連動閉そく式の謎

『運転保安設備の解説』3(連動閉そく式)のつづきと言えばつづきかな…)

先般、連動閉そく式のことをアップしたのはいいのですが、私の中で何かモヤモヤとした気持ちの悪いものが残りつづけていました。その気持ちの悪さを皆様にも味わっていただきたく・・・
「そんなん要らんわ!」とはおっしゃらず、今回もどうぞお付き合いくださいませ。

謎の1 連動閉そく式の発祥の地はどこ?
『日本国有鉄道百年史』によれば、連動閉そく式の初導入は1943(昭和18)年、室蘭本線静狩-小幌信号場(現・小幌駅)-礼文間となっています。
当時、室蘭本線の単線区間は通票閉そく式を施行していましたが、新設された小幌信号場が構内にトンネルが介在する特殊な構造のため通票授受が困難という理由で、この区間のみ連動閉そく式に切り替えられたものとされています。

一方、同じような事情で連動閉そく式が導入されたのが仙山線奥新川-山寺間で、こちらは1937(昭和12)年の作並-山寺間開業の際、仙山トンネル内に設けられた面白山信号場での通票授受が困難だったという理由でした。
また併合閉そくの話になりますが、作並-山寺間では奥新川駅と面白山信号場の閉そく扱いを休止して1閉そくとする併合閉そくが行われていました。併合時は票券閉そく式となるため普段トークンレスの奥新川-山寺間でも通票や通券を持って走ったわけですが、幸か不幸?か作並駅の仙台方と山寺駅の羽前千歳方も通票閉そく式だったため作並-山寺間併合時は仙台駅から羽前千歳駅まで全区間トークン方式となり、こうすることによって連動閉そく式併合時にありがちな通票不携帯のリスクヘッジとしていた…というのは考えすぎでしょうか(汗

通票閉そく器の左側に山寺方の併合用通券箱(鉄道ピクトリアルNo.630) 

なお、1985年3月には仙山線の特殊自動閉そく化・CTC化により、貴重な存在だった連動閉そく式が通票閉そく式とともに消え去っています。

さて、ここまででお気づきのように、連動閉そく式の初導入は1943(昭和18)年の室蘭本線とされていながら、仙山線では1937(昭和12)年に導入されていたという歴史的事実?があります。『日本国有鉄道百年史』が仙山線を見落としていたのか、はたまた面白山信号場開設当初はトンネル内でアクロバティックな通票授受をしていたけど、これではたまらんということで室蘭本線に続いて導入されたのか(←それはないわ 汗
『日本国有鉄道百年史』が間違いならば、それでは連動閉そく式を本当に最初に導入したのはどこ?ということになりますが、同じく『日本国有鉄道百年史 年表』をひもとくと大正4(1915)年に「東海道本線京都・神戸間に連動閉塞器の使用を開始」という記述を発見しました。

しかししかし、東海道本線のこの区間は明治年代に複線化されているのになぜ単線用の閉そく装置である連動閉そく器がこんなところに出てくるのかが分かりません。おそらく複線用の非自動閉そく方式である「双信閉そく式」や他の方式と勘違いしているのではないかとよんかくは睨んでいるのですが・・・とりあえず『日本国有鉄道百年史』はあまり信用ならんということははっきりしました

謎の2 阪神電車に連動閉そく式?
国土交通省が毎年公表している『鉄道統計年報』の「4.施設・車両」→「(12) 信号保安設備表」は、国内全鉄道・軌道路線の閉そく方式と施行キロ数が集計された一覧表で、エクセルでダウンロードできます。

『鉄道統計年報』令和5年度から

この表の「連動」列には当然のことながら軒並み「0」が続いているのですが、そうでないところを抽出してみますと・・・

まず「奥羽線1.8」は、JR線最後の連動閉そく式区間である貨物支線(土崎-秋田港間)です。
その下の「宇都宮市0.8」と「芳賀市(芳賀町の誤り)0.1」は宇都宮ライトレール関連で間違いありませんが、全長14.6キロのうちどの部分を指すのか不明で、それ以前に同線は全線複線で、かつ地上要員が徹底して無人化されているのに連動閉そく式というのが全く腑に落ちません。
さらに腑に落ちないのがその次の「阪神電気鉄道1.7」で、3路線しかないとはいえ大手私鉄の一員たる阪神のどこが連動閉そく式なのか?と調べてみると、この数値は武庫川線の営業キロ1.7キロと一致することからおそらく同線を指すものと考えられます。この武庫川線は阪神で唯一の単線路線なので、万が一にも連動閉そく式の可能性はなきにしもあらずといったところです。

たまたま、少し前に武庫川線に乗ってきた時の写真がありました。(2021年2月21日撮影)

いかにもな車両

起点の阪神本線武庫川駅の武庫川線ホームは全くの無人でした。連動閉そく式などの非自動閉そく路線なら必ず駅長が立哨して列車を出迎え、発車の時には出発指示合図を送るはずなのですが。
下り出発信号機がYの注意現示です。武庫川線は全線45km/h制限なので出発・場内信号機にはG(進行)がなく、YとYY(警戒)とR(停止)の3種類しか現示しません。

唯一の列車交換可能駅である東鳴尾駅の場内信号機もY現示。2編成運用で列車交換が行われる時のみYYの警戒現示が出て、上下同時進入を可能としています。連動閉そく式なら信号現示はRとG(またはY)の2現示しか出せないはずです。

東鳴尾駅に到着。この駅も無人駅というか駅舎自体がなく、もちろん駅長の姿もありません。

終着の武庫川団地前駅。ここも終日完全無人駅です。右側に分岐する線路は現在使用されておらず出発信号機もないため、実質的には棒線終着駅です。もちろん列車運行のたびに閉そく作業が行われている気配も何もありません。


【結論】どこが連動閉そく式やねん!

ではなぜ阪神武庫川線が連動閉そく式に分類されているのかよんかくなりに考えてみたのですが、阪神電鉄内部では「複線の自動閉そく」を自動閉そく式、「単線の自動閉そく」を連動閉そく式と呼称しているのではないかとの仮説を立ててみました。つまりは国鉄時代の非自動閉そく式としての連動閉そく式と異なる定義を阪神電鉄では持っていて、にもかかわらず国交省が同社からの報告をそのままエントリーしているのではないかという疑惑?です。
ただこの仮説も全く根拠のない話ではなく、現在のJRでいうところの「自動閉そく式(特殊)」が最初は連動閉そく式の一形態に分類されていたとの記述が『運転保安設備の解説』(下記)にあり、武庫川線の閉そく方式もこの自動閉そく式(特殊)と同じ仕組みを導入しているのならある程度合点がいかないこともないのです。←歯切れ悪すぎ

この自動閉そく式(特殊)こそ、連動閉そく式の特徴である連続した軌道回路をそのまま流用して自動化したもので、連動閉そく式衰退の主因となった方式です。
阪神武庫川線は1943(昭和18)年以来の歴史を持つ路線で、開業当初は「本来の」連動閉そく式を施行していた可能性がありますが、鉄道信号の技術革新が進むとともに連動閉そく式→自動閉そく式(特殊)に移行したものの、名称は連動閉そく式を踏襲したまま変更されていないのかも知れません。
一方、国交省も阪神電鉄から「連動閉そく式1.7キロ」との報告を受けた時に何ら疑問を持たないのもおかしな話で、正確な統計を作るためには少なくとも阪神電鉄の言う「連動閉そく式」の内容について、認識の齟齬がないか照会すべきではないかと思うのです。もちろんこれは宇都宮ライトレールについても言えることです。

結局、連動閉そく式とは何だったのか
連動閉そく式が開発された目的は「通票授受の廃止による運転業務の近代化」でしたが、せっかく連続軌道回路の設置など多大の設備投資をしても各停車場に閉そく扱い要員が必要なのは従来方式と変わらないため、人員削減など合理化の推進といった中長期的な視点よりも、とりあえずは運転現場の「通票を扱わずに済む」という効果に主眼が置かれていたように見受けられます。
一時期は上越線高崎-新潟間のような長距離路線にも導入された連動閉そく式でしたが、最盛期でもわずか500キロ程度しか施行されなかったのは設置費用の問題もさることながら、小幌信号場や面白山信号場のように物理的に通票授受が困難な区間、あるいは八高線群馬藤岡ー北藤岡間のように通票閉そく式区間と自動閉そく式区間との「つなぎ役」として限定的に導入されるなど、次第に補助的な使われ方に転じていったことによるものと思われます。
連動閉そく式が登場した昭和10年代というと単線の自動閉そく式がまだ試験的段階で、依然として非自動閉そくの優位性が揺るぎなかった中、トークンレスという触れ込みでデビューしたものの中途半端な立ち位置に据えられた上にハシゴを外された形となったところに、連動閉そく式の悲哀が感じられます。

連動閉そく式に関する情報はネット上でも書籍でも概要的なものしか出回っておらず、開発や運用に関わった方々のほとんどは鬼籍に入られていてこれ以上の情報は望むべくもないので、初のトークンレス方式として鉄道閉そく史の1ページを飾ることには変わりないものの、これを以て瞑すべし、とせざるを得ないのかなと思っています。