名鉄レトロ
(1989年9月26〜27日撮影)
レトロというほど古くはありませんがちょっと古い目の名古屋鉄道の写真です。
知多新線内海駅 7000系パノラマカー
当時はパノラマsuper1000系とパノラマDX8800系の全盛期で、7000系の大半は特急運用から外れて急行・普通に転用されましたが、白帯を巻いた一部編成は支線区直通特急に充てられていました。
1000系や8800系がリクライニングシートを装備していたのに対して7000系白帯車は転換クロスと設備面でも見劣りしていたため、パノスパ1600系への置き換えにより特急から完全撤退したのち、2010年引退。
運転士氏は乗降扉横のステップを梯子のように登って運転席に出入りします。昔の豊川線などでは、駅長がステップを半分ぐらい登って運転士とタブレットの授受をしていました。
7000系の展望席。前面窓前のダッシュボード的な部分に「足をかけないでください」との注意書きがありました。確かに、足の長い人ならちょっと乗せたくなるでしょうな(笑
いつぞや最前席に座っていたら、上から「こつよーすい、つーか!」といった喚呼が聞こえてきて、ああ新人運転士が乗務してるんや…と気づいたことがありました。
そんなことでもない限り、前面展望に熱中しているとほぼ真上に運転席があることをすっかり忘れてしまいます。
知多新線上野間駅 佐屋行との交換
河和線の支線である知多新線は富貴-内海間の折り返し運転が大半ですが、かつては日中でも犬山方面、弥富方面などへの長距離列車が多く運転されていました。
上野間駅は夏季に時間限定で駅員が配置されていましたが、駅員のいない時間帯には柱に○にムの字の表示を出し、その表示がある時は車掌氏がホームできっぷを回収します。
現在は右側の2番線は閉鎖され、棒線駅となっているようです。
かなり飛んで、広見線新可児駅の常滑行
まだ中部国際空港が影も形もなく、常滑駅が終点の頃でした。
同じく新可児駅での「いもむし」3400系
名鉄スカーレットを纏っていますが、1993年のエバーグリーン賞受賞を機に、1937年の落成時と同じ濃淡緑色の塗り分けに変更されました。
運転席が中央に置かれていて、路面電車のようです。
左側乗務員用扉の横に通票掛けが設置されていました。
車端部までびっしり転換クロスシート。
肘掛けが大きく、座り心地も旧型車の割にはまずまずといったところでした。
車内吊り広告が時代を感じさせますね。
新可児から先、広見線終点の御嵩駅へ。
レールバスキハ10の顔が見えます。当時の広見線などでは昼間の閑散時間帯に経営合理化の一環として軽快気動車キハ10を投入していましたが、期待されていたほどの合理化効果はなく、のち気動車列車全廃により電車運転に復しています。
途中の明智駅からは八百津線が分岐していました。
八百津線は電化設備を撤去して全列車気動車運転を行なっていましたが、2001年9月限りで廃止となります。
終点の八百津駅
廃止線区というと、谷汲線にはよく通いました。
終点谷汲駅近くの華厳寺の命日には増発が行われ、北野畑駅を境とする2閉そくの票券閉そく式で運転されるため、月に1日だけ同駅での通票授受が見られたのです。
それ以外の日は1閉そくに併合され、スタフ閉そくでピストン運転していました。
谷汲線の始発駅だった黒野駅も路線廃止により今はなく、鉄道公園として整備されています。
谷汲駅の入口から古豪モ750が見えます。
1996年に駅舎が新しく建て替えられたものの八百津線と同じ2001年9月限りで路線廃止となり、現在はメモリアル施設として駅舎は車両とともに保存され、静かな余生を送っています。
(2020年2月23日撮影)
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