弘南鉄道大鰐線
青森県内で2路線を運行する弘南鉄道が、2028年3月末の大鰐線(大鰐-中央弘前間)の運行休止を表明して半年以上が経ちました。「休止」とはいうものの沿線自治体との協議内容からすると実質的な廃止宣言で、休止後は弘南線(弘前-黒石間)の運営に注力するとしています。
今回は遡ること30年以上前、よんかくが大鰐線に初乗りした時の情景を少しご覧いただこうと思います。8ミリビデオ動画のキャプチャ画像なので画質は荒いですが・・・
(1991年9月18日撮影)
大鰐線の終点・中央弘前駅。
弘南鉄道の立ち位置から言えば起点駅のように思えるのですが、もう一方の大鰐駅が同居する奥羽本線大鰐温泉駅が弘前駅から見て上り方にあることから、大鰐→中央弘前が下りという関係になっているようです。中央弘前駅はJR弘前駅より市の中心部に近い位置にありながら全線がまともに奥羽本線と競合しており、所要時間・運賃ともにJRより不利な立場にあります。

1面1線のホームでは元・東急の7000形車両が発車を待っています。米国Budd社との技術提携により登場した国内初の本格的オールステンレス車で、この当時はまだ転入したての新車扱いだったのですが弘南鉄道サイトによると今も現役で、車齢は60年前後となります。
同時期にデビューした南海6000系もですが、この世代のステンレス車は丈夫で長持ちな印象です。

中央弘前駅は1面1線の棒線終着駅ではありますが、場内信号機と出発信号機を備えています。出発信号が青となり発車時刻になると列車は滑り出すように発車。起伏のない平坦な市街地を淡々と走り抜け、千年駅を出たあたりから車窓には田園風景が広がるようになります。
義塾高校前-石川間で奥羽本線を跨ぎます。ほぼ奥羽本線と並行する大鰐線ですが、立体交差はこの1か所のみです。

奥羽本線を跨ぎ終わって地平に戻ると石川駅です。同名の駅が奥羽本線にもありますが、そちらの石川駅はこの立体交差よりも弘前方(左方)で、両者は直線距離で1km以上離れた全く別の駅です。
石川駅に到着。大鰐線の交換可能駅は全て島式ホームで右側通行です。
かつて通票閉そく式だった中小私鉄では、駅員と乗務員との通票扱いをスムーズにするため島式ホーム駅で右側通行をするところが多く、自動閉そく化されたのちも右側通行のままという路線が今も各地で見られます。まぁ特段の理由がなければ無理に左側通行に変える必要もありませんしね。

石川駅は貨物用の側線が1本あり、大鰐方の先端にバラスト撒き用と見られるホキ(ホッパ車)が1両留め置かれていました。ところがYouTubeで近年の大鰐線の動画を見てもこの位置にホキが置いてあるので、30年以上の時を経てタイムスリップしたような、またはデジャヴ現象のような感覚に陥ります。
と、その右側には7000形らしき車体が見えます。線路に対して斜め方向に置かれているように見え、この位置に側線などがあったわけでもなく、これが一体何だったのか未だに謎のままです。
そんな不思議だらけな石川駅を出てほどなく鯖石駅。この駅の上下場内信号機は4灯式にもかかわらず、下位に通過信号機が付設されていました。通過信号機についてはこちらの記事をご覧ください。
かつてこの駅を通過する快速列車が設定されていたので通過信号機の存在自体は不思議ではないのですが、そもそも通過信号機は進行(G)と停止(R)しか現示できない2灯式信号機路線において通過の可否を知らせるためのものであり、場内信号が4灯式なら警戒(YY)や注意(Y)現示によって通過不可であることが分かるので、通過信号機は不要となるはずです。
さらに不思議なのは、列車交換がなければ停車列車であっても出発信号がG現示に先引きされるため場内信号・通過信号ともにGとなる点で、これは本来的な意味では「この駅を通過せよ」のサインとなってしまいます。意味ないやん…
このような4灯式場内信号機に付設される通過信号機は一畑電車などでも見られますが、これらがどのような役割を担っているのかがよくわからないまま今に至るよんかくです(悩
【動画】鯖石駅入線 一番最初に通過信号機付き場内信号機が現れます
てなことを考えているうち、いよいよラストスパートとなる宿河原-大鰐間で並行する奥羽本線をブルートレインが逆向きに走り去って行きました。当時の旅程の記録を見るとこの地点を通過するのは10時50分ごろと推測され、とするとこの列車は大阪発青森行「日本海3」ということになります。
この瞬間「お、日本海や」とときめいたよんかくですが、あちらに乗車の鉄な御仁もこちらを見て「お、弘南鉄道や」とときめいていたことでしょう 笑

なかなかレアな光景のあとは左へ右へとカーブしながら大鰐駅に入線。
大鰐駅は島式1面2線の始発駅で、隣の留置線では1編成が昼寝しています。ホーム反対側の草むした側線には、奥羽本線との渡り線がつながっていました。

列車を降りてJRと共用の跨線橋を上ります。中間改札も何もありません。
JR3番線の行き先方面表示に時代を感じます。


このあとは大館駅へ出て小坂製錬小坂線に乗りに行きました。