなとは思うのですが・・・事業者側としてはそんなことやってられっかよ!と言われるのがオチなんでしょうけど。

続いては在来線、寝台特急列車(ブルートレイン)の編成です。
まずは東京発山陽・九州方面行の列車から。列車名の下にはB寝台車の種類を★印の数で示す記号が表示されています。★は客車3段式(14系、24系または20系)、★★は電車3段式(583系など)、★★★は客車2段式(24系25形)の意で、「さくら」「みずほ」「あさかぜ」などは客車3段式、「はやぶさ」「富士」「出雲」は客車2段式ということがわかります。「ニ」は電源車兼荷物車のカニ24です。

寝台車の諸相については当ブログ「ネ」シリーズをご覧いただくとして、B寝台の居住性ランクとしては
  ★<★★上・中段<★★★<★★下段
といった感じで、寝台料金もこれに比例しています。この当時、寝台特急の客車3段式には寝台幅70cmの新型14系が運用され、初代ブルトレ20系は夜行急行列車(上写真の「銀河」など)への転用が進んでいました。また、編成中「Aネ」は開放式2段式A寝台、「個ネ」は個室A寝台で、たいていの列車はどちらかを1両連結していましたが、その中で博多発着の「あさかぜ」は両方をしかも2両連結という豪華さの一方、B寝台は3段式という格差編成でもありました。
なお「はやぶさ」と「富士」、下関発着「あさかぜ」と「瀬戸」、「さくら」と「みずほ」と「いなば・紀伊」の編成は共通運用でしたが、「瀬戸」と「いなば」は乗車率と走行時間帯のせいか食堂車が営業休止となっていました。

お次は名古屋・京都・大阪発のブルトレと九州内の特急など。

名古屋-博多間「金星」は583系電車のグリーン車・食堂車(ただし営業休止)付き12両編成、京都・新大阪発着の「明星」は1〜7号の大所帯で、581・583系電車、14系寝台車のほか14系座席車のみの寝台なし編成もあったりとバラエティに富んでいます。新大阪-西鹿児島(現・鹿児島中央)間「なは」も581系での運転です。

さて、581・583系電車編成にはせっかく食堂車が連結されているのに、ことごとく営業休止でした。食堂車は関西-九州間の昼行特急として走る際には必須の設備だったのですが、1975年の山陽新幹線博多開業後はその必要もなくなり、とはいえ食堂車サシ581には電動発電機やブレーキ用コンプレッサーが搭載されていたので、食堂が営業休止となっても編成として外すことができなかったのです。
それでも581・583系は九州内の昼行特急「有明」「にちりん」にも運用され昼夜兼用車両の面目を保っていましたが、「有明」の481・485系運用列車が食堂車を営業しているのに581・583系編成の「有明」「にちりん」が食堂車営業休止なのは、かねてから食堂車が縮小傾向にあったことに加え、客室設備の違い(481・485系は回転式リクライニングシート、581・583系は非リクライニングのボックスシート)からくる編成の「格」のようなものが影響していたのかな…などと思っています。

・・・なんか食堂車のハナシばっかりしてるような気が(汗

当時まだ非電化の長崎本線・佐世保線へ乗り入れる「あかつき」は客車列車で、日豊本線への「彗星」は電車と24系寝台車での運転。新大阪-下関間「安芸」は呉線を経由し、広駅と呉駅に停車していました。

次は東北方面へのブルトレを見てみます。
上野駅から東北本線だけを走る寝台特急は青森行「はくつる」と盛岡行「北星」の2本だけで、寝台特急に関しては7往復の「ゆうづる」が走る常磐線経由の方がメインでした。奥羽本線方面への夜行列車や貨物列車などが多く走る東北本線よりも線路容量に余裕のある常磐線がバイパス役を果たしていた形です。

「はくつる」と「ゆうづる」3往復は583系電車で、食堂車はやっぱり営業休止。ただ、その折り返しとなる昼行の583系「はつかり」「みちのく」では営業していました。「はつかり」は起点から終点まで約8時間半、常磐線経由の「みちのく」は約9時間を要していたので食堂車の必要性はあったわけです。
このほか急行「八甲田」「十和田」は夜行列車で、一部列車に寝台車を連結しています。面白いのは「八甲田」に1両連結されていたB寝台車で、見えにくいですがB寝台車と自由席車の2両だけ「仙台-青森」と注記されています。下りダイヤが上野1950発-仙台046発-青森615着、上りが青森003発-仙台530着-上野1107着となっていて上下とも青函連絡船接続便だったため、仙台-青森間だけの寝台需要がそれなりにあったのでしょう。

上野-仙台間には20系客車の寝台急行「新星」。今なら最速1時間半程度の距離に寝台列車というのは信じ難いですが、当時も上野2341発-仙台601着、仙台2320発-上野536着と決して走行時間の長い列車ではありませんでした。特に上野行は早暁に叩き起こされることもあり、仙台駅では21時55分から寝台が使えるアーリーチェックインサービスがありました。

奥羽本線方面の寝台特急は「あけぼの」。綴じ目で見えませんがB寝台は★の3段式、しかも新型の14系や24系に置き換えが進む中いまだ20系客車が運用され、結局は「あけぼの」がそのまま20系最後の特急運用となりました。
急行では「津軽」「おが2」が寝台付き夜行列車で、とくに「津軽」は10系などの旧型客車でロネ、ハネ、ロザ、ハザとあらゆる車種を網羅した昔ながらの夜汽車でした。ほかに奥羽・陸羽西経由秋田行急行「出羽」はキハ28・58系気動車による夜行列車でしたが、1982年11月の上越新幹線開業時に上越・羽越経由の24系寝台特急となっています。

最後に日本海縦貫線関係。寝台特急は大阪から青森行「日本海」と新潟行「つるぎ」。今の「つるぎ」は大阪にも新潟にも顔を出さず富山-敦賀間を粛々と往復するのみですが・・・
B寝台は「つるぎ」が2段式なのに長距離を走る「日本海」が3段式とバランスを欠くような気がしますが、当時の「日本海」編成は前出の「あかつき」と共通運用の早岐区の14系客車で、青森でも「門ハイ」の所属表記を見ることができました。なお、翌年1978年10月改正で「日本海」は青森区の24系に置き換えられ、九州と東北を股にかける大型運用は解消となります。ちなみに「つるぎ」は宮原区の24系でした。

寝台特急を補完する夜行急行には青森行「きたぐに」と富山・糸魚川行「立山」の一部列車がありました。「きたぐに」も10系寝台車、スロ60形と12系座席車でロネ、ハネ、ロザ、ハザのカルテットを組み、のち14系化を経て583系電車になってもカルテット編成を残しつづけた夜汽車でした。
「日本海」は新津駅から直接羽越本線に入って新潟駅をスルーするのに対し、メインが大阪-新潟間の「きたぐに」は新潟駅で寝台車を切り離してスイッチバックし、逆編成となって青森へ向かいます。

さて、下の写真はぱっと見どこに寝台特急があるのか分かりにくいですが、上野-金沢間「北陸」がいます。上越線経由なのでいったん長岡駅に入ってスイッチバックを行いますが、寝台列車ですから座席の回転とかが不要なので楽です(笑

羽越本線を走る寝台特急は「日本海」のみで、あとは「きたぐに」「鳥海」「天の川」といった夜行急行列車が補完している形です。上越線経由で上野-秋田間を走る「鳥海」は上越新幹線開通後、それまで上野から羽越本線に直通していた「いなほ」に代わる青森行の電車昼行特急となったのち、1990年9月からは青森行寝台特急として再び夜行に戻るという経歴を持っています。一方の「天の川」は20系客車によるオール寝台列車で、上越・白新・羽越経由の秋田行でした。

次回は、今回取り上げられなかった路線の編成図を見てみたいと思います。

列車の編成ご案内1977 〜北海道〜 &席番ご案内

前回に引き続き、今回からは交通公社の時刻表1977年9月号「列車の編成ご案内」の在来線列車を北から順に見て行きたいと思います。 まずは北海道。釧路特急「おおぞら」は3…