福知山鉄道館ポッポランド

以前福知山鉄道館フクレルの訪問記をアップした際、前身である「福知山鉄道館ポッポランド」については後日あらためて紹介予定とアナウンスしていたのに見事に忘却の彼方へと飛んでしまっていたため、1年以上越しではありますがようやっとここでご覧いただきます。ぜひ「福知山鉄道館フクレル」とあわせてご覧ください。
(2015年5月5日撮影)

ポッポランドは福知山駅の北東、由良川に近い新町商店街の中にありました。もとは1933(昭和8)年竣工の三ツ丸百貨店の建物で、後年は京都銀行などテナントが入れ替わりながら、1998(平成10)年に新町商店街や鉄道OBの皆さんの尽力でポッポランドとしてオープン。
鉄道のまち・福知山の目玉施設として人気を集めましたが建物の老朽化などを理由に2018年3月末に閉館、そこから5年以上の歳月を経て2023年8月、後継施設として誕生したのが今の福知山鉄道館フクレルです。

狭いアーケードが続く新町商店街

内装は旧・北丹鉄道(福知山-河守間)の拠点駅だった福知山西駅を再現したものです。実際の福知山西駅はここから西へ約0.8キロほど行ったところで、跡地は公園となりモニュメントや機関車のレプリカが置かれています。北丹鉄道の来歴については「福知山鉄道館フクレル」に詳述しています。

福知山西駅から線路は大きくカーブして由良川沿いに出ていました。建設費を安く上げたためか由良川の河川敷を通る区間も多く、増水のたびに不通となり線路は荒廃し、晩年はレールが浮いたり広がったりして脱線事故が多発していたようです。→北丹鉄道の列車走行写真(同志社大学鉄道同好会OB会(DRFCクローバー会))
下の写真の時刻表は1966(昭和41)年4月改正ダイヤで1日5往復。単行気動車による純然たるピストン運転でした。

C5793の第3動輪と福知山西駅の駅名標は「フクレル」にも移設されていますが、その他の北丹鉄道関係資料が「フクレル」には少ないのが残念です。

こちらは1940(昭和15)年4月のダイヤグラム。福知山-河守間7往復という北丹鉄道最盛期?のものですが、福知山西駅への出入庫を含めやはり全てピストン運転でした。

途中列車交換なしのピストン運転の割には、ダイヤグラム上では4つの閉そく区間に分かれていたように描かれています。ただ、閉そく区間の境界駅が判然とせず、福知山●福知山西は間違いないとしても福知山西◼️上天津▲公庄(楕円)河守は果たしてほんまかいな?という感じです。公庄-河守間の通票は楕円というよりカマボコ型に見えますな。
昭和40年代の最晩年はさすがに全線1閉そくだったようですが、いくら昔のことはいえそもそもここまで閉そくを分ける必要があったのかが全くの謎です。

北丹鉄道・バス路線図・・・なかなか壮観です。
終着の河守駅から先、由良川沿いに上り、現在の舞鶴市に入ったところの宇谷(うだに)という集落まで同社のバスが運行されていました。
図の右上には宮津、由良など日本海側の地名が、宮津直結という小鉄道の見果てぬ夢の先に浮かんでいるように見えます。

さて、国鉄・JRのコーナーには2台の通票(タブレット)閉そく器が置かれています。そんなに古いものではないので、舞鶴線、宮津線、小浜線あたりで使われていたものと思われます。

2台が結線されており、鉄息子を促して電鈴をチンチンボンボン鳴らさせました。こういうのを英才教育というのでしょうか。

【動画】本人はわけわからんまま鳴らしていたのでしょうが

これらの閉そく器もフクレルに移設されていますが、残念ながら自由にチンチンボンボンできなくなってしまいました。

上部引手の切り欠きが四角なので第2種タブレットを収めていた閉そく器です

その横にはタブレットの玉が大量に陳列されています。すべて第2種のよんかく玉が24個。
1閉そく区間の2台の閉そく器に収められている玉は計24個なので、それを全部並べたのでしょう。

こうして見るとなかなか幻想的です

地上駅時代の福知山駅。これはフクレルにも移設され、高架の新福知山駅とのコラボジオラマとなっています。

愛称板など。◯に「福」は福知山鉄道管理局、◯なしの「福」は常備区である福知山客貨車区のサインですね。
では、右上の急行(座席指定)の「天」は何でしょう。天橋立?(笑

大量のきっぷコレクションですが福知山とは無関係なものも多数…

さて、新町商店街アーケードを出たところのすぐ横にポッポランド2号館があります。こちらは現在も変わらず、フクレル別館として盛業中です。

ここで静態保存されているC5856は1939(昭和14)年川崎車両製で、新製配置の下関を皮切りに新見→浜田→鳥取→福知山と渡り歩き、主に山陰本線とその支線区を中心に働いてきた機関車です。

ポッポランドに移設される前は北丹鉄道福知山西駅跡のSL公園で長らく展示されていたのですが、驚くべきは1971(昭和46)年2月28日の北丹鉄道廃止日、最終列車が出た後にこのC5856が福知山駅から北丹の線路を通って福知山西駅まで搬送され、そのまま静態保存に付されたというのです。
廃止路線を利用して甲種輸送?というのも珍しいんですが、短距離とはいえ北丹鉄道の貧弱な線路を重量級の機関車が走行したというのもにわかに信じ難いハナシです。