ちょっと飯田線

(2015年8月1日撮影)

ガッタンゴーからの帰り、ちょっと飯田線に乗ってみました。

息子からは、
「帰りに飯田線乗ろか。ほんの7時間ぐらいやけど」
「うん」
と、何の疑問も抱かせないまま同意を取り付けてあります(←同意と言えるのか?

松本から南進して上諏訪で泊まり。
言うまでもなく上諏訪919発(当時)の豊橋行544Mに乗るためです。
朝の上諏訪は30年以上前の中央夜行441M乗車時以来です。ここで1時間近くドカ停していました。

ホームでは早くもJ海313系の3連が待機しています。
すでに車内にいた数人の乗客は誰も彼も鉄分の濃そうな風体で、ひょっとして全員豊橋まで乗り通すつもりではないのか?と疑心暗鬼になったりします。

ともあれ、鉄ちゃん御用達である進行方向右側に席を取り、7時間の旅のスタートです。
私は過去2回飯田線を乗り通しているので要領はわかっていますが(←何の要領?
息子は全くの初乗りなので、どのあたりで音を上げるのか意外とすんなり乗り通すのか、親としては期待半分不安半分といったところです。
しかしながら、賽は投げられました。

岡谷から旧線に入ります。
塩嶺ルート開業以降は支線扱いとなったものの、停車場間に閉そく信号機が設置されているところにメインルートの面影を見ることができます。
川岸駅を出てしばらくすると、単線架線柱だったのがトラスビームの複線架線柱に変わる区間があり、これはまさしく支線化直後に廃止された平出信号場の跡地です。進行方向右側にあった上り本線跡は完全に雑草や木々に覆われており、第2閉そく信号機が信号場の代役のような顔をして立っています。

辰野からいよいよ飯田線。駅間距離が急に短くなります。

天気も良く、伊那の山々が坦々と続く長閑な車窓を眺めながらええ所やなぁ…と感じ入っていると、早くもアクビが一発出てしまいました。
故・宮脇俊三翁は「飯田線に乗り通してアクビひとつ出なかったら鉄道病院行きの資格がある」みたいなことを書いておられましたが、私には幸か不幸かその資格はないようです。

座っているだけでは変化がないので、列車交換などで長く停車する駅ごとに降りてみることにしました。

駒ヶ根ではふつうは2番線に入るところ、交換も待避もないのに折り返し用の3番線に入線しました。
宮田駅もそうでしたが飯田線の交換可能駅では、私鉄時代の名残りか構内分岐には番数の低いポイントが使われていてカーブが急で、分岐側を通過する列車はモロに速度制限を受けます。

飯田までやってきました。
長野から乗り入れのJ東211系が折り返し待ちの昼寝中です。
上諏訪からここまで約3時間、まだ半分来ていません。

かつて飯田と中津川を結ぶJRバス「いいなかライナー」というのが走っていました。
特急「しなの」との乗り継ぎで名古屋方面-飯田間の速達性を謳い割引きっぷも売られていましたが、乗り換えなしの高速バスには勝てず、廃止となりました。

伊那八幡では特急「伊那路」と交換します。

上下線ともに双方向への出発信号機が設置されているので一線スルーかと思いきや、分岐が両開きなので特急もスピードを落とします。

のんびりと走ってきたこのあたりまでは飯田線の言わば序章で、天竜川に寄り添いながら次第に山間部に分け入っていくと、峻険な山肌を縫うように走る山岳路線に変貌します。

飯田線は伊那電気鉄道(辰野-天竜峡間)・三信鉄道(天竜峡-三河川合間)・鳳来寺鉄道(三河川合-大海間)・豊川鉄道(大海-豊橋間)の4社線を一気に戦時国有化したもので、短い駅間距離など私鉄的な部分が色濃く残っています。
架線柱も、ほとんどが新しいコンクリート柱に立て直されていますが、中には私鉄時代からのものと思われるトラス柱が若干見られました。

残っていた古い架線柱

天竜峡がこの列車のほぼ中間点となります。
ここから秘境駅めぐり?らしき中高年の一団が乗り込んできました。
沿線風景はますます山深くなり、よくこんなところにレールを敷いたなと感心するばかりです。

その一団は為栗で下車。
次の豊橋方面行は2時間以上来ないのでどうするのかなと思いましたが、逆向きの天竜峡行が20数分後に来るので、これで折り返してどこか他の駅で降りたりするのかもしれません。

我々はもちろん先へ進みます。

鶯巣は数ある飯田線の駅名の中で、最も好きな名前です。
他に好きな駅名として、小町屋、高遠原、大嵐 etc.

ただただ天竜川に沿いながら、際どい地形をある時は急カーブで、ある時はトンネルで切り抜けていきます。スピードは上がらず、車輪のフランジがレールを擦るキンキン音が常に鳴り響いています。

伊那小沢で列車交換。

最初は余裕綽々だった息子も、だんだん怪しくなってきました。

このあたりは旧・三信鉄道だったところで、飯田線を形成していた旧4社線のうち最も厳しい路線条件の部分を一手に引き受けてしまったような観があります。
佐久間ダム建設に伴う水窪経由の新線も結構大変なルートなのに、付け替え前の旧線はいかばかりかと察せられます。

中部天竜で7分停車します。

最初、中部天竜とは天竜川の中流部という意味と思っていたら、「なかっぺ」という集落名から採ったものだそうで、読みにくかったからか国鉄買収とともに読みを改めたそうです。

退屈極まった息子はついにゲームを始めました。

どんどん海側へと降りて行っていますが、まだまだカーブや勾配区間の多い山岳路線の趣が続きます。

三河槙原でも列車交換があるので、場内信号機が注意を現示しています。

豊橋までラストスパートと呼べる位置まで来ました。
あと約1時間です。

6時間57分の旅を終え、豊橋に到着しました。
思えばこの車両は、常に飯田線全線を往復しているのですね。
乗っていた我々も疲れましたが、電車もお疲れ様でした。

豊橋に来ると必ず壺屋の稲荷寿司を買うのですが、今日は初めて助六寿司にしてみました。
いつもながらの超甘ったるい稲荷寿司に干瓢だけの細巻き。
疲れたカラダが甘いものを求めていたのか、瞬くうちに平らげました。