旅客運賃料金キロ程早見表 昭和43年9月
先日、実家の物入れをゴソゴソしていたら、またとんでもないものが出て来ました。

黒い合皮レザー貼り、縦18.3cm×横9.4cm、約150ページの冊子。
表紙にはきっと金文字か何かで冊子名が印字されていたのがきれいに消えてしまっていますが、光に当ててみると「旅客運賃料金キロ程早見表 車掌用(昭和43年9月現在) 大阪鉄道管理局」と読めます。
大昔、鉄道好きだった亡き伯父が何かのツテで知り合いの国鉄職員からもらったものと聞きました。よんかくがまだ小学校に入る前の話だったと思いますが、それ以来その存在を忘れていました。
多少カビ臭くなってはいるものの、装丁はしっかりしています。

この冊子は列車の車掌氏が携帯し、車内で乗車券を発行する際に使用したキロ数早見表です。昭和43(1968)年というと東海道新幹線開業の4年後、1970年大阪万博の直前です。

この当時の国鉄はまだ等級制をとっていて、旅客運賃も1等運賃・2等運賃の2本立てです。
旅客運賃対キロ表には2等運賃、1等運賃、101キロ以上の学割2等運賃、そして◯に「職」の字の国鉄職員向けと思われる運賃が記載されています。この◯職運賃は職員が業務外で国鉄を利用する時に適用される、社員割引のようなものだったのでしょうか。
当時の列車に連結されていた1等車は今のグリーン車に相当し、1等運賃は2等運賃のほぼ1.8〜2倍の額となっていることがわかります。1等と2等の差額欄もありますが、これが何のためにあるのかはのちほどご紹介します。

なお、1等運賃には上位クラスの贅沢税である「通行税」が内税で2割含まれるというタテマエで、そうなると1等と2等の実質的な運賃差は1.5倍ぐらいということになります。
昭和35(1960)年までは1〜3等の3等級制だったので、運賃体系はこれに輪をかけて複雑でした。
旅客運賃対キロ表は3,000キロで終わりで、これ以上はキロ数に規定の料率をかけた金額となります。
3,000キロというと稚内駅から鹿児島中央駅までの距離にほぼ相当し、車内でそんな乗車券を発行すること自体あり得ないでしょう。3,000キロも乗るのは鉄でも苦痛
その次のページには東京都区内、大阪市内と横浜-新横浜間の駅名図。大阪市内の路線が赤でなぞられているのは、きっと幼きよんかくのシワザでしょう(汗

その裏は現在の山手線内・大阪環状線内の割引特定運賃表で、空欄のマスは通常運賃、数字が入っているマスは割引運賃ということのようです。例えば山手線目白駅を起点とすると目黒は10.1キロで通常50円のところ40円、田町・浜松町は通常70円が60円、それ以外の空白マスは通常運賃(20〜50円)となります。

次ページは往復割引の運賃表。当時は片道1,000キロを超える往復きっぷの復路運賃が割引となりました。例えば1,001〜1,020キロ区間の2等往復きっぷの総額は、往路通常運賃2,560円+復路割引運賃2,180円=4,740円と、通常5,120円の約7.4%引となります。

割引率は距離が長いほど高くなり、3,000キロの往復だと往路6,130円+復路4,600円=10,730円、通常の約12.5%引きです。3,000キロも往復するのは鉄でも倒れる
往復割引制度はのちに601キロ以上で復路運賃2割引に改められ、現行では往路・復路運賃それぞれ1割引となっていますが、現実的には今の制度の方がわずかながらお得でしょう。
その往復割引制度も2026年3月限りで廃止となるわけですが・・・
続いて経路変更粁程運賃早見表。なんでここだけキロが漢字の「粁」になっているのか不明です。
経路変更でよくあるパターンを列挙しているものと思われますが、それにしても東京から米原へ上越線回りで行ったり富士-東京間を身延線回りで行くような酔狂な人がそうそういるとも思えません。

さらに不可解なのが次ページの遠距離環状線一覧表。
いやまあ、たしかに経路が重ならなければ循環片道きっぷも発行できるんですが、こんなきっぷを車内で買い求める人がいるとはますます思えません・・・けどよんかくなら幡生回りの大阪-大阪とか広島-広島はやってみたいかな←やるんかい!

ここまでは前座というか導入部で、ここからがこの冊子の肝である駅間キロ程早見表です。
このページから128ページにわたって延々とこんな感じの早見表が続きます。このあたりはまだ主要駅のみの掲載ですが・・・

己斐は現・西広島、袖師は興津-清水間にあった廃駅
下のページなんか、うわ…と声を上げたくなりそうな数字・文字の行列です。
この冊子は文字面の凸凹がないのでオフセット印刷なんですが、これの前の版などはおそらく活版印刷が主流の頃で、細かい活字を1字1字拾いながらの製版作業になります。まぁそれができる職人さんが昔はたくさんいたわけですが。

原稿作りにしても、ワープロもパソコンも電卓もない時代はひとつひとつ手計算や手回し計算機で数値を出していく、気の遠くなるような作業だったものと思います。当時はすでにマルスが稼働していましたから、駅間距離等のデータベースをそこから引っ張ってきて一斉計算・・・というのは無理?(汗
それと、印刷前の校正も大変ですな。
こちらは山陽本線。
当時の大鉄局所属乗務員の担当範囲が分かりませんが、特急や急行への乗務も考えると東は東京、北は新潟、西は博多あたりまでは少なくともカバーする必要はあるでしょうから、広範囲にわたる乗車券を車内で迅速に発券するのは相当な熟練技ですね。

玉島=現・新倉敷
山陽本線から九州各線へ。このあたりまで来るとさすがに主要駅のみの記載となります。


石見大田=現・大田市、馬潟=現・東松江
そして、最も使用頻度が高いと思われる大阪近郊。
このあたりになると、経験の長い車掌氏ならいちいち表を見なくても反射的に運賃がでてくるんでしょうけど。

次は線別キロ程表。これは市販の時刻表などにも載っている数字です。
1等車連結列車が走っている線区には(1・2等)、筑肥線のように2等車だけの線区は(2等)と記され、筑豊本線や長崎本線のように一部区間のみ1等車がある区間はその旨の記載があります。
長崎本線の長崎港駅は当時すでに旅客営業を休止していましたがまだ載っています。

ちなみに、旅行の途中で1等と2等を乗り継ぐ場合は、全区間の2等運賃に1等区間の差額を上乗せした「異級乗車券」が発売されます。
たとえば、下関から1等車で博多まで行き、2等車のみの筑肥線に乗り継いで伊万里まで行く場合、下関-博多間80.0キロ+博多-伊万里間85.4キロ=165.4キロの2等運賃610円に、「旅客運賃対キロ表」の差額欄から求めた下関-博多間80.0キロの1等差額250円をプラスした計860円となります。

東北・北海道方面。駅がかなり省略されていて、北海道の主要線区が1ページ未満に収まってしまっています。

線別キロ程表が終われば新幹線の特急料金表。運賃だけでなく特急料金や急行料金などの各種料金もことごとく等級別で、特急列車の1等車に乗るには1等運賃と1等特急料金が必要でした。
新幹線の特急料金はA・B・Cの3種類に分かれ、B料金は「ひかり」、C料金は「こだま」に適用。A料金は「ひかり」よりも速い列車…今でいう「のぞみ」…を想定して設定されたものだそうですが、A料金は実際に適用されることがないまま、のちに料金が一本化されました。
「ひかり」は全席指定、「こだま」は一部自由席で、国鉄の特急列車で最初に自由席が設定されたのがこの新幹線「こだま」だったそうです。

こちらは在来線の2等特急料金表。

下のページに1等特急料金表。いずれも2等の倍額以上です。

最終ページには、急行料金と準急料金、座席指定料金、寝台料金、それに航路(国鉄連絡船)運賃が掲載されています。
急行料金は距離制、準急料金は定額制で、いずれも1等は2等の2.2倍。急行や準急の指定席を利用するには座席指定料金が必要で、これは現行制度と同じですね(定期の急行列車は走っていませんが)。
特別座席料金は往年の電車特急「つばめ」などに連結されていたクロ151形パーラーカーに乗車する際に必要で、今で言うグランクラスやDXグリーン料金みたいなものでしょうか。
「特定の特別急行料金」についてはよく分かりません。

寝台の1等はのちのA寝台、2等はB寝台です。九州方面や東北方面への寝台特急(ブルートレイン)の1等寝台車利用の場合は1等運賃+1等特急料金+1等寝台料金が必要で、相当な高嶺の花でした。
1等寝台料金は設備によってA・B・Cの3種類に分かれ、Aは個室寝台、Bはプルマン式開放型寝台、Cはツーリスト式寝台に適用されました。ツーリスト式寝台は車両の老朽化とともに早い段階で姿を消したようで、くわしくは「時刻表1961年10月号 山陰編」をご覧ください。
この翌年、昭和44(1969)年5月に国鉄は等級制から現在のモノクラス制に移行。これによって何重にも1等の運賃・料金を払わずとも普通運賃+料金でグリーン車やA寝台車が利用できるようになり、上位クラスへの垣根がグッと下がりました。加えて、グリーン料金とA寝台料金に課せられていた1割の通行税が1989年4月の消費税(3%)導入により廃止され、普通運賃などは消費税転嫁で値上げしたのにグリーン料金とA寝台料金は値下げになるという妙な現象も起こっています。
国鉄・JRの運賃の変遷をたどっていくと、まだまだ面白い発見があるかもしれません。