鶴見線の旧国

1989年2月、北海道行の途中に立ち寄りました。
鶴見線はこの時が初乗りです(というか、それ以来乗った覚えがありません…

武蔵白石

当時の大川行は17m車クモハ12で運用されていて、武蔵白石から発車していました。
ホームの湾曲ぶりがすさまじく、中央のドアから乗るのが怖いぐらいです。
20m車が運用される現在の大川支線はひとつ前の安善から分岐し、このホームが撤去された武蔵白石をスルーして大川へ向かいます。

鶴見側から

両運転台化改造車ゆえ、貫通扉の有無で両エンド非対称の顔つきとなっていました。
前面サボ受けは使われなくなってからどのくらい経っていたのでしょうか。

旧型車ならではの大ぶりなパンタがいい形してますね。

ワックスのニオイ漂う板張りの床、通路真ん中に聳えるスタンションポール、人間工学を無視した直角のロングシート、無骨なJNR扇風機、そして白熱灯・・・時が止まっています。
しかしながら、かつて老朽国電の墓場だった頃の阪和線に毎日のように乗っていた私にとっては、実に懐かしい光景でした。
貫通扉のある側の運転席は狭い個室になっていて、その右側は極上のかぶりつきスペースで、これも懐かしい。車内広告が全くないので、まるで保存車両の見学をしているかのようです。

もちろん、走り出すと吊掛駆動のヴォーーーンという唸りが車内を覆います。

網棚には本物の網が使われていました

その後はもちろん、海芝浦へも行きました。
一般客は改札から外へ出ることができない駅として有名ですね。

海芝浦

海芝浦支線にも同形式の車両が就役していました。
この角度から見ると、無数のリベットがまるで麻疹にでも罹患しているような生々しさを覚えます。
引退後も大井工場で保存されているとのことなので、機会があれば再会したいものです。

いっぽう、こちらは旧国とは言えませんが、絶滅種なので一応。

扇 町
南武線尻手

浜川崎支線は2連のワンマン運転で、101系なのに車内放送がバスのようなテープ放送だったのが当時としては目新しく感じられました。

ちなみに私はこのあと宇都宮で一泊し、日光線・両毛線・小海線に初乗りしたのち新宿からムーンライト(のちの「ムーンライトえちご」)で新潟へ向かっています(←いったいいつ北海道に着くねん!?