藝ある芸備線
芸備線備中神代-備後落合間。
輸送密度が10人台/日とか営業係数が2万超えとか絶望的な数字ばかりが目立っていますが、かつての芸備線は中国山地の交通を支える屋台骨的な存在でもありました。
そんな芸備線の「藝」を探しに行ってきました。
(2021年11月27日撮影。過去の個人FBページに掲載した記事を再編集しました)
その日米子にいた私は、まず新見へと向かいます。
一部の撮り鉄による381系「やくも」への不法行為が問題化する前でした
新見は伯備線の拠点駅であり姫新線の終点駅であり芸備線の実質的起点駅でもある要衝です。
ここで、日に3本しかない備後落合行列車を待ちます。
途中の東城駅までならあと3本(1本は土休日運休)あるのですが、それを合わせても日に6本です。
当時運行していた観光トロッコ列車「奥出雲おろち」運転日には、接続の備後落合行臨時列車が運転されます。今日は土曜日の「おろち」運転日なので、備後落合駅からの折り返し臨時列車と矢神駅で交換するはずです。
JR西の地方交通線のどこにでもいるキハ120単行が入線。
高校生数人を含め10人程度が乗り込みます。輸送密度10人台/日と言われる割には多い乗客数です。
いちおう最前部かぶりつきに立ってはいますが、この区間の前面展望映像はYouTubeなんかで検索すると何本も出てきますし、私ごときの貧弱な装備で同様の前望動画を撮っても仕方ないので、自分のツボにハマった部分をスポット的に撮ってよんかく的な味付けの乗車記録としたいと思います。
出発信号機が進行現示となり、いよいよ発車です。
さっきまで晴れていたのににわかに掻き曇り、ポツポツ降ってきたので運転士氏が前面窓のワイパーを作動させます。
新見駅を出ると複線区間となりますが、しばらく走ると途中で単線に戻ってしまいます。
下はその部分だけの動画です。ワイパーが目障りですが、これのおかげでクリアに撮影できているので文句は言えません。
【動画】新見発車→複線から単線
複線区間が単線に絞られる分岐部分は信号場ではなく、新見駅構内扱いです。
その分岐器を防護する信号機は下り第2出発信号機(上り方は上り第1場内信号機)となっています。
信号機に「2出」の標示
この分岐器はかつてはもう少し下り方にあって複線部分が今より少し長かったのですが、複線部の下をガードで交差する道路の拡幅工事の関係で500メートルほど新見方へ移設されました。
その道路拡幅工事(2014年頃)で分岐器を撤去した際には、複線区間の下り線を使用停止として上り線での単線運転を行なっていたので、ひょっとしてこのまま恒久的に単線化か・・・と思いキヤ、少し短くなったものの複線区間が復活したものです。
単線運転でも支障なかったところを見ると、所定ダイヤではこの複線区間での列車行き違いを想定せず、ダイヤ乱れの際の安全弁的役割を持たせているものと思われます。
単線になってしばらくしてトンネルを抜けると、布原駅手前の大カーブ鉄橋にさしかかります。ここはかつてD51三重連など蒸気機関車の撮影名所だったところで、「布原 SL」などと検索したら面白いほど写真が引っかかってきます。昔の撮り鉄にもショバ代を取ったりするガラの悪い輩がいたそうですが
左側に背の高い布原駅場内信号機が立っていますが、伯備線がタブレット閉そくだった頃には同じ場所に背の高い腕木式信号機(場内信号+通過信号)が立っていました。この区間の自動閉そく化は1972年3月のことですから、その約1年後の蒸機引退時には色灯式信号機に変わっていたことになります。
鉄橋を渡るとすぐ布原駅。国鉄→JR移管までは信号場でした。
蒸機ブームの頃は布原信号場も仮乗降場として旅客の乗降が可能だったので、機能的には今も昔もそんなに変わらないと言ったところです。
伯備線の駅ではあるものの停車するのは数少ない芸備線列車のみで、ホームも1両分程度しかありません。
単行のキハ120は、列車交換もなく侘しく布原を出発します。
トンネルをいくつか抜けると、カーブの向こうに備中神代駅の場内信号機が現れます。
左から「芸備」「伯2」「伯1」とあり、当然ながら「芸備」が進行現示です。
さらにトンネルをくぐると分岐器と備中神代駅ホームが見えてきます。
伯備線の上下ホームへ分かれる分岐器よりも手前で芸備線が単線で左方へ分かれて行きます。
なので、芸備線列車同士の列車交換は不可能な配線です。まぁその必要もありませんが・・・
線路の左側には明らかに線路跡と思われる敷地が見えます。かつてはここにもうひとつの番線か側線があったのでしょう。
【動画】備中神代駅へ進入
さて、やっとここから芸備線です(笑
備中神代を出た列車は左方へ大きくカーブしながら中国山地の奥深くへ挑んで行きます。
坂根駅、市岡駅と丹念に停まり、交換可能駅の矢神駅に到着します。ここでは備後落合発新見行臨時列車との交換があります。
矢神駅構内は、タブレット授受の便を考慮した上りホームと下りホーム互い違いの千鳥式配置で、今でも地方の単線区間でよく見られる形態です。もっとも、タブレット閉そくがほぼ消滅した現在では意味をなさなくなりましたが。
【動画】矢神駅へ進入、臨時列車と交換
芸備線、伯備線ともに昔はタブレット閉そく式(国鉄時代は「通票閉そく式」)だったのですが、1972年の伯備線自動閉そく化に伴い備中神代駅を無人駅とするため、芸備線備中神代-矢神間の1閉そく区間のみ自動閉そく式(特殊)を導入しました。矢神駅から広島方はタブレット閉そく式のまま存置されたものの、これも1983年に特殊自動閉そく式となり、芸備線からタブレットが姿を消しました。
この経緯から現在も備中神代-矢神間が自動閉そく式(特殊)、矢神以西が特殊自動閉そく式と、矢神駅が閉そく方式の境界駅となっています。自動閉そく式(特殊)と特殊自動閉そく式の違いについては、よんかくサイトの新明解通票辞典をご覧ください(両方式とも外見上は全く違いがありませんが)。
重箱の隅つつきですが、閉そく趣味的な観点では芸備線の「藝」の細かさとでも言いましょうか。
列車はさらに進んで岡山県から広島県に入り、東城駅に到着します。既述のとおり、日に6本の定期列車のうち3本がこの駅止まりです。
東城駅下り場内信号機
東城駅は配線上交換可能駅で、下り場内信号機も本線・副本線の2基が設置されていますが、列車の発着には駅舎側の2番線のみが使用され、1番線は信号機が生きているものの使用停止状態です。当駅始発・終着列車も2番線で折り返しており、事実上は閉そく区間境界型の棒線駅です。
なので、矢神-備後落合間34.6キロには列車交換の可能な駅がないということになります。
【動画】東城駅
芸備線は東城駅から大きく北方へ迂回するような線形となり、その北辺にあたる備後落合駅から南下して備後庄原駅方面に至るため、庄原市中心部や三次市方面へは東城-備後庄原間を直線的にショートカットする中国自動車道経由のバスに全く歯が立たない状況です。
東城駅から先はいよいよ、定期列車が3往復の超閑散区間に入ります。雨が降っているせいなのか、線路にうっすら錆が浮いているようにも見えます。
山間部に分け入っていくと、時節柄ではあるのですが落ち葉が線路上に溜まっていて、現役の鉄道路線とは思えない光景が展開します。
決して皮肉でも揶揄でもなく、深まりゆく秋を噛み締めるような芸備線の「藝」を感じる瞬間でした。
【動画】備後八幡→内名間
山間部では、JR西日本名物ともなった15・25・30キロ制限が連発します。
かぶりつきから見る限りでは、巷間よく言われる線路保守の合理化目的というよりも崖下のような落石注意箇所や急カーブなど、物理的に低速運転を強いられるポイントに設定されているように感じられました。まぁそれが間接的に線路保守の合理化につながっていると言われるとそうなのかも知れませんが…
山と川に挟まれながら走り抜けると車窓は高原のような趣となり、小さな街が見えてくると駅が現れ、そんな駅のひとつ、小奴可駅に到着します。
駅の手前で不自然にカーブしている線形、出発信号機が撤去された柱、対面番線の線路とホーム跡などの物件が、かつて交換可能駅だった頃の面影を残しています。
小奴可駅は3往復しか列車が停まらないのに駅前にスーパーやタクシー乗り場があります。
旅行先では地元スーパーに立ち寄るのが好きなよんかくは「フードセンター近江屋」の看板を見ると行きたい衝動に駆られたのですが、ここで降りてしまえば後の予定が滅茶苦茶になるので泣きの涙で見送りです。
小奴可駅前(Google ストリートビュー)
【動画】小奴可駅
小奴可駅の次は道後山駅。芸備線の中では最も北に位置する駅で、ここも対面ホームが残る元・交換可能駅でした。
【動画】道後山駅
駅の西側(画面左側)には高尾原(たかおばら 地名は「こうお」)スキー場が隣接していて、冬季には当駅を起終点とするスキー臨急行「道後山銀嶺」も運転されるほどの盛況ぶりでしたが2011年に廃業、今は見る影もありません。クルマでのアクセスが困難なため列車利用客で賑わったこのスキー場は、芸備線の斜陽化と歩調を合わせるかのように経営が立ち行かなくなったようです。
ゲレンデ跡では折しも高規格道路・鍵掛峠道路(江府三次道路の一部)が建設中で、スキー場の痕跡をとどめるものは何ひとつ無く、ただ土砂を掘り返す重機の姿しか見えません。道後山駅の栄光もスキー場の繁栄も、新しい道路の開通と共に永遠に失われてしまうのでしょうか。
なお、芸備線東城-備後落合間に詳しいサイト「三神線 奥比婆のくろがねの道ものがたり」には、芸備線を走っていた急行列車や廃業後の高尾原スキー場の状況に関する記事が掲載されています。
道後山駅を出た列車は山を避けてさらに北へ進んだのち、180度方向転換するような線形で南進し備後落合駅へと向かいます。
【動画】備後落合駅に到着
備後落合駅は芸備線に木次線が接続する山間の要衝駅です。
さはさりながら、この駅に到着する列車は備中神代方から3本、三次方から5本、木次線から3本と、要衝と言うにはかなり閑散としています。
この駅も道路でのアクセスが良くないため秘境駅呼ばわりされてきましたが、鉄道での到達難度も上がってしまったことから秘境駅度が更にアップしたようです。
2面3線の1番線は木次線、島式ホームの2・3番線が芸備線乗り場です。
島式ホームの屋根下にはかつて、三次市にあった料理旅館「環翠楼」が経営する立ち食いうどん・そばの店「環翠楼支店」があり、おでんを乗せた「おでんうどん」が(一部では有名な)隠れた名物でした。大昔、木次線乗り入れの急行「夜行ちどり」が発着する午前2時台でも店が開いていて、よんかくも2回ほど夜食を調達しました。
当時としても安い380円の駅弁も売っていましたがこちらは買ったことがなく、どんな中身の弁当やったんかなぁと今でも夢に見ることがあります(笑
夜行列車と深夜の立ち食いうどん、これも現在では失われた芸備線の「藝」ではなかったかと思っています。
一段低い屋根の小屋の向こう側に接してその売店はありました
2番乗り場では三次行が連絡待ちをしていました。この直後に木次線からも列車が到着して3列車が鼎座する形となり、各方向への乗り継ぎが可能なダイヤが組まれています。
3方向から列車が集まり3方向へ去っていくイベントの後は、深い山の気と静寂が再びこの駅を覆うことでしょう。
この次に乗り継ぐ木次線列車の発車までの待ち時間、駅の外に出てみました。
芸備線や木次線が元気だった時代、多くの駅職員が働いていた駅舎や広い駅構内も、今では遠き昔を偲ぶだけのものとなってしまいました。
思えばこの駅の存在自体が、芸備線の栄光を最も顕著に表現する「藝」と言えるかも知れません。
列車同士の乗り継ぎ客は数十人いましたが、この駅に用があって下車した人は皆無のようでした。
ただ、待合室では20人ぐらいの団体客らしき人たちがツアコン氏の説明に聞き入っています。ツアコン氏の掲げるフリップによると、木次線の三段式スイッチバック体験ツアーのように見受けられました。
おそらくバスでこの駅まで来て木次線に乗って出雲坂根駅で降りて再びバスでどっかへ行ってしまうのでしょう。
どんな鉄道路線にも光と影の部分、栄光と衰退の歴史があり、ローカル線問題の象徴に祀り上げられている芸備線備中神代-備後落合間においても様々な栄枯盛衰のドラマが織りなされてきました。
そんな芸備線でもあの手この手で利用促進策(存続策)が打たれてはいますが、あまり効果は上がっていないようです。しかしながらそれ以前の問題として、もはや「クルマのほうが便利だから乗らない」のではなく「(乗る乗らないにかかわらず)人そのものが激減している」という重い現実があります。
長きにわたり地域経済を支えてきたはずの鉄路が存続を許容されなくなる・・・この国のカタチがそうなってしまったことは受け止めざるを得ないと思いますし、それに抗う術を持ち得ないこともまた現実です。
芸備線が今後どうなっていくか予断を許しませんが、この路線が演じてきた/演じている「藝」を味わうことができるのはまさに列車が走っているこの瞬間しかないのだと強く感じます。
また日をあらためて、備後落合-広島間の「藝」も見つけに行ければと思っています。
国鉄監修時刻表1977年9月号から