三岐鉄道博物館めぐり 〜貨物鉄道博物館〜

三岐鉄道博物館めぐり 〜軽便鉄道博物館〜のつづき・2024年7月7日撮影)

三岐鉄道北勢線阿下喜駅から三岐線の伊勢治田(いせはった)駅まで歩き、丹生川駅隣接の貨物鉄道博物館見学に向かいます。
貨物鉄道博物館は国内唯一の貨物鉄道専門の博物館で、鉄道貨物輸送130周年の2003年に設立、ボランティアスタッフの皆さんのご尽力で毎月第一日曜日に開館されています。

全国的に猛暑日だったこの日、屋外にいるだけで体力が吸い取られていくような感覚に襲われます。しかも阿下喜駅から伊勢治田駅までの道のりはほぼ始終上り坂で、地形まで考慮していなかったことに後悔しながらタオルを首に掛けペットボトルを手に約20分、汗でズクズクになりながらもなんとか歩き通しました。

駅前に到着すると、奈良県内で見慣れたバス停標識が。
三重県やのに奈良交通が乗り入れてるのか?と思ってよく見ると・・・「庭箱鉄道」

阿下喜駅(軽便鉄道博物館)、丹生川駅(貨物鉄道博物館)などを結ぶシャトルバスの停留所です(前回三岐鉄道博物館めぐり 〜軽便鉄道博物館〜の最後に詳細を掲載しています)。
右隣のいなべ市福祉バス「あいバス」も阿下喜-伊勢治田間を結んでいますが、「あいバス」が土休日運休の旨は事前に把握していたので、ここまで歩いて来るしかないと思いこんでいました。
この庭箱鉄道ことNPO法人にわてつさんは、岐阜市を拠点にさまざまな地域振興活動を展開されています。

伊勢治田駅窓口で三岐鉄道1日乗り放題パスを買い求めます。三岐線・北勢線とも乗り降り自由なのですが、路線が互いに独立していて接続駅がないため、両線に乗ろうと思えば他の交通機関か徒歩を間に挟む必要があります。

伊勢治田駅構内の貨物用側線には、セメントと並んで主要な輸送品目であるフライアッシュと炭酸カルシウム専用のホッパ車・ホキ1000が留置されていました。新型のホキ1100登場とともに引退後、ここで解体待ちしているのでしょうか。
こういうのを見るだけでも博物館に行く前から気分が爆上がってきますね。←暑さのせい?

東藤原駅隣接の太平洋セメント藤原工場で産出される炭カルを石炭火力発電所の排煙脱硫剤として衣浦臨海鉄道碧南市駅へ運び、帰路は同発電所から出るフライアッシュ(石炭灰)をセメント用材として東藤原駅に運ぶという、往復ともに無駄のない理想的な輸送形態です。

伊勢治田駅から下り列車でまず終点の西藤原駅まで乗り、折り返して丹生川駅で下車します。

駅舎には貨物列車ファンに不可欠のアイテム・貨物列車時刻表が掲出されています。

さて、駅舎を出て数十メートル歩いたところに貨物鉄道博物館はあるのですが、その道すがらからしてすごいものが並んでいます。

この手のタンク車はよんかくが子どもの頃、阪和線などを走る貨物列車でもよく見かけたものですが、最近は全国唯一となった三岐線のセメント輸送のほか、限られた線区での石油輸送列車でしか見られなくなりました。

これは1939(昭和14)年製造のタ200形で、現存する唯一の戦前製タンク車。1995年まで白新線新崎駅常備で稼働していたそうですから驚きです。

博物館エントランス横には「丹生川西信号場」の看板と、またまた腕木式信号機が(汗
後ろには信号てこもあるので操作実演などが行われるようです。レプリカというか模造品ですが、細部までよく調べて作ってあることに感心します。

その下には何か非自動風味な物件が・・・
なんと通票仮置場と小ぶりなタブレットキャリアおよび通票です。
阿下喜駅方面の通票はどこへ行ったのでしょう・・・ひょっとして庭箱鉄道シャトルバスが携帯?

ヘッドマーク各種。
三岐鉄道の貨物列車への力の入れようと思い入れがひしひしと伝わってきます。

館内へお邪魔します。
随所で大きな扇風機がうなりを上げる中、たくさんの人々が熱心に展示物を見ています。

タンク車に付いていた日産化学工業の星印が懐かしいですねぇ。
これを反転させたような白地の赤星マークに「CALTEX」の文字があしらわれた日石カルテックスの石油タンク車もなぜか記憶に強く残っています。

ここは主にセメント輸送のタンク車関連。
小野田セメントと秩父セメントは、現在の三岐鉄道の大得意先兼大株主である太平洋セメントの前身です。

子どもたちも喜ぶジオラマが3面ほどありますが、当然ながら全て貨物専業です(笑

続いて屋外展示へ。
イギリス製のB4形機関車。東京の昭和鉄道高等学校で保存されてきたものを譲り受けたそうです。

数多い保存車両の中から、よんかく的に興味をそそられたものをいくつか。

これは珍しや、名古屋鉄道の無蓋車です。最初は瀬戸電気鉄道(現・名鉄瀬戸線)で文字どおりせとものを運び、晩年は谷汲線・揖斐線で保線用バラスト輸送に使われていたそうです。
名古屋の「名」の字が独特の鉄道書体で、昔の国鉄貨車にはそのもととなったさらに独特の「名」が表記されていました。保存車両の車体表記は、ボランティアスタッフの皆さんがオリジナル書体に忠実に手書きされたもので、全く驚嘆のひとことです。

ワフ21000形貨車は有蓋貨車に車掌室が付いた、いわゆる「緩急車」で、国鉄から西濃鉄道に移籍後、2002年の廃車以後美濃赤坂駅で寝ていたのを譲渡されたものです。

「フ」はブレーキの意で、車掌が緊急時などに操作する手ブレーキを備えています。これに対し、貨物や旅客を積載できない車掌室のみの緩急車は「ヨ」(シヤシヨウのヨ)という形式称号が付けられていました。

この昔ながらの鉄道書体、いいですね。換算の「算」の字なんかもう別の世界に飛んで行ってしまっています。
鉄道書体については鉄道CAD研究所さんのサイトに詳述されています。

ここでの一番の大物はこのシキ160でしょう。たった1両だけ製造され、鶴見線安善駅に次いで京葉臨海鉄道京葉市原駅に常備されて大型変圧器などを運んでいました。

車体を真ん中で分割して間隔をあけたところに変圧器を上からはめ込むように組み付けて積載します。
シキは滅多に走ることのない車両ですが、よんかくは赤穂線西浜駅から来たと見られるシキ1000?が山陽本線上を実走するのを見たことがあります。ドクターイエローよりも貴重な走行シーンかも知れません。

阿下喜駅の軽便鉄道博物館と同じくボランティアスタッフの皆さんの熱心な活動に深く感謝しながら、丹生川駅へ戻ることとします。
帰りにキーホルダーを2つ買いました。グッズ購入時に三岐鉄道1日乗り放題パスを提示すると、カードと来館証明証が交付されます。

「突放(とっぽう)」とは操車場や駅構内などで貨物列車の編成組み換えのため、貨車を機関車で押しながら連結器を解放して惰性で貨車を走らせる、文字どおり「突き放す」作業です。貨車には係員が添乗してブレーキを操作しながら他の貨車に連結させるという、危険な作業でもありました。
シキやコキのような大型車や衝撃に弱い積荷専用の貨車など、突放してはいけない貨車にはこの「突放禁止」の車体表記がされていました。

そしてもうひとつはクルマのキーに付けました。

ガソリン車やったら当たり前やろっ!と突っ込まないでください(お願い)
ただ、点検でディーラーに持ち込んだ時「何ですかこれ?」と言われるのを密かに期待してたりして…

このあとは三岐線に乗って丹生川駅から近鉄富田駅まで向かうわけですが、次回は番外編として三岐線乗車記を少し綴ってみたいと思います。