時刻表1977年9月号【分割併結その2】

今回は前回に引き続き、北海道の国鉄における分割併結を探って行きたいと思います。

まずはベーシックな分割併結から。
まだ青函トンネルもなく、連絡船が現役だった頃です。

洞爺発の4541D室蘭行は、東室蘭で急行「ちとせ1」を分割するとともに室蘭から来た581Dを併結。581Dには普通列車ながらグリーン車が連結されているので「ちとせ1」もグリーン車付き急行列車となります。
例えていえば、親から独り立ちして良き伴侶を得て立身出世、さらに苫小牧では日高本線様似から「えりも1」という仲間も得て順風満帆・・・とのんびり構えていたら、室蘭を20分後に出る俊足のライバル「ちとせ2」に札幌着時でわずか4分差まで詰め寄られます。好事魔多しということでしょうか。

現在、列車名の号数は原則として下りが奇数、上りが偶数となっていますが、当時は上下それぞれで1号、2号…と付番されていたので、上りの「ちとせ1」「ちとせ2」、下りの「ちとせ1」「ちとせ2」の両方がありました。余談ながら往年のヒット曲「あずさ2号」は新宿800発松本行(季節により白馬行を併結)の下り列車でした。
また、黒いグリーン車マークは指定席グリーン車、白いのは自由席グリーン車で、指定席でも自由席でも料金は同額です。ちなみに「ちとせ」のように急行列車の一部区間が普通列車となる場合、急行区間のグリーン券を持っていれば普通区間のグリーン料金は無料となる特例がありました。

次からだんだんややこしくなってきます。
旭川駅の読み方が「あさひがわ」だった時代です。

この赤枠内にいろんな分割併結が入り乱れています。
まず、右端の旭川発特急「おおぞら1」が滝川で釧路発編成を併結し函館へと向かっています。当時は石勝線開業前で、滝川まで根室本線を経由していました。
左端の網走発札幌行急行「大雪1」は旭川で遠軽発「紋別」を併結、さらに深川で幌延発「はぼろ」を併結し、3階建てとなって札幌に到着します。「はばろ」が宗谷本線幌延から羽幌線→留萌本線を経由して深川までやってくるのは自明ですが、網走と同じ石北本線上にある遠軽発の「紋別」がなぜ旭川で併結するのか、このページを見ただけではよくわかりません。
そこで登場するのが遠軽からオホーツク海沿岸を通って宗谷本線名寄に至る「名寄本線」です。列車名でもある紋別は名寄本線上の駅で、「紋別」は遠軽から名寄本線→宗谷本線をぐるっと回って旭川に辿り着きます。
「大雪1」の網走発時刻と「紋別」の遠軽発時刻は奇しくも同じ5時42 分なので、両者には網走-遠軽間ぶんの所要時間差があることになります。

「大雪1」「紋別」「はぼろ」の右隣には札幌発急行「らいでん2」「いぶり」の姿が見えます。

「らいでん2」「いぶり」はキハ22の4両編成、いわゆる「遜色急行」の部類でした。
函館山線小沢で岩内(いわない)線岩内行普通4943D1両を分割したあと次の倶知安で急行「いぶり」1両を分割し、残る2両は普通934Dとなって上目名まで走ります。分割併合華やかなりし当時といえど、2駅連続で分割併結を行うケースはおそらくここだけと思われます。
934Dの終点・上目名は旅客駅というよりほぼ信号場で、列車交換の必要がなくなった1984年3月末付けで廃駅となりました。上目名-熱郛間には札幌鉄道管理局と青函鉄道管理局の境界があり、両駅ともそれぞれの局内へ折り返して行く列車が設定されていました。


倶知安で分割された「いぶり」は胆振線に入り、伊達紋別から室蘭本線・千歳線経由で札幌へ戻る循環急行でした。胆振線内は単行でも十分な輸送需要だったのでしょうが、天下の幹線である室蘭本線・千歳線を単行では相当厳しいのでは・・・と思っていたら、

伊達紋別で洞爺からやってきた「ちとせ9」(2両)とそつなく併結して事なきを得ていました。
さらに東室蘭では室蘭発595D普通(4両)に併結され、グリーン車を含む堂々7両編成となります。例えていえば「寄らば大樹の陰」型または「長い物には巻かれろ」型併結とでも言いましょうか。
ただ、「ちとせ9」の6両は急行型車両キハ27・キロ26なので、キハ22の「いぶり」だけ遜色臭を漂わせながらの札幌入りとなります。
他にもこのページでは函館発の釧路・旭川行「おおぞら」、網走行「おおとり」、山線経由稚内行「宗谷」といった、スケールの大きな長距離列車が存在感を示しています。

次もトリッキーな分割併結です。

左側の赤枠内、急行「せたな」の原型は函館山線の熱郛発普通列車140D(キハ22×2両)で、長万部で1両を切り離して923D瀬棚線瀬棚行普通列車を仕立てるとともに急行に種別変更します。その923Dは急行「せたな」を差し置いて先発しそそくさと国縫から瀬棚線に入り、残された「せたな」は923Dの後を追って国縫で瀬棚発4946D(キハ22単行)を併結して2両編成で函館へと向かいます。「急行せたな」を名乗っているのに急行として瀬棚へ行かない列車でした。
細かい話ですが、山線方面から国縫まで行く人がうっかり「せたな」編成の方に乗ってしまうと、923Dより遅く着くどころか長万部-国縫間の急行料金を取られるので、重々注意せねばなりません。
右側の赤枠「ちとせ4」と「いぶり」は、先ほどの逆向きバージョンとなる2段階分割をやっています。

次のはおそらく全国で唯一例と思われるヘンな分割併結です。

名寄本線の名寄発遠軽行621D(キハ22×2両)が紋別で44 分ものドカ停をやっている間に、1両を切り離して後続の興部発北見行急行「天都」(キハ22単行)に併結し、2連となった「天都」が先に発車した後、単行621Dはその後を追いながら遠軽へと向かいます。例えていえば「別れても好きな人」型分割併結とでも言いましょうか(古い…
その「天都」は遠軽で「大雪1」に併結され北見で切り離されますが、「天都」から「大雪1」に乗り移れば急行料金は通算できるので、例えば興部から網走へ行く人は興部-網走間の急行券を買えばOKです。
右の方では名寄発遠軽行普通列車629Dが、中湧別で網走から湧網線経由でやってきた928Dを併結しています。

最後は、さきほども出た「らいでん」の倶知安での併結シーンです。
記載位置の関係で併結の矢印がびよーんと伸びてしまっているのが面白い、ただそれだけなんですが…

赤枠左の急行「狩勝3」には(寝台列車)との注記がありますが、そのとおりA寝台1両、B寝台6両にロザ1両、ハザシ2両の、道内の夜行急行列車の中でもハイグレードな全車指定席列車でした。
寝台車は10系、グリーン車はスロ54、普通車はスハフ44・スハ45という旧型客車で固められた、昔ながらの夜汽車の雰囲気を色濃く残す列車だったようです。

分割併結の巻はこれにて終了で、次回は「特急・急行の連続停車」というテーマでお届けの予定です。