エキサイティング駅スタンプ 九州北部編

今回は筑豊方面と佐世保・長崎方面を巡ってみます。

筑豊本線若松駅スタンプでう〜んマンダムをするのは、現在の北九州市若松区出身の火野葦平。
絵柄は若松の河童伝説に出てくる河童封じ地蔵を収めている地蔵堂です。火野は河童伝説を「石と釘」としてノベライズし、今では若松区や若松競艇などのマスコットキャラクターとなったりして河童が地元の名士となっている観があります。
直方駅は凛々しい炭坑夫のコンクリート像がモチーフです。像はこの当時(1982年)直方駅前ロータリーにあったのですが、ロータリー再整備に伴って近くの公園に移設されたのち、2021年には駅南側の線路沿いにある石炭記念館の横に再移設されているそうで、絵柄下部には記念館の建物と静態保存の蒸機が描かれています。
印面をよく見ると「坑夫」の坑の字の土ヘンが不自然です。手ヘンの下半分を削ったようにも見えるので、おそらくは誤植していたものを修正したのでしょう。

続いては伊田駅と後藤寺駅。現在は両駅ともに「田川」を冠称し日田彦山線・後藤寺線・平成筑豊鉄道の拠点駅となっていますが、スタンプ当時は平成筑豊鉄道が国鉄田川線・伊田線・糸田線の時代でした。
伊田駅は当時すでに骨董的価値の出ていたDISCOVER-JAPANスタンプです。「ディスカバー・ジャパン」は1970年の大阪万博を機に国鉄が展開した旅行キャンペーンで、ごく一部の主要駅にしかなかった駅スタンプをこの時に大量増備したといいます。デザインは福岡県無形文化財の田川市・風治八幡宮の川渡り神幸祭です。
後藤寺駅は完全オリジナル柄の炭坑節。🎵月が出た出た〜月が出た…と、今の50歳代以上なら大抵知っていると思われる超有名民謡ですが、四番まであるうち炭坑絡みは一番だけであとは色恋モノの情歌という不思議な曲です。なお、印面右上部の中途半端な写り損ないは印面の汚れで、絵柄ではありません。

筑豊本線勝野から分岐していた宮田線(みやだせん)の終点・筑前宮田駅です。
途中駅1駅のみというミニ炭鉱路線で、ご多分に漏れず閉山に伴う輸送量激減により1989年の年末に廃止となりました。「筑前のひとつの終着駅」というコピーが何やら意味深です。
六ヶ岳は宮田の市街の北に聳え、千石峡は宮田から南に行ったところにある渓谷美の地です。

ここで、時刻表1977年9月号時点の九州北部索引地図と関連の路線ダイヤをご覧いただきます。


筑豊方面は路線の入り組みが激しかったにもかかわらず各線の接続が考慮されていて、複数線区にまたがる列車や分割・併結も多くみられるなどスジ屋氏の労苦がしのばれます。門司港・由布院間を結ぶ急行「はんだ」や彦山732発吉塚行など一見しただけでは走行経路のわからない列車も随所にあります。
この筑豊をいかに要領良く乗り回るかが、当時の鉄旅派の腕の見せ所でもありました。

つづいて佐世保線の駅スタンプです。
有田駅は有田焼の絵付け職人がデザインされていますが、首筋やら腕の影の付け方がまことにヴィヴィッドで、どことなくつげ義春を思い起こさせる画風です。
佐世保駅は印面がかなり擦り切れていたのと捺し手の技量不足のため、こんな具合になってしまいました。佐世保自体は何回も行ったり通過したりしているのですが、九十九島は未訪問なので死ぬまでには一度は行ってみたいと思っています(死ぬまでに行きたいところが多すぎて困っています

松浦線平戸口駅(現・松浦鉄道たびら平戸口駅)。
わたしの旅スタンプ「六角の黒」は「何かが国鉄で一番の駅」で、当時国鉄最西端だったこの駅は現在も「日本の鉄道最西端の駅」のタイトルを保持しています。ちなみにJR最西端は佐世保駅となりました。
図柄は平戸城と田平天主堂のようです。

最後は長崎駅。スタンプは新幹線開業とともにリニューアルされているかも知れません。
図柄は長崎くんちとグラバー邸でしょうか。

次回は各地のスタンプを落穂拾い的にご紹介して、駅スタンプシリーズ最終回といたします。