軽便 下電 鷲羽山 プレイバック

便 下電 鷲羽山 1同2 のつづき)

下津井電鉄に乗車した時の写真が残ってるはず・・・と、あちこちひっくり返して探していたところ、ネガフィルムの袋のうちの一つから出てきました。

ただ、袋に入っていたものはちゃんとプリントした写真でもフィルムでもなく、ネガフィルムをベタ焼きしたモノクロの印画紙でした。
なぜこんな形で残っているのか全く記憶にないのですが、とりあえずは解像度を思い切り引き上げてスキャン。そのため、少しぼやけた写真になってしまっています。

観音寺から乗った岡山行普通列車を児島で下車し、1キロ近く歩いたところにある下津井電鉄の児島駅から終点・下津井駅まで乗車しました。

クルマが停まっているすぐ横に貨車がいる不思議なシーン。

下電ホテル前で保存されているクハ24にモハ103の2両編成は、当時の富士フイルムのコーポレートカラーである緑に白帯の車体。
フジカラーやのに白黒とはこれ如何に。

フジカラー号クハ24の車内。
ナローゲージゆえ乗客同士ひざ付き合わせて…と思っていましたが、案外幅広く見えます。

駅の先端には観光電車メリーベル号2000形が留置されています。こちらは赤一色。
その手前に停まっている蒸機+トロッコ車両みたいなのは何でしょうか。営業列車として走ったとは思えず、色々調べてみてもまったく手掛かりがつかめない謎の車両です。
ひょっとして、この前年に開催されていた瀬戸大橋博覧会の会場を走るミニ列車を連れてきて展示していたとか??

下津井駅を出て勾配を登り切った先にある鷲羽山駅付近から見える、まだ開通間もない瀬戸大橋です。

途中の琴海駅で、落書き電車こと「赤いクレパス号」モハ1001と交換しました。
薄くてよくわかりませんが、車体に結構色々書かれています。

復路は児島駅の2つ手前の阿津駅で下車し、まち歩きを兼ねてJR児島駅まで徒歩。

下津井駅ではフェリーとの連絡を取っていました。
下津井はかつて北前船の寄港地として知られた港町で、この当時も本島(ほんじま)・丸亀を結ぶ関西急行フェリーが発着していましたが、瀬戸大橋開通後しばらくして下津井寄港便は撤退しました。

もしフィルムが見つかったらカラー写真に差し替えるかも知れません…が、モノクロはモノクロで渋味があるなぁ…と思ってしまったよんかくでした。

ここからは総天然色です(笑
この時に発売されていた乗車券はメリーベル号をあしらったなかなかオサレなデザインでした。

中高年の鉄道愛好家なら知っている人が多いであろう保育社のカラーブックス。
「軽便鉄道」の表紙を飾ったのはフジカラー色となる前のモハ103でした。

鉄道を取り上げた巻が多かったカラーブックスでしたが、版元の倒産・再建の過程で失われてしまったのは非常に残念です。

当時の私はビデオカメラを持っていなかったので動画は撮ってないのですが、YouTubeに地元テレビ局やユーチューバーの方などが現役時代の動画を数本上げてくれているので、関心のある方はご覧ください。