単なる指定席券
ご承知のとおり、JRのきっぷには「指定席券」という券種があります。
特急列車は指定席が基本なので単に「特急券」と言えば指定席特急券なのに対し、急行列車や普通列車は自由席ベースのため、それらの列車に設定された指定席を利用するには「指定席券」を別途購入することになります。
急行列車の指定席券は「急行券・指定席券」として1枚で発行され、普通列車では単独の「指定席券」が発行されます。今は急行列車そのものがなくなってしまいましたが…
ここでは、普通(快速)列車の「単なる指定席券」をいくつかご覧いただきます。
夜行バスへの対抗として各地に設けられた多客期臨時快速列車「ムーンライト」一派の元祖。
485系などで運転されていた「ムーンライトえちご」はまだ記憶に新しいですが、この当時は単なる「ムーンライト」で、山手貨物線を走る数少ない旅客列車でもありました。
使用編成はボックスシートをグリーン車流用品のリクライニングシートに置き換えた上沼垂区の165系で、この日は満席…おそらく18きっぷ組が大半だったのでしょうが。
新潟到着 ここからさらに羽越本線村上まで足を伸ばしていました
室蘭本線・千歳線回りの函館-札幌間夜行快速「ミッドナイト」。
快速列車なのになぜか表題が「急行券・指定席券」となっていて内訳は急行料金0円という不思議な券面です。
上の「ムーンライト」と同じ旅程中に利用しました
キハ56形改造のドリームカー(リクライニングシート車)とカーペットカーの2両編成で、カーペットカーは定員制で席番が指定されないため、場所取りは早い者勝ちです。
カーペットカーは衝立で3室(うち1室は女性専用席)に分けられ、各室内は今の「サンライズ」ノビノビ座席のような隣席との仕切りもなく、枕木方向に本当に枕木のように詰めて雑魚寝というスタイルですが、1人ずつ枕と毛布が備え付けてあって、300円の指定席料金だけではとても申し訳ないような乗り得列車でした。
「ムーンライト」一派とは違って通年運転で途中無停車でしたが、夏季などの多客期にはボックスシートの自由席車が連結され、運転停車を行う長万部や苫小牧などの駅でも客扱いしていました。
券右下の改札鋏痕(ハサミ)が時代ですねぇ。凹型の鋏痕は当時の北海道総局内の「は行」で始まる名前の駅で使われていたそうです。
函館発車前 多客期には最大6両程度まで増結されました
つづいては碓氷峠経由夢の国?行き「ファンタジー舞浜」。
もちろん舞浜行ですが、夢のない私は途中の大宮で降りてしまいました(汗
車両は横軽対応急行形169系の3連で、こちらは「ムーンライト」のようなリクライニングシート改造車ではなくフツーのボックスシート車でした。こんな堅苦しいボックスシートで「ファンタジー」はないやろ…と思ったものでしたが、のちに特急形183系による大糸線穂高発着・中央線・武蔵野線・舞浜経由東京行の「ルンルン舞浜」に変更され、列車名は「ルンルン」があまりにもアレだったのかほどなく「ファンタジー舞浜」に戻りました。列車名って大事ですね…
次は通年運転の新宿-黒磯間快速「フェアーウェイ」。
その名のとおり、沿線のゴルフ場利用者をメインターゲットにした列車です。
上の「ムーンライト」と共通運用の165系リクライニング改造車で、朝〜夕に「フェアーウェイ」として往復したのち「ムーンライト」運転日はそのまま新潟・村上へ…という多忙な編成でした。
黒磯止まりなのは言うまでもなく直流電化の北端だったからで、のちに485系への置き換えにより郡山や磐越西線方面へも延長運転されるようになりました。
私が乗った日は満席でしたがゴルフ客らしき人は見当たらず、私を含めて新幹線がわりに便利使いされているような印象で、重たいゴルフ道具を持って列車に乗り込むよりクルマで行く方がはるかに便利やよなぁ…と、ゴルフをやらない私でも思ったものです。
これは今も走っていますね。「リゾートしらかみ」
このきっぷでは大変な目に遭いました。雪のために列車が遅れに遅れ津軽鉄道のストーブ列車も乗り逃し…という曰く付きです。(こちらに当時の状況を掲載しています)
今の「リゾートしらかみ」は橅・青池・くまげらの3編成が運行していますが、この時は青池1編成のみで、指定席券を買う際に何も言わなかったのに2号車ボックス席が充てられました。券面の「リゾートしらかみ(B)」のBはボックス席の意味だそうです。
一人旅なのに4人掛けボックス席はちょっと…と思って乗り込んだらガラガラに空いていて、結局最後までボックス席は私一人の貸切状態でした。
元・大垣夜行の「ムーンライトながら」。
この当時は静岡区の373系電車による通年運転で、この8年後の2009年3月改正から多客期臨となります。
きっぷの区間が大垣→熱海となっていますが別に熱海で降りてしまったわけではなく、東京行は熱海から先が、大垣行は小田原から先がそれぞれ一部自由席となっていて、東京・大垣フル区間が満席の場合でも途中から自由席となる号車では席が取れる場合があったのです。
私は発売初日の10時に、当時まだ電話予約サービスだった5489にかけたもののなかなか繋がらず、やっと通じた時にはすでにフル区間分は完売で、かろうじて大垣→熱海でゲットしたものです。
しかしながら熱海で6号車にドッと乗り込んでくるわけもなく、川崎で下車するまで割と平穏な車中でした。
次なる「ムーンライト」シリーズは京都・下関間を走っていた「山陽」です。
この「ムーンライト山陽」には「ムーンライト高知」「ムーンライト松山」が併結されていて、それぞれハザ4両+ロザ3両+ロザ・ハザ3両の計10両という夜汽車に相応しい大編成でした(岡山までは)。
山陽編成は「シュプール号」仕様の14系座席車で、簡易リクライニングからフリーストップのハイグレードなシートに交換するなどのアコモ改造が施された専用車両でした。指定席券は宮島口まで取っていますが、実際は広島で下車しています。
「ムーンライト」三兄弟についてもはこちらでちょっと触れていますが、20年前の文章を読み返してみると何とも言えぬ青臭さが感じられて、まったく汗顔の至りです。
西日本管内の「ムーンライト」にはこれらのほか、大阪と出雲市を伯備線経由で結ぶ「ムーンライト八重垣」というのがあり、14系シュプール車4両に2段式B寝台車スハネフ15が1両連結されていました。寝台車付きの「ムーンライト」はこれが唯一だったと思われます。
で、最後は「ムーンライトえちご」。また最初に戻ってしまいました。
この時はまだかろうじて通年運転ですが翌年2009年3月改正から臨時スジとなり、さらに5年後の2014年、完全に運転を終了します。車両は新潟所の485系電車で、半室だけですがグリーン車もありました。
今回ご紹介したのは大半が夜行列車ですが、夜行がなくなった現在も指定席車を連結する普通(快速)列車は各地で走っており、「単なる指定席券」を見る機会はまだまだありそうです。