三木鉄道記念公園

(2023年9月30日撮影)

北条鉄道訪問の帰途、三木鉄道記念公園に立ち寄りました。
三木鉄道の本社と車庫があった三木駅構内跡に整備された公園です。

三木鉄道(厄神-三木間)は北条鉄道とともに1985年4月1日に国鉄から第三セクターに移管された路線で、2008年3月末をもって廃止されました。
どちらもJR(国鉄)加古川線の途中駅と接続する路線ですが、北を向いて走る北条鉄道は安定した利用があるのに対し、東を向いて走る三木鉄道は神戸電鉄粟生線と競合していたこともあって乗客減に悩み、明暗を分けることとなりました(今はその神鉄粟生線も乗客減が深刻化しているわけですが)。

JTB時刻表1998年4月号から

神鉄粟生線恵比須駅で下車し、記念公園経由のコミュニティバスに乗り換え。粟生線三木駅から徒歩でも行けますがやや距離があります。
ただ、このコミュニティバスは神鉄と微妙に接続の悪いダイヤなので、時間帯によってはバスを待つより歩いたほうが早いかもしれません。

国鉄時代に建てられた三木駅舎の「ふれあい館」

旧・三木駅舎は、三木鉄道関係の資料館「ふれあい館」として余生を送っています。
わずか6.6キロの小鉄道ながら展示物はなかなか豊富で、国鉄時代のものも多数陳列してありました。

現役時代は全線1閉そくのスタフ閉そくを施行しており、スタフを収納するキャリアも展示してありますが、キャリアだけで玉が入っていませんでした。

故障で動けなくなった列車の救援などの際に使う「伝令法」の関係資料がありました。
非常時に臨時的に閉そくを施行する「代用閉そく」とは異なり、伝令法は閉そく区間内に別の列車を進入させる特殊な運転方法(1閉そく区間1列車の原則の例外)です。
伝令法により救援列車などを出す場合は、腕章を着けた伝令者を同乗させるか、伝令票を運転士に交付して発車させます。

腕章に手縫いの刺繍で駅名が縫い込まれています。

伝令法を使用した実績はあったのでしょうか

キャリアがもう一つ展示してありましたが、裏向きに置かれていて玉の有無がわかりません。

ひととおり展示を見学したのち、外に出てみました。
駅構内跡地の多目的広場に1本の線路と出発信号機が残されています。

土・日曜日にはこのレールの上をサイクルトロッコが走るそうです。
今日は土曜日ですが、訪問時刻が遅かったためすでに店じまいしていました。

せめてレールを辿ってみることにします。
旧・三木駅構内には2つの番線と車庫に延びる側線の計3本の線路がありました。
「ふれあい館」の旧駅舎は公園用地を確保するため少し曳家していますが、現存するレールそのものは現役時代とほぼ同位置にあるものと思われます。

1番線(直進側)と車庫への側線との分岐も残っています

分岐の向こう側には入換標識と進路表示機が残されていました。
定期的にメンテされているのでしょうか、15年以上雨ざらしになっているはずなのに保存状態が良さそうです。

始点から200メートル程度の地点で線路は尽き、そこから先はサイクリングロードとなっていました。
線路の終端であることを知らせるように、厄神駅のミニチュア駅名標が掲げてあります。

児童公園スペースには、三木鉄道の車両を模した遊具が置いてあります。
ここに鉄道があったことを知ってか知らずか、歓声を上げて遊具に乗ってはしゃいでいる子どもたちの姿を眺めながら、帰りのバスを待っていました。