鉄道球団

かつて、いくつもの鉄道会社がプロ野球チームを持っていました。

今は2球団だけですが、私の若い頃は近鉄、南海、阪急も球団持ち鉄道で、パ・リーグ6球団中4球団が鉄道系という時期がありました。
その昔には国鉄スワローズや西鉄ライオンズというのもありましたが、私が物心のつく以前の話なのでここでは触れないでおきます(汗

私は長年の近鉄バファローズファンでした。
小学生の頃から子ども会にも入り、藤井寺球場や日生球場(どちらもすでに跡形もありませんが)に足繁く通ったものです。
当時のファンクラブは気前が良く、2000円程度の年会費を払えば帽子やレッスンバッグ、カレンダーなどのグッズのほか10枚綴りの球場招待券がもらえ、しかもその招待券がなくなればまた追加でもらえるという無料観戦し放題状態でした。
2シーズン制時代は日程の関係で最初からダブルヘッダーが数回組まれていて、それもよく観に行きました。やる方も疲れるでしょうが観る方も疲れます。

中学生になってからは大人向けファンクラブ会員となります。子ども会のように流石にタダで見放題とはいきませんでしたが、それでもホームでは半額優待、ビジターでも割引特典がありました。

藤井寺球場のファンクラブ優待入場券

藤井寺球場は近鉄藤井寺駅から徒歩5分ぐらいのところにあり、ふだんは準急と普通しか停まらない藤井寺に、試合日はヘッドマークをつけた急行が臨時停車しました。試合終了後には藤井寺仕立列車も数本運転されました。
現在の球場跡地には私立学校などが建っていますが、球場があったことを示す野球小僧の像以外に往時を偲ばせるものはありません。

近鉄は年に2〜3カードだけ、旧・ナゴヤ球場での主催試合もありました。
たしかに名古屋も近鉄沿線ですから不思議ではないものの、客の入りは推して知るべしの惨憺たるものでした。私も観戦のためにわざわざ名古屋まで行ったことはなく、鉄旅の途中でついでに寄った程度です。
この日、名鉄ナゴヤ球場前駅(現・山王駅)に降り立つと下車客は数人で、とてもプロ野球開催日とは思えない静かさだったことを思い出します。

ナゴヤ球場での主催試合チケット タダ券を流用?

南海ホークスは難波の大阪球場がホームグラウンドでした。
ここも現在わざとらしい公園付き商業施設なんばパークスとなり、ホームベースのあった位置にはモニュメントが設置されています。
近鉄ファンですが沿線住民だったこともあって南海も好きで、あのスリバチ球場にもよく見に行きました。大阪球場はとにかく観客の飛ばすヤジが面白く、試合はともかくそっちの方が楽しみなところがありました。
「門田〜豚まんやるからこっち来い」とかもう最高でした。

野村監督が去って弱小球団化したホークスが今のような優勝争いの常連に生まれ変わるとは、隔世の感があります。

もうひとつの大阪球場の思い出は1979年、阪急ブレーブスとのプレーオフです。
当時の藤井寺には照明設備がなく収容人数も少なかったため、プレーオフと日本シリーズは大阪球場をホームとして借用していました。
近鉄にとって憎き宿敵だった阪急に3タテを喰らわせ、初のリーグ優勝を達成した記念すべき年でした。シリーズでは江夏の21球にやられましたが。

ここも鉄旅の途中に寄っています。

完全にアウェー状態でした

3塁側では当時吉祥寺にあった近鉄百貨店の関係者が細々とラッパ応援をしていましたが、それもライオンズファンの歓声にかき消されるありさまで、完全なアウェー状態。しかもこの頃、私は球場に足を運べば負けるというジンクスに囚われており、この日も見事コテンパンでした。
試合終了後は所沢へ出てレッドアローで新宿へ向かい、中央東線夜行鈍行441Mで夜を明かしています。

当時は西武の黄金時代で、わが近鉄は下位に甘んじたり、ペナント争いに加わってもあと一歩及ばずということが続き、1989年10月の対西武ダブルヘッダーでブライアントの4打席連続本塁打が飛び出すまでの8年間、優勝から遠ざかっていました。

思えば近鉄は不思議なチームです。
「いてまえ打線」に象徴される集団的破壊力はあるのに、選手一人一人は意外と勝負弱い。
ヒット1本出たら逆転サヨナラの場面に回ってきた打者はほぼ三振か邪飛かピーゴロ。
ファンの誰もが「あと1人抑えてくれ」と祈っている中ランナーを溜めて被弾。
優勝するときも例外なく最後の最後まで縺れこみ、ファンに楽をさせてくれない。

2001年、北川の逆転サヨナラ満塁本塁打で優勝を決めたのが最後の華でした。
この試合の相手だったオリックスと合併するとは誰が想像し得たでしょうか。

2005年、近鉄球団消滅とともに応援すべきチームがなくなった私は、急速にプロ野球から離れていきました。
とはいうものの野球自体は好きなので今もたまに観戦することはありますが、オールスターやシリーズではどうしてもパの方に肩入れしてしまいます。
プロ野球が、近鉄がというより、パ・リーグが好きだったのかも知れません。

セ・リーグにも忘れた頃にたまに優勝する鉄道球団がありますが、残念ながらセのことはよくわからないのでこの辺で失礼いたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です