エキサイティング駅スタンプ 日豊本線編

まず日豊本線を南からのぼっていきます。

いつもながら捺し方が雑で申し訳ありません(汗
初午は2月最初の午の日に稲荷社系の神社で行われる祭りで、隼人駅が最寄りの鹿児島神宮で行われる初午祭を指しています。鹿児島神宮へは肥薩線日当山駅からも歩いて行けますが発着列車が少なく、途中に山道もあるようです。

桜の名所・母智丘公園の西都城駅と、甌穴群と滝がある関之尾公園の都城駅。市の中心部に近いのは西都城駅の方で、全列車が停車し折り返し列車も多く設定されています。
西都城駅はコンコースは広いもののガランとしており賑わいという点では都城駅に譲りますが、駅前にある「せとやま弁当」は西都城・都城駅弁を古くから販売している老舗で、私も都城方面へ赴いた時は毎回かしわめしなどを購入することにしています。
このスタンプの1982年当時は西都城駅から志布志線が分岐していて、日南線・大隅線(廃止)とあわせて宮崎・鹿児島南部に一大鉄道網を形成していました。

1977年9月号時刻表(以下同じ)

宮崎発日南・志布志経由都城行や佐土原発日南・大隅経由隼人行といった大回り列車があったり、結構融通無碍なダイヤが設定されています。
とりわけ西鹿児島発急行「大隅」は、国分で大隅線経由志布志行快速を分割して日豊本線を走り、西都城から志布志線経由で志布志・油津へ向かうという、名前に反して大隅線を通らない列車でした。

志布志線末吉駅跡にある末吉町鉄道記念館(1991年11月)

日豊本線に戻って、延岡駅です。

延岡市内を流れる五ヶ瀬川に「やな」という木組みのダムのようなものを設け、狭い流れ口を通ろうとする鮎を竹のスノコに落として捕獲する伝統的漁法が「鮎やな」とのことです。
かつてはここから高千穂線が分岐していましたが、三セク高千穂鉄道転換後の2005年9月に襲来した台風の被害が甚大だったため復旧を断念、そのまま廃線となりました。

私は1982年の旅行時に高千穂線に乗りましたが、この時も大雨で日豊本線ともどもダイヤが大幅に乱れていたことを鮮明に覚えています。
地上105mと日本一の高さを誇る高千穂橋梁(深角-天岩戸間)がこの路線の白眉ですが、現在は廃線跡の線路を活用した「高千穂あまてらす鉄道」という鉄道アトラクションで、この高千穂橋梁を渡ることができるようです。

今回の日豊本線のスタンプは大分駅で終わりで、久大本線に入ります。

旧・豊後森機関区にある扇形機関庫は、このスタンプ当時には廃墟化しつつあったのが、保存運動の結果現在は登録有形文化財となり「豊後森機関庫公園」として整備されています。

豊後森→由布院間代行バス車中から(2020年11月23日)

当時は隣の恵良駅から分岐する宮原線(みやのはるせん・恵良-肥後小国間)の全列車が豊後森駅発着で、スタンプはその乗り換えの際に捺したものです。
宮原線全線を走り通す列車は土曜以外は日に3往復、しかも久大本線との接続も良いとは言えず乗車難度が極めて高い路線でしたが、当時最新鋭だったキハ40が早々に投入されていました。
宝泉寺駅では列車交換と折り返しがあった関係で同駅を境に2閉そく区間が設定され、両区間とも票券閉そく式を施行していました。

今回ラストは豊肥本線立野駅と高森線(現・南阿蘇鉄道)高森駅です。

丸型の「わたしの旅スタンプ」は「黒:自然の景色が特色の駅」「赤:動物や植物が特色の駅」「紫:温泉が特色の駅」のどれかに分類され、高森駅のものは分かるのですが、立野駅のは図柄がスイッチバックなのに紫色の「温泉が特色の駅」ということになっています。
さらに不思議なことに「立野駅スタンプ」で検索すると、同じ図柄で黒・赤の印影もヒットします。原則に拠るならば黒が最も近いイメージですが、スタンプ台交換の際にたまたま調達できた色のものを置いていたのでしょうか、謎です。

南阿蘇鉄道は、2016年の地震以来不通が続いていた立野駅-中松駅間が今年7月に復旧して全線運転を再開するとのことで、高千穂あまてらす鉄道と組み合わせて訪問したいところです。