山陰周遊券 1981

またまた古いきっぷのお話です。
私が高校の夏休みの時に使った山陰ワイド周遊券です。

先般掲載した北海道ワイド東北ワイドと違って自由周遊区間を路線単位で明示する必要があり、B券片には有効な区間が図示してありました。

山陰周遊券とはいうものの、地域区分上の山陰地方のみならず兵庫県と京都府の北部まで広くカバーしています。
まあ綾部、福知山などは山陰本線上にありますから山陰地方と強弁できないこともないと思いますが。そしたら京都駅も山陰地方どすな

このうち倉吉線(倉吉-山守間)、大社線(出雲市-大社間)、そして三江線(三次-江津間)は鬼籍入りしていますし、破線の国鉄バス路線(自動車線)に至ってはJR系のバス会社に移行した路線が皆無です。
なお、松江-三次間は現在、一畑バスが広島行高速バスとして運行しています。

さて、この地図を見て何か足りない…?とお気づきの方は周遊券世代のオールドファンか、よほど鉄道路線に詳しい方でしょう。
なんと、全線鳥取県内にある若桜線(現・若桜鉄道 郡家-若桜間)が自由周遊区間に入っていないのです。単なる事務的な抜け落ちとも到底思えないので、若桜線を山陰地方に入れることができない何か深い理由があったのでしょうか。
なお、若桜鉄道になったのちも、周遊券制度の廃止とともに登場した「周遊きっぷ」のゾーン券でも無視され続けるという悲運の路線でした。

悲運の若桜鉄道

そんな若桜線の1977年9月当時の時刻表です。

現在の若桜鉄道の半分ぐらいの列車本数です。客レも2往復ありました。
早朝の1往復はグリーン車連結ですが、これは332Dが鳥取駅到着後に急行「砂丘1」に化ける運用だったためで、グリーン開放とせず営業扱いとしていたのは「砂丘」のグリーン客に忖度したためでしょうか。
のち、普通車の混雑がひどいためグリーン車の営業扱いをやめて「乗車可、着席不可」の開放扱いとしたのですが、各座席の前に乗客が佇むという異様な光景のニュース映像が流れるなどしたため世間の不興を買い、シートカバーを外した上で着席可としたというエピソードがあります。

グリーン車連結の普通列車といえば、上述の大社線は多かったですね。
もちろんいずれも急行編成の間合い運用や急行崩れによるものですが、果たしてこの区間に限った需要はあったのでしょうか?

急行「だいせん2」崩れの125レは大ミハの10系寝台車と旧型客車からなる編成で、グリーン車はスロ62でした。旧客グリーン車の普通列車運用はなかなか貴重だったのではないかと思いますが、折り返し126レにはグリーンマークがなく、開放していたとも思えないので乗車不可扱いだったのでしょうか。
大社行最終421Dは名古屋発となっていますが、これは怪経路急行として有名だった「大社」崩れ列車です。

出雲と大社

周遊券に戻り、裏面をご覧いただきます。

「山陰自由周遊区間」は文字で書くと1のようになります。いくらアタマの中に路線図を描いてもなかなかピンときませんね。

ところで(ご案内)の1のみが右寄りになっているのは、表面右上部がいわゆる「小児断線」のスペースだったためで、こども用の場合はこの部分を切り取ることになっていました。

赤色の部分を切り取るとこども用になります

詳細な記録は残っていませんが、この時の旅行では図示してある路線はすべて(若桜線も別運賃を払って)乗車しました。
当時は「だいせん」「ちどり」「さんべ」「山陰」など夜行列車が潤沢に走っており、自由周遊区間内だけで一夜を明かすことも可能でした。
欲を言えば自動車線も乗りたかったのですが、鉄道だけで手一杯だったので全く乗らずじまいです。

さまざまな思い出が尽きない周遊券は、私の鉄旅の原点ともいえるプラチナチケットです。
使用済み周遊券を高値でメ●カリに出しているけしからん輩もいますが