反・硬券 -ちょっと懐かし目のペラ券-
以前、硬券ネタを何度か(ここからのシリーズ)掲載したことがありましたが、今回は同じく昭和〜平成初期きっぷコレクションの中から、自動券売機や出札窓口で購入した軟券というかペラ券(硬券でないきっぷ)を数点ご覧いただきます。
まずはよんかくが中学生時代の南海電鉄の券売機きっぷ。自動改札対応の磁気券ですが、感熱紙ではなくスタンプのようにインクで印字する方式でした。子ども券は券面上に赤色の「小」の字が印字されます。
下車駅の係員改札できっぷが欲しい旨告げると、無効印も捺さずにそのまま通してくれました。時に昭和53(1978)年、自動改札とはいえまだ入出場記録の仕組みが導入されていない時代です。

同じ鉄道会社でも、インクスタンプ式のきっぷは駅によってフォントや記載事項など微妙な違いがありました。下の今宮戎駅の券には年表示と発行駅の記載がなく、駅名と金額の間の矢印が妙に長かったりします。
また、スタンプ面の摩耗によって文字が変形していたり、インクの付き過ぎで手にベタベタついたりということも稀にありましたね。

南海の中でも利用客数が少ない駅などでは、券売機や改札機のない有人出札・改札の所もいくつかありました。売上げの多い大規模駅では自動化で人件費を削減し、少ない駅では人件費をかけて人手できっぷを売るというのはどこか矛盾めいた話ではありますが・・・
そんな駅のひとつ、南海高野線(汐見橋線)汐見橋駅の手売りペラ券。

後年、券売機のきっぷも感熱紙化してきました。インクスタンプ式と違ってスタンプ面の摩耗がなくインク不要で、フォントや記載事項も規格統一できるため急速に置き換わっていった印象があります。もちろん印字の耐久性はインクに劣るので、蒐集・保存するにも印字が消えないようにするのがひと苦労です。

京阪電鉄のきっぷには「途中下車前途無効」の文字がありません。かつての京阪では指定駅(京橋、枚方公園、伏見稲荷、三条など)に限り途中下車可能だったためですが、この途中下車制度も1995(平成7)年10月限りで廃止されています。

普通きっぷは自動化されても回数券は長らく自動化されず、11枚綴りの切り離し式非自動券が残っていました。
国鉄・JRの回数券は乗車区間を指定して発売され当該区間以外では使えませんでしたが、それ以外の会社では乗車駅から表示運賃分の区間に乗れる金額表示式のところもありました。関西の私鉄は金額表示式の会社が多かったので、逆に国鉄・JRの区間指定回数券が不自由に思えたものです。

自動改札機に投入しないよう注意

京阪と同じく指定駅途中下車制度があった近畿日本鉄道のきっぷは「途中下車前途無効(指定駅を除く)」と印字され、京阪より少しだけ親切でした。かつての近鉄は900円以上の乗車券は2日間有効かつ途中下車可能、900円未満の乗車券では指定駅(上本町、生駒、大和八木、伊勢中川、橿原神宮前など)でのみ途中下車可能だったのですが、指定駅途中下車制度も2001年1月限りで廃止されました。

この阪急電鉄のきっぷにも年表示がありません。自動改札なので月日だけ印字されていれば事足りるといえば足りるのですが、コレクター泣かせではあります(泪
阪急の初乗り運賃が70円というとだいたい1980(昭和55)年あたりでしょうか。

よく阪急のきっぷの梅田の「田」がオカシイ、とネタにされますが、もともと阪急には「田」のつく駅が多く、乗降客数の多い梅田の判別を容易にするために始まったのが「梅龱」表記と言われています。しかしながら自動改札導入により人の目で見分ける必要がほぼなくなった後もなぜか梅龱表記が残り続け、阪急では今後も変える予定はないとのことです。
阪急も磁気式の自動化きっぷと非自動回数券を併用していた時期がありました。


なぜか梅田駅の駅名印はちゃんとした「田」でした。

阪急はのちに券売機で磁気券の自動化回数券を発売するようになりました。バラの磁気券が11枚発行されるというもので、改札機に投入すると「乗車駅」欄に乗車駅名が印字されて出てきます。
梅田駅の改札機で回数券に印字される乗車駅名は、龱というより完全に口に×印(☒)となっています。

余談ですが、まともに見る人が少ないであろう磁気プリペイドカードの印字まで「口に×印」で徹底していて、一種の執念のようなものを感じます。逆に一番下の大阪市交の「梅田」表記の方がヘンに見えてくるから不思議です。

なお、のちに回数券は磁気カード化され、回数券カードを直接改札機に投入する方式となるわけですが、現在はJRとほぼ全ての大手私鉄では回数券制度そのものがなくなってしまいました。
次は阪神電鉄本線と阪急今津線の今津駅での乗継割引きっぷで、双方の初乗り区間内相互間のきっぷは運賃からそれぞれ大人20円ずつ割り引くというものです。

つづいて主に平成年代の近畿圏以外のきっぷ。青春18きっぷや各社のフリーきっぷ併用で手元に残したものが大半で、年月日の元号はすべて平成です。
東京モノレール羽田駅(現・天空橋駅)から浜松町駅経由のJR連絡きっぷで、地紋は「TMK とうきょうモノレール」。

東急電鉄こどもの国線こどもの国駅から350円区間。今もそうですがこどもの国線の運賃は線内打ち切り計算で、長津田駅で田園都市線に乗り継ぐ場合の運賃は合算となります。それでも当時の東急の350円はかなり高額運賃の部類で、この時は渋谷駅まで買って営団地下鉄(当時)の1日乗車券併用で手元に残したものと思います。
きっぷの地紋が東急の社紋ではなく中小私鉄で多く見られたPJR(Japan Private Railway)共通地紋なのが結構意外だったりします。

東武鉄道伊勢崎線西新井駅と大師前駅のひと駅間を結ぶ東武大師線大師前駅発のきっぷ・・・ではありますが、実際に発売している場所は西新井駅の中間改札です。大師前駅は券売機も改札もない無人駅で、大師前駅から乗った人は西新井駅下車後に中間改札横の券売機で目的地までのきっぷを買って中間改札機を通り、乗り換えホームや出口に行くこととなっていました。
なお、2026年には大師前駅に券売機と改札機を設置して西新井駅の中間改札を廃止する計画があるそうです。

地紋は「TRC とぶてつ」
東武大師線と同様の方法を採用している「ひと駅路線」としてJR山陽本線支線(兵庫-和田岬間)や名古屋鉄道築港線(大江-東名古屋港間)があります。このほか阪神武庫川線(武庫川-武庫川団地前間)では、券売機のない途中駅(東鳴尾と洲先)から乗った人は武庫川駅の乗車駅別券売機できっぷを買って中間改札を通るという方式をとっています。

阪神武庫川線武庫川駅ホームの乗車駅別券売機(2021年2月)
こちらは字が消えかかっていますが、京成電鉄の京成船橋駅から京成津田沼駅経由の新京成電鉄(現・京成電鉄松戸線)乗継きっぷです。京成電鉄も大手私鉄ながら当時はPJR地紋の用紙を使用していました。

次も大手私鉄・小田急電鉄ですが、このきっぷもPJR地紋です。上でPJR地紋は中小私鉄に多いなどと書いてしまいましたが、特に関東方面では大手・中小関係なく広く普及していたようですね。

次は帝都高速度交通営団、現在の東京メトロ(東京地下鉄)です。これも地紋に注目すると、意匠的にはPJRと似ていますが営団Sマークの周囲に「ていとこうそくど」「こうつうえいだん」という文字が延々と流れているスタイル。
当時の営団地下鉄には改札機ではなく有人改札の駅がいくつかあったのですが、下車時に駅員氏にきっぷを手渡そうとすると「台の上に置け」みたいなジェスチャーをされ、「営団ではきっぷを手で受け取ってくれへんねや…」と驚きつつ改札ラッチの台の上に置いて出たことを思い出します。

総武流山電鉄(現・流鉄)の流山駅から馬橋駅経由のJR連絡きっぷです。この時も青春18併用で、手元に残して蒐集したいがためにわざわざJR連絡きっぷを購入したのですが、ご覧のとおりみごとに薄れてほとんど読めなくなってしまいました(泣

富山地方鉄道のきっぷの地紋は当地の名所や風景を取り入れたユニークな図案です。地鉄本線魚津駅は現在の新魚津駅で、当時はJR北陸本線(現・あいの風とやま鉄道)魚津駅との共同駅だったため中間改札がなく、青春18きっぷ併用で手元に残したものです。きっぷは金額式でなく着駅表示式でした。

上の魚津行きっぷは改札口で入鋏され扇形の鋏痕が入っていますが、それから約10年経った岩峅寺行きっぷは改札スタンプに取って代わられていました。
紙製のペラ券きっぷコレクション自体はまだまだあるのですが、今回はちょっと懐かし目Ver.ということで、これにて。
