交通科学博物館 その2
(「その1」からつづく。2013年7月20日撮影)
屋外展示でまず目を引くのはキハ81。
ブルドッグやらおたふくかぜやらと揶揄され初期トラブルも多かった車ですが、国内初の特急型気動車として打ち立てた金字塔は揺らがないところです(立派なプロモーション映画も作られています)。
最晩年は和歌山区に配転され、「くろしお」として最長天王寺-名古屋間を走破したりしていました。なので、阪和線沿線に住んでいた私にとっては「はつかり」より「くろしお」のイメージです。なにしろ昔の天鉄局管内は老朽車の墓場でして
同じ屋根の下にはシロクニとデゴイチ(右側切れていますが)が仲良く鎮座していましたが、現在は京都鉄道博物館と津山まなびの鉄道館とに別れ別れとなっています。
デゴイチのうしろでは食堂車ナシ20レストランが営業していました。
1回だけ入ったことがありますが車窓が動かないし揺れもないので、事故で立ち往生しているみたいな変な感じでした。
京都鉄博に移ったのちも相変わらず食堂をやっていますが、今はあいにくコロナで休業中とのことです。
反対側はこんな感じ(場外から撮影)。
230形タンク式機関車、マロネフ59 、クハ86001。
このほかホール横にはDD54やDF50などが置いてあり、現在は京都鉄博または津山で見ることができます。
狭いながらも屋内にも何両か展示車両があります。
このEF52も最晩年は今はなき竜華区に流れ着き、これも今はなき阪和貨物線経由で貨物列車を牽いていたのを何度も見ています。
のちにEF58に置き換えられて引退し、阪和線ではゴハチが貨物を牽く光景が見られました。
0系はちょうど環状線のガード下にあたる部分に、グリーン車とビュッフェ車を含む4両が展示されていました。
車内は見学可能でしたが、グリーン車だけは休憩場所として長時間居座られると困るからか、外からしか見られなかったように記憶しています。
0系の横にはリニアモーターカー・ML500。
日豊線沿いの宮崎実験線を走っていた初代試験車両として有名ですね。
実物の車両のほか、モックアップもいくつか。
(以下の写真は2013年8月23日撮影)
この日は息子を連れて来たので、さっそく英才教育を施しました(爆
101系電車のカットモデルには客室部分に車掌スイッチとマスコンが設置され、どちらも操作可能です。
マスコンを動かすと電動カム軸式主制御器がガタガタと回転するところを透明な床板を通して見ることができるという、なかなかのマニアックさでした。
展示車両はほぼすべてが京都鉄博などへ移されていますが、こういう体験型の展示装置や、「その1」に掲載した通票閉そくの説明装置やマルス102やCTC表示盤などがどの程度継承されているのかはちょっと気になるところです。
京都鉄博へはまだ1回しか行ったことがなく完全に見切れていないので、車両以外の展示品については今度じっくりとチェックしたいと思っています。
そのほかの展示品。
これは悪天候の時、駅長室の出入口横のところに掛かっていましたね。
ところで、東京にあった交通博物館もそうでしたが、鉄道に限定せず交通全般について学び考えるという壮大なコンセプトがあったようで、航空機や自動車、船舶などの鉄道以外の展示も多少ですが置かれていました。もっとも、子どもの頃はなぜここに自動車や飛行機が置いてあるのか不思議に思っていましたが。
写真には撮っていませんが、東名高速バスのような大物からダットサンやミゼットといった大衆車、小型飛行機の現物やボーイング707の車輪とか、これまた好きな方にはたまらない??物件が陳列されていました。
そして2014年4月、その任を京都鉄博に譲って閉館しました。
京都鉄博のようなスマートな施設とは違い、古いなりの泥臭さはありましたが、私の鉄道趣味の礎を築いてくれたと言っても過言ではない交通科学博物館の思い出です。