軽便 下電 鷲羽山 2 …それと通票

(2023年11月25日撮影)

前日に引き続き、下津井電鉄の起点駅だった旧・下津井駅を訪ねてみました。

下津井電鉄の開業当初は茶屋町駅で国鉄宇野線と接続していたのですが、1972年に児島-茶屋町間が廃止。
私はそのずっと後の1989年6月、四国旅行の途中で児島-下津井間に乗車しています。
全線廃止となったのはその約1年半後、1990年末のことでした。

駅舎は撤去されたもののプラットホームはほぼ原型が残っており、ホーム横の側線上にいろんな保存車両が置かれています。

この旧・下津井駅の敷地及び保存車両は現在も下津井電鉄株式会社の所有ですが、同社の協力のもと地元のボランティアの方々が「下津井みなと電車保存会」として保存活動をされています。

主力車両のモハ1001。
もとはクハでしたが、児島-茶屋町間廃止時に廃車となったモハ52のモーター等電装品を移植してモハ化された車両です。晩年は「落書き電車」と称して車内外への落書きを認めていて、当時の姿をピク誌か何かで見たような記憶があります。

このモハ1001の向こう側には跨線橋があり、そこに向かって線路跡が伸びています。
ここから旧・児島駅までの線路跡は「風の道」というサイクリングロードとして整備され、風光明媚な車窓風景の再現が味わえるそうです。

これはガソリンカーから改造されたクハ5。
前後のバケットは貨客混載の先駆けでしょうか。扉にはご丁寧に「手動扉」と表示されています。

その「手動扉」にはステップが設置されていて、車内に入ることができます。
マスコン、ブレーキ、速度計、手ブレーキという必要最小限の装備の運転席です。

こちらは1988年の瀬戸大橋開通に合わせて新製された2000形「メリーベル」。モハ+サハ+クハの3連1ユニットです。
オープンデッキを備えた観光特化型のユニークな車両ですが、実働期間は路線廃止までのわずか3年足らずでした。

下電には気動車も1両在籍していました。1971年に廃止となった井笠鉄道(笠岡-井原間など)から購入したホジ3。形式のホはボギー車、ジは自走客車の意です。
旅客用ではなく、児島-茶屋町間廃止後の撤去レール輸送用に導入されたものの、エンジン故障のため走ることはなかったそうです。

 

駅跡地の横には、保存会が運営する「下津井小さなてつどう館」があります。

下電は軌間762ミリの軽便鉄道です。
ナローゲージというとおとぎ列車のような究極のコンパクトサイズという印象がありましたが、このようにしてJRの軌間と比べると案外広く感じられました。

誠に嬉しいことにダイヤグラムも展示してありました。
昭和43(1968)年、茶屋町までつながっていた頃のものです。
全線タブレット閉そく式で、種別は茶屋町●林▲福田◼️稗田●児島▲備前赤崎◼️東下津井●下津井というオーダー。下津井から第1種→第2種→第3種→…の順でキレイに並んでいます。

こちらは昭和47(1972)年の児島-茶屋町間廃止直前のもの。
閉そく区間が茶屋町◼️福田●児島▲備前赤崎◼️下津井の4区間に整理されています。
右下の説明にもあるように、児島-茶屋町間はバス代行を交えた超減量ダイヤとなっていました。

非常に細かい話ですが、茶屋町●林▲福田が茶屋町◼️福田と統合されているのには個人的に違和感があります。閉そく器の置き換えの手間を考えれば、茶屋町-福田間を▲とするのがよいと思うのですが。
ただ、これによって下津井方から第2種→第3種→第1種→第2種と整序されているので、意地でも?茶屋町-福田間を◼️にしたかったのかも…と勝手に妄想したりしています(汗
稗田にあった◼️の閉そく器を茶屋町へ、●の閉そく器を福田へ持って行けば可能ですね。

すると、もっとすごいものが見つかりました。
なんの変哲もない運転台のしつらえですが…

ブレーキの上に掲げてある運転時刻表を見ると、上の1968年版よりもさらに閉そく区間が多いのです。
茶屋町▲天城◼️林●福田▲稗田◼️児島小川●児島▲備前赤崎◎琴海◼️東下津井●下津井(◎は第4種楕円)
1968年版の右下に「既に天城・小川・琴海駅での列車交換は行われなくなっている」との注記があるので、それ以前のかなりの年代物ということになります。
ただし、種別は下津井方から1→2→4→3→1→2→3→1→2→3と、琴海-備前赤崎間の第4種が第2種と第3種の間に割り込んでいるような、ちょっと変則的なオーダーとなっています。

そこでWikipediaの備前赤崎駅の歴史の項を見ると、1928年2月6日に「行き違い可能駅となり…」との記述があり、当初は琴海▲児島だったのが備前赤崎駅の閉そく扱い開始によって◎が挿入されたとの推測が成り立ちます。
ちなみに、晩年期には下津井-児島間が1閉そくのスタフ閉そくだった時期がありましたが、瀬戸大橋開通による観光需要増加を見込んで琴海駅の交換設備の復活と自動閉そく化が行われています。
私が下電に初めて乗ったのはその自動閉そく化後で、スタフもタブレットも見ることはできなかったのです…

とにもかくにも、「小さなてつどう館」で大きな収穫を得た私は、保存会の方々の熱心な活動に深く感謝しながら、大満足で下津井駅を後にすることとしました。