緑の電車、緑の球団

(2025年12月27日撮影)

年末から年始にかけて「南海電鉄140周年記念 南海ホークス展」が開催されていたので行ってきました。かつてのホークス本拠地・大阪球場とゆかりの深い難波の大阪髙島屋が会場です。
元・近鉄バファローズのファンだったよんかくにとって南海ホークスはライバルチームではありましたが、私の世代のホークス観は鶴岡監督や杉浦投手等のいた黄金期終焉後の万年Bクラス球団というイメージで、敵ながら判官贔屓的に応援(近鉄戦以外)したくなる不思議な魅力を持ったチームでした。大阪球場へは近鉄戦はもちろん他チームとの試合も時々足を運び、ガラガラのスタンドの風景が今も心に残っています。

掛布さんのイベントをやってたのは全く知りませんでした

初日は開場前から200人程度並んでいたそうですが、その翌日の昼間なのでちょっと落ち着いています。

入場券を購入。正規料金は900円ですが、南海アプリなどの割引で700円になりました。
髙島屋主催なのでレシートも律儀に手渡されます。

場内は撮影禁止だったので中の様子は残念ながらここには掲載できませんが、選手の使っていたユニフォームや道具、その他球団関係の展示品が数多く陳列され、懐かしさもひとしおでした。

場内で唯一、写真撮影可だったのがここ。このスコアボードもさることながら両チームのメンバーもこれまた懐かしい。
1985(昭和60)年あたりの穴吹監督時代でしょうか、トリオ・ザ・山内の一角・山内孝徳とライオンズのエース工藤公康の投げ合いで、近鉄移籍前の新井宏昌、DH門田博光、センター山本和範、キャッチャーはドカベン香川と錚々たる(と自分では思っている)メンバー。
対するライオンズは広岡監督が黄金時代を築き上げた頃で、石毛、片平(元南海)、秋山そして伊東にはバファローズもよくやられました(悲

そして出口の外にはグッズショップという、よくあるレイアウト。
ホークス関係のウェアやグッズがたくさん並べられていましたが、野球的に中立なカレンダーを購入しました。

これも場外になりますが、捕手兼4番打者兼監督の重責を担いつつホークスを牽引した野村克也氏のユニフォーム等が展示してありました。
球団との確執により南海時代を封印し「ホークスメモリアルギャラリー」への展示も許可しなかった野村氏(&妻)でしたが、没後はバッテリーを組んでいた江本孟紀氏とご遺族の尽力によって2021年、難波の地に氏の遺品が帰ってきました。

ホークスの前身は南海鉄道(現在の南海本線)を親会社とする「南海軍」(1938(昭和13)年創設)で、1944年には戦時統合で南海鉄道が関西急行鉄道(現在の近鉄奈良線)と合併させられ「近畿日本鉄道」となり、球団名を「近畿日本軍」に改名。このあたりは鉄道史の一端も垣間見えて興味深いところです。
終戦後の1946年には車輪の意味も込めて「近畿グレートリング」に再改名するも、翌1947年には近畿日本鉄道から旧・南海鉄道が分離し南海電気鉄道となったのを機に「南海ホークス」と再々改名。「グレートリング」が英語圏では人前で言えないスラングだったこともあるのですが、それにしても絶妙なタイミングで南海が復活してくれたものです(汗 
その後、近畿日本鉄道は1949年に近鉄パールス(→バファロー→バファローズ)を発足させたため、同社は時間差で2つの球団を保有していたことになります。

そして1950年、それまで堺市の大浜球場や中モズ球場を本拠としていたホークスは晴れて大阪球場(大阪スタヂアム)を開設。球場内にはスケートリンクやビリヤード場、「土井勝料理学校」などの施設も併設されていたため、ホークスが飛び去った1988年シーズン終了後もしばらく解体されず、スコアボードや観客席もそのままの状態でグラウンド内に劇団四季の常設小屋が設けられたり、最末期には住宅展示場になったりしていました。

大阪球場跡地に建てられた商業施設「なんばパークス」の2階広場に、ピッチャーズプレートとホームベースのモニュメントが埋め込まれています。ただ、本来これらがあった位置は厳密には店舗内にあたるため、モニュメントはそこから若干ズレた位置に設けられているようです。→BallparkBar Blog「なんばパークスのピッチャープレートとホームベース」

 

プレートからホームは規定どおり18.44メートル離れているのですが、その間には開催中のイルミネーションイベントの飾り付けが鎮座していて見通すことはできません(泪

パークス9階にある「南海ホークスメモリアルギャラリー」は以前行ったことがあるのですが、ショーケースのガラスの写り込みが激しくてマトモな写真が撮れなかったので、今回はパス。こちらに1枚だけ写真を載せています。

その他もろもろの用事を済ませて難波駅。よんかくの帰り道とは違うんですが南海本線のホームへ向かいます。

高野線ホームでは鉄道むすめラッピングの泉北車が発車待ち

かつて南海といえば「緑の電車」がキャッチフレーズみたいになっていたのですが、ステンレス車以外の鋼製車は1990年代からグレー基調に紺とオレンジのラインを配した塗色に変更。
そして今回、南海創業140周年記念として本線の特急車10000系+一般車7100系の1編成を往年の緑塗色に復元して走らせているというので、待ち構えることにしました。

【動画】旧塗色の7100系+10000系

和歌山市方の前面にはホークスのペットマークのヘッドマーク。
南海ぽく円板だと嬉しかったんですが、特急車には円板の差し込み金具が付いていません。

初代社章「羽車」を抽象化した2代目社章も復活しています。

難波方の一般車。こちらは円板の副標が掲出されています。
よんかくが子どもの頃には方向幕はもちろん、貫通扉の車番も付いていませんでした。

経営上の理由で球団を手放した南海はホークスと完全に縁を断ち切ったものと思っていたのですが、意外にもホークスへのリスペクトを持ち続けていることに静かな感銘を受けました。
球団を最後までお荷物扱いし、躊躇なく他球団と合併させてしまった近隣の鉄道会社とは大違いです。

緑の電車と緑の球団。
ホークスの伝統が今なお息づいていることに少し、いや、かなり羨ましさを感じたよんかくでした。