列車の編成ご案内1977 〜北海道〜 &席番ご案内
前回に引き続き、今回からは交通公社の時刻表1977年9月号「列車の編成ご案内」の在来線列車を北から順に見て行きたいと思います。
まずは北海道。
釧路特急「おおぞら」は3往復とも函館発着で全車指定席&食堂車連結。滝川駅経由で長駆681.2キロを走り抜き、列車番号は1D〜6Dの1桁ナンバーという北海道を代表する列車です。一部列車は旭川発着編成を併結し、後に出てくる「北斗」「いしかり」の補完役でもありました。

下は函館駅発の午前中ダイヤで、青函連絡船の到着に合わせ優等列車が次々と発っていきます。青函1便に接続するのは「おおぞら1」と函館本線山線経由旭川行特急「北海」、同じく山線経由急行「ニセコ1」。「ニセコ」もかつてはC62重連やDD51重連で名を馳せた名列車で、この時点ではキハ28・58での運転となっていました。この「ニセコ」、基本は函館-札幌間なんですが、上り「ニセコ2」だけはなぜか根室830発-函館2305着と、特急「おおぞら」も成し得なかった根室本線全線走破を平然とやってのける驚異の迷列車でもありました。

編成表に戻って函館-網走間特急「おおとり」、札幌・旭川特急「北斗」と「北海」(夏季は網走まで延長)、札幌-網走間特急「オホーツク」。いずれもグリーン車・食堂車連結の格調高き特別急行列車でした。こんなことを言うとその下の「いしかり」が格下のように聞こえますが、「いしかり」は当時国鉄が大々的に売り出していた「エル特急」のひとつで、2時間ごとのパターンダイヤと自由席主体の手軽さで都市間輸送を担う、今の特急「カムイ」に相当する列車でした。

夜行急行として函館-札幌間急行「すずらん」、札幌起点の釧路急行「狩勝」、網走急行「大雪」、稚内急行「利尻」。「利尻」以外は気動車による昼行運転もありましたが、周遊券世代のよんかくには夜行列車のイメージが鮮烈です。
いずれも10系など旧型客車によるロネ・ハネ・ロザ・ハザのカルテット編成で、「狩勝」は他の3列車と一線を画す寝台車主体の全車指定席。旅客にはあまり関係がないけど鉄ちゃんには大いに関係がある荷物車や郵便車も記載されており、「すずらん」は上り函館行のみ荷物車と郵便荷物合造車(おそらくスユニ60)が連結されていましたが、長万部駅ではスユニをどうやって2両目に連結していたのか?謎です。
「大雪5」3号車と「利尻」2号車はA・B寝台合造車のオロハネ10で、車体中央の乗降扉の両側にそれぞれA寝台・B寝台が配置されていました。オロハネ10の新製時(ナロハネ10)は中央本線や信越本線などに投入されましたが、1977年時点では北海道内のみの運用となっていたようです。
昼行急行は函館-稚内間「宗谷」のみの掲載で、昼行「狩勝」「大雪」や上述の「ニセコ」、天北線(廃止)経由札幌-稚内間「天北」などの長距離急行は割愛されています。このほか道内には支線区を含め津々浦々に急行列車が設定され、当ブログのこのページにも出てきた都市間連絡の「ちとせ」や、「いぶり」「らいでん」「天都」などキハ22単行あるいは2連の遜色急行が活躍する時代でした。
さてここでちょっと脱線(!)して、「列車の編成ご案内」の前ページに掲載されていた「指定席・寝台の席番ご案内」をご覧いただきましょう。
新幹線車両はすべて0系で、N700系の一部などを除いて現在とほぼ同じ座席配置ですが、こうして見るとビュフェの存在感が思いのほか大きい気がします。綴じ目で見にくいですが左端には公衆電話と売店が描かれています。
A寝台は1人用個室と開放2段式。「はやぶさ」「富士」「出雲」に連結されていたオール個室のオロネ25は各室が枕木方向に並び、のちにシングルデラックスと名付けられた車両です。そして初代ブルートレインの20系編成だった博多発着「あさかぜ」にはナロネ20が連結されていました。車両の半分はかつて「ルーメット」と呼ばれた個室が進行方向に配置され、残りの半室は2段ベッドの開放式A寝台。両者の料金差は2〜3,000円と決して大きくなく、個室寝台券は今でいうところの「サンライズ」シングルデラックス並みのプラチナチケットだったと察せられます。

B寝台車についても客車2段式・電車2段式・客車3段式の全パターンが記載されています。また、B寝台車のトイレは全て和式でしたがA寝台車には洋式が設置されており、細かいですがこの平面図でも便器の形がちゃんと描き分けられています。
電車特急普通車は大きく2パターンあり、481系などの回転クロスシート式リクライニングシート車と、列車名が列挙されているのが581系などの非リクライニングボックスシート車で、これが寝台車になった時の姿が上の「B寝台(電車)」です。気動車特急普通車はキハ80系などの回転式非リクライニングのいわゆるロマンスシートで、背ズリが分かれていない2人掛けなので平面図でもA・B席あるいはC・D席の間に仕切り線が入っていません。
下には国鉄ハイウェイバスと青函連絡船上位船室の平面図。当時の国鉄ハイウェイバスは東名・名神高速線と中国高速線のみ、夜行は東京-京都・大阪間のドリーム号4往復という時代で、4列シートでしたが車内トイレが設置されたのは画期的でした。青函連絡船のグリーン船室・寝台についてはこちらのページをご覧ください。
次回は、主に現在のJR東日本エリアの「編成ご案内」をご案内する予定です。