道内時刻表1985年8月号 その4 宗谷線・石北線・釧網線

今回は地方交通線の「本線」3題です。
なお「その1」でもご覧いただいたように、道内時刻表の索引地図は幹線、地方交通線なる区別(差別)はなく、黒々としています。

宗谷線

夜行急行「利尻」…道内に2週間滞在していた間に3回乗りました(爆ハザ自1両増結でしたが早くから並ばないと座れません。臨時は稚内行51号の片方向のみ。
まだ特急列車はなく、稚内への昼行急行は「礼文」と「宗谷」。宗谷は利尻と共通運用の14系客車列車で、2両連結されていたハネも座席扱いだったのでヒルネ気分が味わえました。音威子府から天北線に乗り入れる「天北」もオール14系ハザ車で、旧客は一部の鈍行列車に残るのみとなっていました。

線内を完走する鈍行321レ…朝礼台みたいなホームの元・仮乗降場は容赦なく通過する一方、音威子府の45分間ドカ停という走りっぷりには客車列車の王者たる風格?が感じられます(笑)が、その割には50系客車2連に郵便車というこぢんまりした編成でした。
音威子府の黒くてブツブツした名物駅そばは過去3回食べましたが、最近閉店されたのは非常に残念です。

石北線・釧網線

こちらは宗谷線と違って「オホーツク」と、北斗とオホーツクを繋いだような「おおとり」といった特急列車が主力で、食堂車営業列車もありました。子どものころ阪和線沿線に住んでいた私は、なぜ北海道に「おおとり」が走ってるのかが不可解で(笑

夜行急行「大雪」は14系の所定ハネ3両+ハザ指自各1両で、このときはハザ自1両増結も満員でした。「大雪」は昼行も1往復ありましたが、遠軽から名寄線に入ってしまいます。

他線と同じく、全線走破するような長距離鈍行は客車、短距離は気動車という分担がありました。気動車はおおむねキハ22の天下で、40がぼちぼち走ってるかな、という程度です。
ドカ停も客鈍の御家芸で、531レと533レの遠軽を見てください。機回しだけでこんなに時間がかかるわけでもなく、瀬戸瀬から安国まで行く人などには地獄でしょう。

キハ22といえば、この当時も「るもい」や「しれとこ」の一部などがまだ22単行の遜色急行として走っていました。まぁ幹線筋の711系急行「かむい」も遜色といえば遜色ですが。
また、件の「おおとり」は80系でしたから、あのシートで函館ー網走間を乗り通す(人がいたのかどうかは知りませんが)のは今のサービスレベルから見ると遜色的と言えるでしょうな。

スジを引かないとわかりませんが、この頃は常紋信号場での列車交換があったはずです。ただ、閉そくは特殊自動化されていました。

釧網線は・・・まぁご覧のとおりです(汗
標津線の根室標津発着列車が顔を出しているのが特徴です。接続しそうでしない川湯ー緑間は今と変わりません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。