亀の瀬のすべらない話

JR大和路線(関西本線)河内堅上-三郷間に、大阪方から大和川の北岸を通ってきた線路がいったん南岸に渡り、すぐ北岸に戻る妙な線形の区間があります。

https://maps.app.goo.gl/gp56NvxbBLiLzDQm7

関西本線の前身・大阪鉄道は北岸沿いルートで工事を進めていましたが、古来からの地すべり地帯「亀の瀬」で建設中だった亀瀬トンネルと芝山トンネルが地圧を受けて危険な状態となったため、トンネル区間を人力車による代行輸送として大阪-奈良間を暫定開通させ、両トンネルを統合・改修した(新)亀瀬トンネル完成によって1892(明治25)年2月に初めて鉄路での開通に漕ぎつけました。路線の国有化後にはトンネル北側に複線化用の新トンネルも建造されています。
その後、1932(昭和7)年1月の大規模地すべりによって亀瀬トンネルが上下線とも崩壊、徒歩連絡期間を経て同年12月31日に南岸へ渡る現行ルートが開通し現在に至っています。

ところがその76年後の2008(平成20)年11月、地すべり対策事業の排水トンネル工事中に完全崩壊したものと思われていた亀瀬トンネルの一部が見つかり、「幻のトンネル発見」などとメディアに取り上げられ話題となりました。

「亀の瀬地すべり歴史資料室」パンフレットから

約120年前のトンネル遺構とあって世間の関心は高く、地すべり対策事業を担当する国土交通省大和川河川事務所では定期的に見学会を実施し、2024年3月には既存の地すべり工事対策資料室をリニューアルする形で亀の瀬地すべり歴史資料室がオープン。現在は国交省のインフラツーリズムの一環として行われるガイドツアーでトンネル内部の見学ができます。
というわけで、よんかくもガイドツアーの予約を取ってトンネル見学に出かけてみることにしました。
(2026年4月29日撮影)

現地はまさに地すべり地帯の山の中腹にあり、河内堅上駅または三郷駅から徒歩20〜30分ほどかかり勾配もあるのでクルマで行ったのですが、ハイキングがてら坂道を延々と登ってくる来場者が多いのにびっくりします←よんかくが軟弱なだけ?

ロゴもすべっています。

建物から大和川側を望む広場には駅名標チックなオブジェが立っています。
「亀の瀬」という駅は実際にはなかったのですが、崩壊後のトンネルの両側に亀の瀬西口・亀の瀬東口という徒歩連絡用の仮駅が設置されていたそうです。

資料館は地すべり等防止区域の最西端に近い位置にあるので、大和路線が北岸から南岸へ渡る第四大和川橋梁が間近に見えます。列車もわりと頻繁に来て、見ていて飽きません。
南岸側には地すべり地帯はほとんどなく、川一本隔てただけで地質的な状況が変わるのも不思議です。

【動画】南岸への迂回を強いられている大和路線

ガイドツアー開始まで館内を見学。
いきなり立派なジオラマが置いてあり大和路線の221系が走り回っていますが、川の対岸には崩壊した亀瀬トンネルの姿も見えます。

崩れたトンネルと、茫然とする人々の姿・・・

いやぁこれはほんまに大変やわ

ガイドツアーの集合時刻となったので、ボランティアガイドさんを先頭に10数名1組で出発します。
まずは展示資料を見ながら説明を受けます。数百万年前の2回の火山活動によって、強固な花崗岩の上に高含水性の粘土層が堆積しその境目で地すべりを起こすというメカニズムで、分かっているのかいないのか分かりませんが参加者全員うんうんとうなづいていました←私もその1人 汗

展示資料には「国鉄スミ丸ゴシック」っぽいフォントが使われています

ボランティアガイドさんの着るジャンパーには、亀の瀬地すべり対策事業のキャッチフレーズ「もうすべらせない!!」の文字が躍っていますが、ここ数年で1ミリすべっていたことが判明したそうです。

資料室を出て現地見学です。
地すべり層の地下水を集める集水井が区域内に約50基あり、抜いた水は大和川に放流されます

集水井や集水ボーリングから流れてきた地下水を集めて川へ流す排水トンネル。
坑口の壁面には亀があしらわれています。

トンネルや坑道や洞窟が好きなよんかくはワクワクドキドキしながら歩きます←変態?
今回は多人数ですが、ひとりで歩けと言われればちょっと心細いかも知れません・・・

次はいよいよ本丸の亀瀬隧道へと進入してまいります。

最初はコンクリートの坑道を数百メートル歩きます。当初、排水トンネルとして掘られた部分です。
途中に説明パネルが置いてありました。

すべってズレて振り回されて大変なことで・・・

さらに歩を進めると壁面が吹付けとなり、らしい雰囲気になってきました。

突如現れたレンガ積みのトンネル。

天井部は蒸気機関車の煤煙で黒ずんでいます。

壁面のレンガの積み方が上部と下部とで異なっています。
上部はレンガの長手部分をジグザグに積む「長手積み」で、下部はレンガの長手面と小口面を一段ずつ交互に積む「イギリス積み」です。長手積みは壁面の厚さが薄くなってしまうのに対し、イギリス積みは一段ごとに長手分の厚さとなるので強度が高いとされています。
積み方が途中で変わっていることについての説明はありませんでしたが、明治25年の改修が関係しているのかなとも思ったりしました。

50メートルほど進むと崩落現場に行き着きます。
もちろん展示用に補強がされているのでしょうが実に生々しく、今にも崩れてきそうです。

ひととおり見学ののち、トンネル一面にプロジェクションマッピングの上映が始まりました。
火山噴火シーンに始まり、推古天皇の時代に遡る官道「龍田古道」からトンネル開通までの時の流れが5分ぐらいでせわしなく表現されます。

見学者がいなくなったトンネルは、次のガイドツアーまで暫しの眠りにつきます。

地上に戻って振り返ると、亀ベンチが置いてありました。

そこから少し歩くと「亀の瀬龍王社」なる祠があります。龍田古道の最大の難所と言われた亀の瀬の交通安全を祈願するために多くの信仰を集めたと言われています。

再び資料館に戻ってツアー終了。
資料館や駐車場周辺の地表にあるミステリーサークルは、移動土塊を食い止めるために打たれた直径6.5メートルの巨大な杭(深礎工)の最上部のフタの部分で、地すべり区域内に55本打たれているそうです。

歩き疲れたので、ミュージアムショップにあった「亀の甲羅」でノドを潤しました。
ミドリガメのような色をしていますが味はコーラという、不思議な飲み物です。

しばし休憩ののち帰途につきます。
途中、こんな案内が目についたのでクルマを止めて見に行きました。

川の中に「亀の瀬」の名の元となった亀石というのがあるというので、指し示す方を見ると・・・

写真を引き伸ばしてみるとどうやらこれのことのようです。
「千古万年を経てもその位置と姿が変わらず…」というのが事実なら確かにすごい話ではあります。

心なしか亀石が大和路線の線路を見上げているようにも思えます。
「俺は大昔からずっとここに居座ってるのに、地すべり如きで右往左往する人間どもの小ささには呆れるわ」とでも言いたげなご様子で…