道内時刻表1985年8月号 その5 深名線・羽幌線・留萌線・旭川の読み方
今回からはいよいよ「今はなき懐かしの路線」シリーズに突入します。
それに小鉄ネタもちょこちょこ挟んでいきたいと思います。
深名線
この時刻表の10年後の1995年に廃止となりますが、カウントダウンの始まった1992年7月ダイヤでは深川ー朱鞠内間が毎日運転3.5往復+区間運転に削減されています。
最晩年の交換可能駅は幌加内と朱鞠内だけでしたが、この時は鷹泊も交換可能でした…というか幌加内と朱鞠内は折返し専門で、列車交換はすべて鷹泊で行われています。
私がこの時乗った963D~6963Dはキハ40で、他線ではまだキハ22がウヨウヨしているのに厚遇されてるなぁと感心していましたが、朱鞠内からの945Dはキハ22でした。
いや別にキハ22を悪く言っているわけではなく、便所のない側の最前部が前望かぶりつき席となっていて、好きな車両でした。
羽幌線 with 留萌線
留萌線は「今はなき」ちゃうで!と怒られそうですが、羽幌線を語る上で不可欠な存在なのでゲスト出演ということで(汗
留萌線1ページ目では、留萌で急行「るもい」から臨時急行「天売」が分割され、羽幌線経由で羽幌・幌延まで走っています。
私は旭川から増毛へ行くのにこの「るもい」に乗りました。前から札幌行「かむい2」(1・2・3・増号車)、「天売」(増3・増4号車)、「るもい」(4号車)の計7両編成の3階建て列車。そして深川では「かむい2」を分割して札幌からの「天売」2両を併結し5両編成で留萌線に入るという、判じ物のような列車でした。ちなみに前4両の「天売」は急行型キハ27なのに最後尾の「るもい」だけキハ22(笑)
というわけで普段の「るもい」は遜色急行なのでした…
このころの留萌線は少なくとも北一已、石狩沼田、恵比島、峠下、幌糠、藤山、大和田が交換可能駅で、大和田ではDD51単機回送の通過授受を見ました。留萌駅の構内は留萌線と羽幌線を2辺とする三角形となっていて、その間には貨物のヤードがあったため、両線のホームを結ぶ長い跨線橋がありました。
羽幌線には、「利尻」夜行明けの幌延から乗ったのですが、ひたすら海沿いの変化に乏しい車窓と寝不足のためほぼ寝ておりました。これが初乗り兼乗り納めになるとは…(泣
ここはほぼキハ22の世界で、札幌ー幌延間急行「はぼろ」だけはキハ27だったようです。札幌発の「はぼろ」は名寄線経由興部行「紋別」と滝川から普通となる富良野行を併結した3階建てでした。先ほどの「天売」もそうですが、このような多層建て気動車急行があちこちに見られました。
旭川の読み方問題
1985年当時、旭川駅は「あさひがわ」でした。私も駅のアナウンスで「あさひが〜わ〜」と節付きで言っていたのを聞いています。
宗谷線の新旭川も「がわ」だったのですが、なぜか旭川四条だけは「かわ」なのが不思議でした。官営鉄道時代は「かわ」だったのですが地名はもともと「がわ」で、国鉄移行とともに地名に合わせて「がわ」としたところ、のちに行政地名が「かわ」に変更となって再び齟齬が生じた…という説がありますが、どうなんでしょうか。
そしてJR化後にやっと、市名に合わせて「あさひかわ」になりました。
そう言えば急行「大雪」は「たいせつ」と読んでいましたが、由来となった大雪山は「だいせつざん」なんですね…
謎は深いです(笑