時刻表1977年9月号【優等列車の連続停車】
今回は特急・急行といった、運賃の他に料金を要する国鉄(JR)の優等列車の連続停車がテーマです。
あくまで在来線の特急・急行が対象なので、「こだま」など新幹線の各停型列車は?という無粋なツッコミは勘弁してくださいね(汗
現在においても特急列車が2駅3駅と連続停車するケースは枚挙にいとまがありませんが、
・東海道本線「湘南2」平塚→大船間、常磐線「ときわ54」土浦→龍ケ崎市間の連続5駅
・中央本線「あずさ」茅野→岡谷間、日豊本線「きりしま」霧島神宮→加治木間の連続4駅
あたりを筆頭として、通勤特急やホームライナー的性格の列車、あるいは乗降客数の多い主要駅が連接している区間に多く見られます。
JTB時刻表2023年3月号から
では、特急より停車駅の多い「急行」という種別があった当時、優等列車の連続停車が今より多かったのか少なかったのか、ちょっと覗いてみることにしましょう。
ちなみに、特急・急行列車で隣の駅まで1駅だけ乗る場合であっても特急料金または急行料金が必要です。
石勝線や宮崎空港線、青森-新青森間、早岐-佐世保間など、特別な理由による特急料金不要の特例区間がいくつか設けられてはいますが、それ以外は1駅間でも料金徴収の対象となります。まぁ特急や急行で隣の駅へ行こうという人は普通はいないでしょうけど。
ただ、仮に連続停車区間だけ乗る場合であっても、一般的に特急・急行列車は普通列車よりグレードの高い車両を使用するぶん、料金面に差がつくのは当然と言えば当然でしょう。
しかしながら、車両のグレードという点で疑問符のつく優等列車が過去には多々ありました。前回までの分割併結編でたびたび登場した「遜色急行」の部類で、かつて全国で一般形車両のキハ20系などによる急行列車が多く設定されていたのは急行型気動車の絶対数不足のほか、単行の急行列車には両運転台の一般型気動車を使わざるを得なかったという事情もありました。
また、それ以降でも115系、221系やキハ75、キハ40などが急行列車として運用されていた事例や、あえて名称は挙げませんが「遜色特急」の香り高い列車もあちこちに見られました。
遜色急行之図(鉄道ピクトリアルNo.768(2005年11月号)から)
前置きが長くなりましたが、まずは中央本線から。
急行「アルプス」が茅野→岡谷間4駅連続停車。一方「あずさ」は茅野・上諏訪の2駅連続にとどまっていましたが、のちの急行廃止の代償として停車駅が「アルプス」並みに増加しました。普門寺信号場(茅野-上諏訪間)から岡谷までの単線区間では列車交換の頻度が高く、優等列車といえども必然的に停車駅が増えてしまうという事情もあります。
停車駅増加の反面、「あずさ」新宿-松本間の所要時間は塩嶺ルート開業や新型車両の投入により、当時の3時間半超えから現在は2時間40分前後にまで短縮されています。
外房線の急行「外房」は上総興津-安房鴨川間で5駅連続で停車しています。
それだけ商品価値のある駅が並んでいるということではあるのですが、大原-安房鴨川間途中駅8駅のうち通過駅が2駅しかないのに急行列車を維持するのはどうなん?という気もします。もっとも、大原からは15分後に237Mが続行するので、途中から普通列車に種別変更する理由もないといえばないのですが。
余談ですが、当時の「外房」3往復のうち2往復は両国発着です(残り1往復は新宿発着)。両国駅が房総方面へのターミナル機能をまだ細々ながら残していた時代でした。
こちらは福知山線の急行「丹波」。
朝の上りと夕方の下りは市島-谷川間で5駅連続停車します。当時はまだ全線単線かつ非電化で宝塚以南も牧歌的な客車列車が多く、阪急宝塚線との競争を完全に放棄していた時代でした。
寝台列車「だいせん」は寝台車と普通車は10系、グリーン車はスロフ62という古めかしい編成で、この直後1978年から20系客車の固定編成に変更となっています。
続いては信越本線経由の長野-上野間急行「信州」。
碓氷峠が現役だった頃で、EF63連結解放のためどんな優等列車でも横川・軽井沢は必ず連続停車となります。
「信州1」は篠ノ井-坂城間の4駅、御代田-横川間の5駅が連続停車となるなど見るからに停車駅が多い列車で、長野-高崎間の途中駅23駅のうち通過駅は10駅しかありません。その右隣の「信州2」に至っては長野-軽井沢間を普通列車として走っていますが、これはその時間帯に通勤通学用の普通列車を設定するための措置であって、その次の「信州3」の長野-軽井沢間は再びよく停まる急行に戻っています。
ここで「信州」の名誉のために付け加えると、高崎-上野間の途中停車駅は熊谷・大宮・赤羽のみ、上り1号と下り全列車の所要時間は80分台と、同区間を走る現行の特急「草津・四万」と比べても遜色のない走りを見せていました。
ただし上りの2〜5号は熊谷で10分程度の特急待ち停車があって残念なんですが。<名誉回復になってへんがな
常磐線「そうま1・いわき1」は、勿来-平(現・いわき)間6駅連続停車です。
平で「そうま1」と磐越東線に入る「いわき1」を分割し、2ルートに分かれて仙台を目指します。6駅連続停車区間では前後に普通列車が設定されているので、この区間だけやむなく急行に乗らざるを得ない理由はほとんどないものと思われます。
水戸-平間は各列車の指定席グリーン車と自由席グリーン車を併結する珍しい編成でした。
お次は九州・肥薩線の矢岳越え区間です。
2020年7月豪雨の影響で現在も八代-吉松間の不通が続いています。
急行「えびの」「やたけ」が一部を除き人吉-吉松間5駅連続停車し、さらに栗野にも停まる「やたけ」は6駅連続停車となります。
言うまでもなく人吉-吉松間は全国でも屈指の鉄道難所。大畑と真幸には通過不可能な配線のスイッチバックがあり、しかも普通列車が5往復しかないので、急行全駅停車でもやむを得ないと思わせる路線環境にあります。
そんな中で特急「おおよど」は人吉-吉松間ノンストップのように記されていますが、大畑と真幸では折り返しのための運転停車を行うのでドアが開くか開かないかだけの違いであり、事実上の通過駅は矢岳のみでした。
特急としての面目を保つために同区間のノンストップ表記が必要だったのでしょうか。
さて、6駅連続停車まで来たわけですが、連続停車駅数のチャンピオンは意外なところに潜んでおりました。
宮津線(現・京都丹後鉄道宮舞線、宮豊線)の上り急行「丹後2」が丹後神野(現・小天橋)-宮津間9駅連続停車で最長記録、そして「丹後5」が網野-宮津間7駅連続で次点となっています。丹後方面は天橋立をはじめとして観光資源が豊富なところで、舞鶴や京都方面との行き来も多いことから停車価値の高い駅が連続しているのでしょうが、豊岡-天橋立間は「丹波3」のように普通列車として走ってもよさそうなものではないかと思うのです。
さらに、このような連続停車列車は上り・下り双方でシンメトリカルに設定されるものですが、下りは「丹後1」の宮津-網野間7駅連続停車が最長で、対称なスジとなっていないのも不思議です。
というところで「優等列車の連続停車」編は予定終了でございます。
時刻表1977年9月号シリーズ、次回は「国鉄・私鉄乗り入れ」特集でお送りします。