ゆすばるDAY
赤駅から行橋方へひと駅戻って、油須原駅で下車しました。
大牟田市でリサイクル業をされている株式会社森商事がネーミングライツを取得し、車内アナウンスでも「もりしょうじゆすばる」と案内されます。「もりしょうじ」は京阪電車にも有り〼
この駅は平成筑豊鉄道HPで「レトロ感ただよう木造駅舎」と紹介される沿線名所で、冬季を除く第2日曜日には「月イチゆすばるマルシェ」が開催されています。
第2日曜日は赤村トロッコ油須原線と月イチゆすばるマルシェの両方が開催される「油須原DAY」です。
さて、油須原駅の「これ」探訪の前に、気になる物件があるので行ってみます。
下り(田川伊田方)ホームの端っこに佇む奇妙なモノ・・・
通票(タブレット)を通過授受する際に、列車から通票キャリアを投げるターゲットとなる通票受器です。先日の加悦鉄道資料館に置いてあった丹後山田駅の受器のようなメカニックなものではなく、全国あちこちで見られたスパイラル型、俗に「グルグル」「蚊取り線香」などとも呼ばれていたものです。
通過列車を迎える際には、先端の玉が列車の方を向くようにスパイラルを90度回転させます
この型もラセンの最大径や巻き数、柱の高さなど、線区や車両の特性などに応じて様々なバリエーションがありました。
こちらでスパイラル型の受器、組み木型の授器などがご覧いただけます。
→ よんかくチャンネル「八高線のタブレット」
余談ながら、通票受器を「タブレットキャッチャー」と紹介しているサイト等が結構多いのですが、タブレットキャッチャーは車両側面に取り付けられ、通過列車の乗務員が駅の授器から通票キャリアを取り去るのを補助するための用具です。
タブレットキャッチャー(DD54@京都鉄博)
さてこんどは件の「これ」を見に、ホームの下り方に行ってみます。
田川線の出発信号機は運転席からの視認性を良くするため背が低く、よんかくの身長とほぼ変わりません。
腕木式信号機の信号てこと、やや離れて信号機本体。この信号機は誰でも自由に操作することができます。
正規の信号機と誤認しないようやや線路から離れた位置に建てられています。特殊自動閉そく式なので誤認のしようがないのですが・・・
てこの右に写っている白い柱は通票授器で、上部の四角い部分にキャリアの通票収納部を挟み込むようにセットし、通過列車の乗務員が取り去って行くのを待ちます。
なにはともあれ、早速信号機を操作してみます。
【動画】腕木式信号機操作
信号機までの距離が短いのでてこを倒すのにそんなに力は要らず、子どもの力でも十分と思われます。
続いて駅舎へ。「月イチゆすばるマルシェ」開催日で、駅舎内外に10人ぐらいの来客と職員の方が数名います。まだ早い時間帯なので、これから来客数も増えていくことでしょう。
駅事務室の中にはやっぱりこれがないとですね。
ここも加悦鉄道資料館と同様に2台が結線されていて、両者で閉そく作業を行うことができます。
ホーム上では男の子がキャリアを肩にフライ旗を持ってポーズ
「ボンボン」と鳴るバネ型電鈴。昔の振り子時計の報時で同じような音を聞いた覚えがあります。
こちらは「チンチン」と鳴る鐘型電鈴。
このほかにも「カンカン」と甲高い音色の壺型電鈴というのもありましたが、壺型は3方向以上への通票閉そく器が置かれる場合にのみ登場する貴重品で、現在はどの展示施設に行っても滅多にお目にかかれません。
その横には、輪の部分が他の地域のものより一回り大きい九州独特のタブレットキャリア。
輪の部分のワイヤーが皮革そのままではなく、スエードのように起毛加工したもので包まれているのも九州型キャリアの特徴です。
おそれおおくも閉そく器の内部まで見せていただきました。
内部を見るのはこれが初めてではないのですが、電気的な接点と下部引手のロック機構があるだけのシンプルな仕組みながら、確実に閉そくを実現するアイディアにはいつも感心させられます。
さて、いよいよ念願の閉そくやります!
やり方は知ってるつもりだったのですが、いざ現物を前にするとアタマの中が真っ白になってしまいました(大汗
なので、職員氏にコーチングしてもらいながらの危なっかしい閉そく作業です。
【動画】閉そく作業(作業の一環としてやや大きな音声が出ます)
こうして取り出した通票を列車に渡し、隣駅へ通票が到着したら原則として閉そく解除作業が行われます。
下の解除動画は上の動画の「当駅」と「隣駅」が逆となります。
【動画】閉そく解除作業
1989年10月にJRから平成筑豊鉄道に移管されてからも、田川線では1991年3月まで通票(タブレット)閉そく式が現役でした。それから30年以上経つわけですが、閉そく器の操作に詳しい職員氏がおられるのは嬉しいですね。大変お世話になりました。
チンチンボンボン大奮闘のあとは、展示物をじっくり見てまわります。
第2種を「ヨンカク」と書いてくれている展示って意外と少ないんですよ・・・感激です。
下の写真左側は国鉄時代の貨物列車、右側は平成筑豊鉄道移管直後の運転士用時刻表です。
左側ダイヤの苅田港(かんだこう)駅は石炭やセメントを船積みするための貨物駅で、勾金-苅田港間で運転されていたセメント列車の空車回送と直方機関区への単機回送というスジです。
また、油須原-勾金間に「内田」とあるのは当時存在していた内田信号場で、平成筑豊鉄道移管とともに廃止となりました。現在の内田駅は内田信号場跡と異なる位置にある棒線駅です。
右側の移管後ダイヤからは「内田」の記載が消えるとともに崎山駅での閉そく扱いがなくなって、犀川-油須原間と油須原-勾金間がそれぞれ1閉そくとなっています。
移管直後は崎山駅での列車交換を解消して棒線駅という扱いにしていたものと思われますが、その後の列車増発によって崎山駅での列車交換が復活しています。
内田信号場方への通票仮置場も再現。かなり芸が細かいです
普段は無人駅ですが、出札窓口も再現されていました。
九州内では最古の木造駅舎とのことです。
いち小駅に過ぎない油須原駅ですが、長編成の貨物列車が行き交っていた当時の躍動感や鉄道員の情熱に触れることのできるメモリアル施設として貴重な存在だと感じました。
次の金田行列車が到着すると「月イチゆすばるマルシェ」目当ての観光客らしき人々が多数下車。私は懇切丁寧にご説明いただいた職員の皆さんにお礼申し上げつつ、その列車に乗り込みました。
次は、教えを請わずに閉そく作業できるようスキルアップして再訪したいですね。←どないしてスキルアップすんねん
次回は内田信号場跡など非自動な痕跡を求めながら、シリーズの締めとする予定です。