SUNRISE wow wow wow

スタン・ハンセンとはなんら関係ございません

家族4人で夕餉の食卓を囲んでいたある日のこと、
娘がぽつんと「サンライズに乗りたい」。

一瞬、場が凍りつきました。

聞くと、娘はただ単純に寝台車というものに乗ってみたかっただけとのこと。
彼女は寝台列車というものをほとんど知らないZ世代なのですが、それで寝台車に乗りたいと言い出すのは意外と鉄分が濃厚な証拠なのかも知れません。
私は若い頃から寝台車には結構乗ってますし(ほぼB寝台ですが)、非鉄一般人の妻は北海道で私に無理やり寝台車に乗せられていますし、同じくZ世代の鉄息子は「サンライズ出雲」シングルの乗車経験有なので、娘は自分ひとり寝台車未経験というのに引け目を感じていたのでしょう。←ほんまか

そんな具合なので、息子はともかく非鉄妻からさえも異論が出ず、いつしか「行こうか」という雰囲気にごく自然になってしまっていたのでした。
種々検討の末、ターゲットは最も遅い時間まで乗っていられる東京発出雲市行「サンライズ出雲」一択となりました。私としても「あかつき」以来約17年ぶりの寝台列車なのでプランニングに気合が入ります。

ところで、走行経路の真ん中より西側の土地に住む身としては、「サンライズ出雲」乗車は極めて高くつくお遊びです。
できるだけ前後の旅費を節減すべく往路はEXこだま早得、出雲市からの復路はWEB早得利用の「車中1泊2日弾丸サンライズプラン」を策定しましたが、それでも家計から支出するには費用が嵩みすぎるので、安いながらも月給取りの娘と息子からもしかるべき金額を徴収することとします。

次なる課題は、名だたるプラチナチケットである寝台券が取れるかどうか、です。
発売日以前からちょくちょくe5489でシミュレーションしていましたが、転売ヤーの草刈場2人用個室「サンライズツイン」と「シングルツイン」は10時打ちをしても全く無理だったので、1人用個室「シングル」または「ソロ」を4室取る戦法で行くこととしました。

発売日に「みどりの窓口」で10時打ちしてもらうのが一番よいのですが、都合があり窓口へ行けなかったため、発売開始が近づくとe5489と心中するつもりでスマホを握りしめました。
e5489では1回に1枚ずつしか購入できないので計4回購入操作を繰り返し、なんとか14号車階下の「シングル」4室をおさえることに成功。いかにシーズンオフの6月上旬とはいえ土曜出発でよく取れたと思いましたが、その後も予約状況を見ていたら発売日から2週間ぐらいは「シングル」「ソロ」とも若干空きがあったようで、ちょっと拍子抜けです。

なんとか必要なきっぷが揃い、いよいよ出発の日を迎えました。
「横浜に行ったことがない」という妻と娘を連れて私は「早得こだま」で新横浜へ。息子は仕事終わりに「のぞみ」で東京へ直行することになっています。
先を急がぬ道中ならのんびり「こだま」もいいもんですね・・・途中「のぞみ」と「ひかり」に計16回抜かれましたが。

(2024年6月8〜9日撮影)

昼下がりから「サンライズ」乗車までのわずかな時間ではありますが、桜木町駅を起点にしばしの横浜観光です。

短時間で横浜の主な名所を回るには市営のループバス「あかいくつ」が便利です。
各スポットで乗り降りする時間もあまりないので、まずは一周してみます。

「あかいくつ」の靴跡

大さん橋客船ターミナルには巨大なクルーズ船が碇泊中。
ホテルかマンションのように客室スペースが大きく取れる船舶は、狭いレールに縛られる鉄道とは全く異次元の乗り物やなぁ・・・と、乗る前から「サンライズ」とのあまりに大きな差異を思い知らされた気分です。

赤レンガ倉庫前ではフリマや大道芸大会なんかのイベントで大賑わいです。

ワールドポーターズで「あかいくつ」を脱いで、日本初の都市型ロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」に乗りに行きました。
実はこれに乗るのが私の主目的やったりして(汗

ゴンドラが次々やってくる循環式ロープウェイなので、長い行列ができていましたが10分程度の待ちで乗れました。

振り返ってワールドポーターズ側を見たところ。
かつて桜木町駅北側から分岐して山下公園の方まで延びていた貨物線の築堤が、今は遊歩道となってたくさんの人々が行き交っています。

こちらは桜木町駅方。
ロープウェイの直下でクルマが信号待ちしている光景などフツー見ることはあり得ません。
ここでゴンドラがロープから外れてボテっと下に落ちたら大惨事やぁ…と、ついよからぬことを考えてしまいます。

この後は妻と娘が行きたがっていた新高島の「プラネタリア」へ付き合わされたものの、そのすぐ近くにある「京急ミュージアム」へは時間の都合で行けず(泪)←鉄vs非鉄の力関係

さて、「横浜のハナシばかりでいつになったらサンライズが出てくるのか」と言われそうですが、もう少しお待ちください。
「ドカベン」も最初の3分の1ぐらいは柔道漫画でしたから。関係あれへんがな

そして夜はもちろん中華街で食事&お買い物。夜の中華街も人波が絶えず、しかもこの日は横浜スタジアムでデーゲームがあったため、ベイスターズのユニ姿の人もたくさん流れ込んできていました。

信号機・標識とダダカブリ(娘撮影)

20時過ぎになったところで元町・中華街駅からみなとみらい線で横浜駅へ戻り、いよいよサンライズの待つ東京駅へと向かいます。

丸の内口で息子と落ち合い、明朝の朝食など食料を仕入れて9番ホームへ。
ホームのベンチはすでに、いかにもサンライズ待ちという雰囲気の人たちに陣取られています。
21時25分ごろ、田町から回送されてきた編成が入線してくると、ホームで待っていた人たちの多くがスマホやカメラを構えます。
9番ホームだけただならぬ鉄分濃度です。

【動画】入線

よんかく的には、昔の無骨な夜行列車のような「これから夜道を往くぞ」という風情に欠ける気がしますが、現在唯一の定期寝台列車という稀少な存在感に対しては素直に敬意を表したいと思います。

クハネ285-5・・・この「ネ」の響きがいいですね。0番台なので西日本車(中イモ)です。
この番号表記は西日本車は普通のゴシックで、東海車(海カキ)は国鉄伝統の隅丸ゴシックという違いがあるそうです。

さっそく乗車、入室。ドキドキ。
私のサンライズ乗車経験は大阪→東京間の「ノビノビ座席」だけで、寝台は初めてです。

おお、これがシングル。
ベッド幅や室内スペースの広さは正直、14系客車「ソロ」と変わらない気がしましたが、天井は確かに高いですね。
「ソロ」は階上室への階段部分が大きく出っ張っていて圧迫感があるので、これはかなり大きな違いです。

入り口から内部を。
時計や操作盤があるこちら側に頭を置いて寝ます。
座る時のために、モケットを張った背ズリもありました。

そして浴衣、枕、掛け布団といったリネン類(ちょっと動かしてしまったのでオリジナルの置き方ではありません)。
浴衣の柄は昔の「工」マークの連続体ではなく、浅葱色っぽいタテジマ模様です。
このほか、スリッパも備え付けられています。

・・・と室内撮影会をやっていると、すかさずカレチ氏が車内改札に。
一般の座席車みたいに在席状況が見渡せるのと違って、いちいち入室確認をしないといけないので、この列車では昔ながらの検札が行われます。

「入鋏」というコトバが今も生きています

撮影会の続き(笑
枕頭の時計と操作盤は古いビジホにありそうな感じのもので、ただSOSボタンが異彩を放っています。

この部屋は禁煙席なんですが、サンライズには「喫煙席」の設定があります。現在のJR列車の客室内で喫煙できるのはおそらくこの列車だけではないでしょうか。
昔から個室寝台では喫煙可だったのでその流れなんでしょうが、布団など可燃物の多い室内での喫煙は相当神経を使うのでゆったりと紫煙をくゆらすどころではないのではないかと、タバコを吸わないよんかくは愚考するのです。
ネット上の情報ではサンライズの喫煙席は相当ニオうそうですので、タバコの苦手な方は禁煙席必須ですね。

ラジオサービスは終了して使用できなくなっています。
この車両が登場した1998年は、iPodやらケータイやらスマホやらで所構わず音楽を聴ける環境が今ほどなかったので重宝された機能だったのでしょう。ただ、当時のFMは受信困難地域が多かったので、実際にどれだけ役に立ったのか疑問ではあります。

さて、車内放送では停車駅と到着時刻案内や車内での諸注意などが延々と流れています。
その中で「記念撮影は東京駅出発前にお済ませください」というくだりがありました。最初は意味不明だったのですが、終着駅到着とともに幕回しをして回送表示となるため、方向幕を撮るなら今のうちにということのようです。
ま、そんなこともあろうかと私は乗車前に撮っていました。

定刻21時50分、列車は滑るように動き出しました。
東京を出てその日のうちに停車する横浜、熱海、沼津、富士あたりまでは、駅に着く直前に窓のシェードを下ろさなければ室内を見られてしまうことになります。というか、ほとんどの人は発車前から下ろしっばなしやろ

階下室なので、窓の下辺がプラットホームとほぼ同じ高さです。
こんな感じです@富士駅

サンライズは乗務員交代などのため、1時12分発の浜松から5時25分着の姫路までの間に豊橋・岐阜・米原・大阪で運転停車を行います。
富士を出てちょっと一眠りして目を覚ますと3時20分、米原での運転停車中で、雨が激しく降っています。明日の出雲市の天気予報は雨のち曇りです。
翌朝、目を覚ましたのは山陽本線吉永駅付近でした。ウェブ地図のGPSの精度はたいしたものです。

ほどなく岡山に到着。「サンライズ瀬戸」との分割シーンもまた格好の被写体なのですが、眠たいので私は行きませんでした。どうせYouTubeなんかにたくさん上がってるし

岡山駅を見上げる

「出雲」だけになったサンライズは倉敷から伯備線に入り、高梁川沿いの渓谷を横目に快走します。
昨夜まで横浜、東京にいた自分が今ここを走っているという不思議な感覚こそ、夜行列車の醍醐味ではないかとよんかくは思っています。
出発から到着までカーテン閉めっぱなしで外を見ることができない夜行バスでは絶対に味わえない感覚です。

外も明るくなったので、14号車から10号車のミニラウンジまで列車内探検に出かけてみます。
ミニラウンジは車両の1/3ぐらいのスペースの中に、両側の窓に向かって4席ずつ椅子を並べた、本当にミニなラウンジです。

10号車にはシャワー室がありますが、シャワーカードは始発駅で乗車が始まった途端に売り切れてしまうプラチナカードです。
寝台券の争奪戦に勝ち、かつ、カード争奪戦にも勝ち残った選ばれし人のみがサンライズのシャワー利用という栄誉に(文字どおり)浴することができるという、競争社会の縮図のようなシステムとなっています。
また、最上ランクのA寝台「シングルデラックス」には専用シャワールームがあり、これはこれで格差社会の象徴のようにも思えます。
乗れば社会の諸相を垣間見ることができるサンライズです。

ここは11号車の「サンライズツイン」が並ぶフロア。この階上は「シングルデラックス」が並ぶセレブ空間です。
通路が片側に配置されているところなど、昔の客車個室A寝台や開放型B寝台車を思い起こさせます。

12号車は「ノビノビ座席」ですが、ここは通路側に向かって足の裏がずらりと並んでいるというあまりフォトジェニックではない空間なので、写真は省略させていただきます(汗
13号車には喫煙の「シングル」「シングルツイン」が並びます。

列車は新見駅を出て布原駅にさしかかり、おなじみ?の背の高い場内信号機が出迎えます。
別にどうということはないのですが、芸備線の単行列車で通って以来です。

【動画】布原駅通過

雨は日本海側に近づくにつれ次第に弱まってきましたが、伯耆富士こと大山の姿は雲に覆われている様子で、車内放送でも「今日は大山が見えないので案内は割愛します」みたいなことを言っています。

米子駅に到着。サンライズの旅もいよいよあと1時間を切りました。
宍道湖を望みながら走ると宍道駅。2番線には木次線塗装のキハ120が回送表示で停まっていました。木次線の列車なら3番線に停まるはずなので、山陰本線ローカル運用の車両でしょうか。

【動画】宍道駅を出発

そうこうするうち定刻10時00分、あっけなく出雲市駅に到着。
何かしら、十分堪能したような、まだ乗り足りないような、変な気分のまま下車しました。
東京駅での車内放送のとおり、側面の方向幕は「回送」となっています。


このあとは出雲市駅前温泉「らんぷの湯」で一浴し、風呂上がりには「木次牛乳」。
島根県を訪れるとどうしても「木次」から離れられないよんかくなのでした。

14時37分発「やくも22」で帰途につかなければならないのですが、ドタバタで出雲大社へ参詣して出雲そばの昼食。

ドタバタのばたでん

14時過ぎに出雲市駅に戻ってくると、なにやら異様な雰囲気に包まれて停まっている車両がいます。

そういえば今月中旬がラストランと言われていたことを、今になって思い出しました。

ホームにはカメラを構える面々が多数たむろっていましたが、幕回しも終わってただ停まっているだけなので、絶叫や怒号も起こらず静かな撮影会風景でした(到着時や幕回し中は絶叫や怒号が起こっていたのかも知れませんが)。

我々は帰りの「やくも」に乗ることが最大の目的なので、おとなしく入線を待ちます。

【動画】「やくも22」入線

「サンライズ」や「はるか」みたいなJR西お得意ののぺっとした顔つきの273系新型「やくも」が入ってきます。
車体側面に列車名ロゴが記されているのはよく見ますが、前面にロゴが配されているのは珍しいですね。もう「やくも」としてしか走れない車両です。
これで新旧「やくも」の揃い踏みかと思われましたが、新の入線とともに旧がそそくさと発車していき、待ち構えていた人々は三々五々散っていくようにホームから撤収していきました。

今まで何回も乗ってきた381系への名残惜しさは私にもありますが、今は新車初乗りに気も漫ろになってしまっています。

岡山まで、今朝「サンライズ」で辿ってきた道を戻っていきます。

ところで、「サンライズ」って一体何なのでしょうか。
今までたった2回の乗車経験で多くを語ることはできませんが、「奇跡的に残った寝台列車」とも「残るべくして残った寝台列車」とも、どちらとも言い得る存在ではないかと感じました。
25年超えの車齢、満席でも赤字と言われる運行コストなど「サンライズ」が走り続けるには厳しい条件があまりにも多いのですが、寝台券の入手困難さを思うと、たんに東京と出雲市・高松とを結ぶ交通機関としての役割を超えるものをこの列車は帯びていて、それが動力となってモーターを回して走っているような、そんな気がするのです。
本当に不思議な列車です。

そんな「サンライズ」もいずれ終焉の時を迎えるのでしょうが、これまで日本の成長を影ながら支えてきた「寝台列車」の系譜がそこで途切れてしまうのは非常に残念なので、何らかの形で人々の記憶に残りつづけるような列車であってほしいと、切に願っています。

そんなことを考えているうち、「やくも」は伯耆大山駅を通過して伯備線に入りました。
「サンライズ」車内では悪天候のため案内を割愛された大山が、少し曇りながらも姿を見せてくれました。