四国鉄道文化館・北館
さいきん鉄道関係の展示施設めぐりに凝っているよんかく、今度は四国鉄道文化館に行ってみました。(2026年3月21日撮影)

予讃線伊予西条駅構内を挟むようにして北館と南館があり、「ぽっぽ橋」という陸橋で結ばれています。
それでは、まずは北館を訪問してみましょう。

北館建物の前には腕木式出発信号機&C58 321の動輪。
この手の施設にはよくある物件ではありますが、こういう演出は入館前から気分を盛り上げてくれますね。

振り向いたところには「十河信二記念館」。
東海道新幹線開業への道筋をつけた元・国鉄総裁の十河氏は現在の新居浜市出身で、西条市長も務めた地元の名士でした。
建物に足を踏み入れると、いきなり新幹線0系とDF50がドカーン。
「新幹線の父」十河氏ゆかりの0系と予讃線・土讃線で活躍したDF50の組み合わせは、さすが四国ならではと言えるでしょう。


0系の方はカットボディで完全な展示物ですが、DF50 1の方は現在も車籍があり自走も可能とのことで、載っかっているレールを後方へ辿っていくと伊予西条駅構内につながっています。
ここの0系は1976(昭和51)年落成の最後の広窓タイプで、座席がリクライニングシートに置き換えられています。後付けのルームエアコンがちょっと違和感ですが…

0系、DF50 1ともに運転席が開放されています。
DF50 1の運転席を見に行ってみました。

DF50はエンジンで発電機を回してモーターで走行する電気式ディーゼル機関車で、マスコンは電気機関車仕様となっていて電流計も付いていますが、それでも運転は甲種内燃車運転免許所持の機関士が担当していました。もっとも、DF50全盛期は四国内に電化区間がなかったので内燃車免許所持者しかいなかったんでしょうが・・・

車籍があり自走可能な車両の運転席を一般公開しているのはとても珍しいのですが、機器が壊れて走行不能になったりしないことを願うばかりです。
DF50 1が運用されていた土讃線高知-窪川間は通票閉そく式だったので、運転席窓下には通票通過授受用のタブレットキャッチャーが付いています。DF50 1の引退は1983(昭和58)年9月、高知-窪川間が通票閉そく式から自動閉そく化されたのは1986(昭和61)年11月のことでした。

同じDF50でも、1960年代に自動閉そく化された予讃線高松-松山間が主な働き場の車には、タブレットキャッチャーが撤去されたものもあったようです。

タブレットキャッチャーを下から。
通過授受の際は、キャッチャーを前方に向けて水平に90度回転させ、駅の通票授器にセットされたキャリアのツル(輪)を引っ掛けて取り去ります。
取った瞬間、キャリアが左側のフック部分に引っかってキャッチャーが元の位置に戻るとともに、キャリアの通票収納部が車体に「ドン!」と激しく当たります。そのため、扉の窓ガラス破損防止のため保護柵が設置されています。

反対側のキャッチャーにはキャリアがぶら下げてあり、ちょうどこのような状態となったところで乗務員がキャリアを車内へ取り込みます。
タブレットキャッチャーにタブレットキャリアをぶら下げた展示は見事というほか言葉がありません。
さて、車両以外の展示品も見てみましょう・・・何はともあれ、まずはコレですね。
通票閉そく器がなんと3台も置いてあります。左の2台は伊予西条駅にあった中萩方と石鎚山方のもの、一番右のは石鎚山駅にあった伊予西条方、というテイになっています。

そして通票閉そく式の説明パネル。他の博物館や資料館の同様の説明書に比べると、かなり分かりやすく書かれているように思います。駅名標の絵がJR四国仕様ならなお良し、とも思いましたが

通票(タブレット)とタブレットキャリア。
キャリアの輪の部分を白のビニテープでグルグル巻きにするのは、国鉄四国総局→JR四国の伝統とも言えるものです。

ちなみに、『鉄道ピクトリアル』の表紙写真に、この白い輪のキャリアが写っているものがありました。

その下に乗務員用時刻表(スタフ)が4枚陳列されていますが、おっ!と思ったのは通票閉そく時代の松山以西の時刻表で、薄く色褪せながらも通票種別が記載されています。
9603Dという列車番号からして急行「うわじま」の多客臨と思われます。

通票閉そく式の区間は伊予吉田駅までで、伊予吉田-宇和島間は自動閉そく式となっています。当時は予土線がすでに自動閉そく化されており、分岐駅である北宇和島駅を無人駅とするためにこの区間だけ先行して自動化したものと思われます。
この時刻表で特徴的なのは、いくつかの駅では右端の「記事」欄に旗竿のような腕木式場内信号機の略図が描かれていることです。番線の多い駅などでは場内信号機が複数基あるので、誤認を防止するために青く塗られている腕木の現示に従うよう注意を促す目的と思われます。上から4つ目の三秋信号場では、1番線の場内信号機と通過信号機に従うべし、という意味でしょう。

この隣には行き止まり線時代の内子線の時刻表。五郎駅で分岐し、通票種別は●です。

非自動関係で言えばもうひとつ、腕木式信号機の信号てこがあります。これは信号機とは繋がっておらず、単なるモニュメントとして置かれています。

そしてサボや愛称板、ヘッドマークの数々。
国鉄時代の四国ではサボの色が予讃線系は紺色または白色、土讃線系は橙色、高徳線系は緑色と色分けされていました。3方向へ列車が発車する高松駅での誤乗を防ぐのが主な目的と言われています。

このほかにもいろいろ展示物がありますので、興味のある方はぜひ足を運ばれてはいかがでしょうか。

次は南館の方へとまいります。
