四国鉄道文化館・南館
(四国鉄道文化館・北館のつづき)
北館を見終わり、ぽっぽ橋を渡って南館へまいります。北館で購入した入場券(300円)を見せれば南館にもそのまま入館できます。
南館の前に、鼻の短い新幹線みたいな見慣れぬ車両が・・・

なんとフリーゲージトレイン試験車の実物でした。

国とJR九州が西九州新幹線にフリーゲージトレインを導入する前提で新幹線・在来線で走行試験を行い、予讃線でも走行の実績がありましたが、カーブの多い在来線での走行性能の低下は如何ともし難く、費用対効果が見込めないとして実用化への道は途絶えてしまいました。

フリーゲージトレインの横には南館から出てきたレールが・・・

これも駅構内へと繋がっていきます。

この引き込み線のすぐ横にあるレンガ造りの建物は、ランプ小屋とも呼ばれるカーバイド(炭化カルシウム)倉庫。かつてはカーバイドに水を加えて生成したアセチレンでランプを灯し、夜間整備作業の照明に使っていたそうです。「注水厳禁」「火気厳禁」の表示はそのためなんですね。

南館の中にも展示車両が3両。センターを張るのは、四国では高松所に集中配置されて各線を走り回った強力型急行気動車キハ65の34号車です。
従来の2エンジン車キハ58には冷房電源用エンジンを設置するスペースがなかったため、急行列車の完全冷房化を達成するため高出力エンジン+電源用エンジンを積んだキハ65が登場。キハ28・キハ58の編成の中にキハ65を1両組み込むだけで全車冷房化とともに走行性能アップも実現した名ブースター役でした。

編成中に1両いるだけで十分な効果が発揮できるので基本的にキハ65だけで編成を組むことはなく、急行運用が無くなったのちも他形式との混結で普通列車として走っていました。
高出力を買われリゾートトレインなどに改造された車も多い中、原型をとどめる姿はなかなか貴重です。

冷房装置と空気バネ台車を備え、台車の車体側受け座にドア戸袋が支障しないよう2枚折戸式のドアが採用されるなど、同時期に登場した12系客車と同じ設計思想の画期的な気動車でした。

クロスシートはバケット型に換装されています
少しブレましたが、キハ65の向かって右隣にはC57 44。高崎区を振り出しに、主に東北・北海道で働き岩見沢第一区で引退を迎えた四国とは全く接点のない車でしたが、解体を免れ未知の土地で余生を送っているのは奇妙な縁です。
前照灯は自由にON/OFFできます。横に付いている補助灯は東北・北海道仕様と言えましょうか。

運転席の旋回窓にも豪雪寒冷地を走っていた面影をしのぶことができます。

キハ65をはさんで反対側にあるのはDE10のトップナンバー。一足先にデビューしたDD51ではオーバースぺックとなるような亜幹線や支線区または構内入換作業で活躍し、JR四国では全車引退しましたが現在もJR他社や私鉄の譲渡車の多くが現役です。

1966年に試作配置されて以来ほぼ松山区で過ごし、晩年は少しだけ高松区で働いて引退した四国ひとすじの車でした。

タブレットキャッチャーももちろん装備。またキャッチャーネタか
一見前回のDF50と同じもののようですが、DD51とDE10に装着されたタブレットキャッチャーならではの工夫がありました。

DF50とは違って1つの運転台しかないDD51とDE10は運転方向によりタブレットキャッチャーの向きを変える必要があるため、キャッチャーのフック側(写真左側)を中心に車体に沿って180度回転させることにより、双方向でのキャッチャー使用を可能にしていました。

上の写真のキャッチャー位置は前方(写真右手方向)へ進む形ですが、反対方向へ進む場合は青矢印のようにキャッチャーを回転させて使用します。
そのため、タブレット保護板がキャッチャーの前後に付いています。
こちらも車両以外の展示品が充実しています。

これも「またか」と言われそうですが北館と同様、通票関係一式も陳列されています。
通票閉そく式の説明文は北館と同じものですが、通過授受の様子を捉えた写真も展示してありました。

下の写真も是非解説させてください(爆
通票種別入りの高徳線上り普通列車の乗務員用時刻表で、同線は1977(昭和52)年2月に全線自動閉そく化されているのでかなりの年代モノです。ちなみに当時は「高徳本線」でした。

徳島-吉成間が自動閉そく式なのは、徳島-佐古間が徳島(本)線と単線並列であることと、分岐駅である佐古駅での通票扱いを避ける目的と思われます。徳島線も同じ理由で佐古-蔵本間のひと駅のみ自動閉そく式でした。一方、栗林-高松間の「連」は連査閉そく式で、こちらも配線が複雑な大規模駅である高松駅での通票扱いをなくすための措置でしょう。
あと、「ツルワ」「カンザキ」などカタカナの駅名は気動車列車のみ停車する無人駅(停留所)で、当時の四国内にはこのように普通列車にも通過されるような短小ホームの簡易駅が多くありました。
ひととおり見終わるとジオラマの運転時刻となったので、しばし見物します。


「瀬戸大橋を渡るアンパンマン列車」というJR四国のキラーコンテンツ
次に乗る列車の時刻が近づいてきたので南館を辞し、最後に「十河信二記念館」へ立ち寄ってみました。

国鉄総裁を8年間(1955〜63)務めた十河氏が手腕を発揮した鉄道近代化に対する評価は高く、記念館には氏の生い立ちから経歴・功績に至るまで様々な資料が展示されています。
電車特急「こだま」「つばめ」、北陸トンネル、紀勢本線全通・・・これらも十河総裁の時だったんですね。

鉄道近代化の象徴である東海道新幹線の開業を待たずして国鉄総裁の座を降りた十河氏。
新幹線を四国まで伸ばす夢があったのかどうかは分かりませんが、全国新幹線網の進展と引き換えにズタズタにされた今の在来線の姿を見てどう思っておられるのか、泉下の氏にいちど訊いてみたい気がしました。

