時刻表1961年10月号 九州編

まずは鹿児島本線です。

この年の6月に門司港から久留米まで電化されたばかりで、421系交直流電車による普通・快速列車が運転されています(一部は小郡(現・新山口)発着)。

優等列車は、東京や京阪神からの夜行列車に加えて博多行の昼行急行として山口発「あきよし」、岡山発「山陽」、米子発「やくも」が顔を並べます。

博多発の九州内優等列車はすべて準急で、長崎行「長崎」、佐世保行「弓張」、肥薩線・吉都線経由宮崎行「えびの」、熊本行「有明」、門司港発人吉行「くまがわ」など。「第1かいもん」は八代で宮崎行を分割しつつ指宿線(現・指宿枕崎線)山川まで走るロングラン準急です。
また、ページの綴じ目で見にくいですが、準急「ひまわり」は大分(日豊)小倉(鹿児島)熊本(豊肥)大分(日豊)別府という1周越えの循環運転でした。この列車で大分から別府まで全区間乗り通すには大分→大分と大分→別府のような連続乗車券が必要です。そんな奴おらへんやろ
このほか、久大本線経由の博多発博多行の循環準急「ゆのか」がこのページに2回登場しています。

博多に1808に到着する西鹿児島(現・鹿児島中央)・熊本発準急「ひかり」はのちに急行へ昇格後、東海道新幹線の列車名に採用という栄誉に浴することとなります(国鉄本社からの電話1本で突然召し上げられたという逸話も)。
その後は西鹿児島編成が「にちりん」、熊本編成が「くさせんり」と改称させられた翌年に列車自体が廃止になるという、幸運なのか悲運なのかよくわからない経歴をたどっています。
「座席指定」とあるように、準急としては珍しく全車指定席というかなりハイグレードな観光列車だったようです。

普通列車の本数が少ないようですが、京阪神版の小型時刻表なので、短距離の区間運転など省略されている列車があるのかも知れません。縦軸の駅名もかなり省略されています。

お次は日豊本線。

東京を前日の1435に出発した夜行急行「高千穂」が29時間以上かけて西鹿児島に到着するのは1946。上りは西鹿児島1200発・翌日1650東京着ですから道中で「高千穂」と3回すれ違うわけで、今からでは想像もできないスケール感です。

西都城から志布志発西鹿児島行準急「大隅」が乗り入れています。当時の西都城は志布志を経由して北郷へ向かう志布志線が分岐していましたが、のち南宮崎と北郷が日南線として結ばれると同時に志布志-北郷間は日南線へ編入されました。
現在は日南線だけの行き止まり駅となった志布志駅は志布志線と古江線(のちの大隅線)が集結するターミナルで、志布志機関区(鹿シシ)が置かれていました。

既出以外に日豊本線を通る準急として「錦江」「日南」、門司港発久大本線経由博多行「由布」などがありました。
門司港発1350の宮崎行準急507列車には列車名がありません。これに対応する宮崎発門司港行508列車も同様で、本当に名無しなのか、あるいは単なる脱字なのか不明です。

鈍行列車は門司港発佐伯行と中津発南延岡行が最長クラスで、夜行では門司港発西鹿児島行が奮闘しています。

下段は筑豊本線です。現在の折尾駅は福北ゆたか線と鹿児島本線のホームが同一レベルとなるよう改築され、門司港方と中間方との短絡線は廃止されましたが、当時の短絡線には旅客ホームがなかったため門司港発着の列車は折尾通過となっています。
また、京都発熊本行急行「天草」の筑豊本線乗り入れはのちに大阪発寝台特急「あかつき」の佐世保編成が継承しています。しかし、スペースの関係とはいえ飯塚の次が原田とはいくらなんでも省略し過ぎではありますな。

その他各線。
小型時刻表ゆえ、収録されていない路線も多々あります。

久大本線は由布院をかなり意識したダイヤ設定のように見えます。準急は3往復プラス上りのみの「ひこさん」で、列車名のとおり夜明から日田彦山線・小倉経由の博多行でした。
右横の日田彦山線のダイヤを見ると列車名のない準急が1往復ありますが、よく見ると上り706列車は久大本線の「あさぎり」、710列車は同じく「ひこさん」がその正体です。そうすると下り705列車は「あさぎり」となるのですが、両線で微妙に時刻が食い違っています。ダイヤ改正の修正漏れでしょうか。

豊肥本線は準急「ひかり」と「ひまわり」。ここだけ見ると線内のみの運転のように見えますが、上でも触れたように鹿児島本線や日豊本線にも乗り入れる長距離列車です。
坊中駅が阿蘇駅に改称されたのはこの年の3月のことでした。

肥薩線・吉都線がセットになっています。
一見、両線のつながり方がわかりにくいのですが、わかりやすく書こうとすれば、例えば下りの欄にある宮崎700発の準急は吉都線で吉松へ852に到着後、上りの欄にある吉松に移って857に出発、肥薩線を経由し八代・博多へ…という流れです。やっぱりわかりにくい
列車名が書かれていませんが、言わずもがなの「えびの」ですね。吉松で分割・併合する西鹿児島編成は、肥薩線が鹿児島本線の一部だった時代を偲ばせる存在です。
人吉と門司港を結ぶ準急は、鹿児島本線の章でも出てきた「くまがわ」です。

普通列車はすべて客車列車で、蒸気機関車牽引だったものと思われます。矢岳越え(人吉-吉松間)35キロに、スイッチバックがあるとはいえ1時間半程度を要しています。

一番下段の指宿線は、2年後の1963年10月に西頴娃から枕崎まで延伸し指宿枕崎線となりました。このページでは唯一、全列車が気動車で運転されています。
博多から乗り入れる準急「かいもん」1往復に加え、下り片道のみの準急がありますが、この列車は名無しだったのか「かいもん」一派だったのかは誌面からは判読できません。

最後は、西九州新幹線開業に沸く長崎本線・佐世保線。

肥前山口は西九州新幹線開業を機に江北と改称され、過去の駅名となりました。
ほとんどの優等列車は鹿児島本線の章で既出ですが、博多1230発の準急「出島」が肥前山口で長崎本線経由「第2長崎」から分割されて佐世保線・大村線経由で長崎に至ることなどは、このページを見ないとわかりません。
当時は市布経由の新線はなく、特急列車も大村湾沿いにのんびり?走っていました。

「出島」の夜行鈍行版が門司港-長崎間に1往復。のちに佐世保発着の編成と早岐で分割・併結するダイヤとなり、長崎編成は10系B寝台車を連結して「ながさき」の名が与えられます。1984年に廃止となるまで、諫早-長崎間は長与回りの旧線経由でした。
門司港着が8時近くだったので、古くて狭い10系寝台車を十分堪能できました(笑)

前回「九州・山陰編」で予告していましたが、九州各線だけで長くなってしまったので、山陰方面は次の機会に掲載します。