ネ part3
今回も急行列車のお話です。
札幌-網走間急行「大雪」(現・旭川-網走間特急)は、ずっと「だいせつ」と思いこんでいたところ、実は「たいせつ」だったと知って軽い驚きを覚えました。少なくとも「おおゆき」とは思っていませんでしたが
当時の北海道内急行のハネは、旧型の10系が姿を消して14系の70cm幅3段式が運用されており、1986年9月には3段式を2段式に改造したシン14系に置き換えられました。
この「大雪」は、私にとっておそらく最初で最後の14系3段式乗車体験だったと思います。
14系寝台車は、ここでも触れたとおり10系や20系の52cm幅ハネの居住性改善のため投入されたものですが、もうひとつの目的として「寝台セット・解体作業の合理化」がありました。
10系や20系以前の3段式ハネの場合、昼間時に下段を座席として使用する場合には中段をハネ上げる必要があり、朝になると係員が車内を回って中段を上げ座席化する作業(夜は中段を降ろして寝台をセットする作業)が行われました。
寝台の使用時間は原則として夜9時から朝7時までとされていましたが、長距離夜行列車が多かった1970年10月時点では、寝台車連結列車のうち走行中に寝台のセットまたは解体あるいはその両方を行う列車は122本中74本と約6割を占めていました(鉄道ピクトリアルNo.1003(2022年10月号)による)。
寝台解体作業の様子は、よんかくチャンネル「20系臨時寝台急行「あおもり」ベッド解体」でご覧いただけます。
このようにベッドの解体あるいはセットはかなりの力技で、乗客はその間、荷物を持って自分のベッドから離れなくてはならず、そんな乗客の視線を浴びながら係員が粛々と作業を進めるという光景が見られました。
そんな解体・セット作業の労力軽減を図るため、14系寝台車にはボタン操作で中段が約50cm上昇・下降する「寝台昇降装置」が設置されました。寝台解体時は下段の寝具類を中段に乗せて上昇させることによって下段の座席利用に十分な高さを確保するというものです。
満を持して導入された新機構でしたが、14系が特急運用から撤退する時期が早かったことと、寝台列車そのものの高速化または短距離化により、大半の列車でセット・解体作業の必要がなくなってしまったのは皮肉な現象でした。
なお、その後に登場する24系2段式ハネ車は、そのままでも座席利用に十分な高さが確保されていたため上段は完全な作り付けで、走行中のセット・解体作業自体を行わない前提の設計となっていました。
続いては一気に南へ飛んで、急行「日南」。
「日南」はもともと京都-都城間急行の愛称名だったのですが、1975年10月改正(山陽新幹線博多開業)で寝台特急「彗星」に吸収されるとともに日豊本線回りの門司港発西鹿児島(現・鹿児島中央)行急行の名称となり、のち1988年には博多発着に変更となります。
この「日南」と対になる夜行列車として鹿児島本線回りの門司港発西鹿児島行急行「かいもん」がありました。昔日の九州ワイド周遊券ユーザはこの2本の列車の自由席を巧みに利用して宿代を浮かせたもので、私もよく乗りましたが、寝台利用はこの「日南」の1回だけです。
「日南」と「かいもん」は12系ハザ車と24系2段式ハネ車からなる共通運用編成で、ハザ車は指定席・自由席ともに、従来のボックスシートをグリーン車発生品のリクライニングシートに置き換えた乗り得車両でした。
もちろん、窓の間隔とシートピッチとがズレまくっていたのはご愛嬌ということで。
ところで、下り「かいもん」は門司港2202発→西鹿児島612着なのに対し、下り「日
南」は博多2215発→西鹿児島1004着と、いかに日豊本線経由の方が遠回りとはいえ所要時間の差が大きすぎるように思えますが、これは「日南」の宮崎一西鹿児島間が上下とも普通列車となるためで、この区間だけで3時間以上を要していました。
とはいえ、普通列車となった寝台車で人手をかけてベッド解体作業が行われるはずもなく、西鹿児島着まで寝台で寝てようと思えば寝ていられたのです。実際私も9時過ぎ着の隼人あたりまで寝ていました(汗
リクライニングシートの豪華な普通列車なので流石に寝台車の方には誰も乗って来ず、静かに寝続けられるのが至福でした。
最後にこれをご覧ください。
寝台券(「死んだ意見」て変換するアホPC)ではなく指定席券ですが。
この「だいせん5」の指定席車には、A寝台車ナロネ21を改造したナハ21が充当されていました。
初代ブルートレインとして華々しくデビューした20系客車も1970年代以降は急行列車に転用されるようになりますが、急行用座席車を確保するにあたり、余剰となった開放式ロネをハザに改造する手法が採られました。もともと20系にもナハ20という回転クロスシート車はありましたが、寝台車に改造されたり廃車になったりで残存していなかったのです。
上段寝台とボックスごとの仕切りを撤去するだけでそれなりのクロスシート車になるので、とにかく改造費用が安上がり。さらに安く上げるためか下段は寝台への転換可能な構造のままでしたが、座席下から布団部分を引き出して「勝手寝台」にされないよう金具で固定されていました。また、上段撤去跡には荷物棚が新設されています。
ナハ21への改造は高砂と大宮で行われ、竣工後はこの「だいせん」と「十和田」で運用されています。
(「ナハ21」でググっていただくと車内写真が何枚かヒットします。)
高い天井と大きな窓は開放感にあふれシートピッチは広く、座席はシート素材の厚みといい背ズリの角度といい、また、肘掛けにまでモケットが貼られている高級感はもはやソファーに近いものであり、他のクロスシート車とは明らかに一線を画しています。
なにしろ、ロネのヒルネはグリーン車扱いでしたから。非リクの向かい合わせシートにグリーン料金を払う気になるかどうかは別として
しかしながら、もともと1ボックス2人使用という前提のところにナハ21では4人座らせるのですから、いかに寝台幅102cmの下段とはいえ2人並んで座るのはかなり窮屈でした。
また、トイレと洗面所各1か所を撤去し座席化したため、定員が増えたのにトイレと洗面所が減って混雑する場面も見受けられました。
ナハ21はちょっとハイクラス?な普通車としてそこそこ人気があったようですが、老朽車両のさらに改造車という宿命か、登場から10年たたずして全て廃車されたようです。
次回は「寝台車を連結していた普通列車」その他についてお話しします。