岩手開発の流線形

1989年2月、大阪から北海道行の往路、鶴見線、日光線、両毛線、小海線、磐越西線などを経て、一ノ関から快速「むろね」に乗って盛駅に降り立ちました。いったいいつ北海道に着くねん(再)

現在の岩手開発鉄道は石灰石輸送の貨物専業となっていますが、1992年3月までは日頃市線(盛-岩手石橋間)で旅客営業も行っていたため、三陸鉄道とともに初乗りを果たそうと少し寄り道をしたものです。

当時はもちろんBRTなどというものはなく、盛はJR大船渡線、三陸鉄道南リアス線、そして岩手開発鉄道の3つの鉄路が集まるターミナルでした。
JR・三鉄の盛駅を出てぐるっと回って岩手開発鉄道の盛駅に着くと小さなホームに小さな待合所があり、日に3本しかない終点・岩手石橋行を待つこととします。

岩手石橋まで9.5キロ120円は、当時のJR幹線運賃180円をも下回る安さでした。
そもそも貨物輸送で利益を上げているので、副業のような旅客輸送は低額に抑えられるのでしょう。

出札所で岩手石橋までの乗車券を求めると、車内補充券と共通様式のきっぷが手渡されます。
なんともシンプルすぎる券面で、「通用発売当日限り」とありますが日付すら入っていません。

ホームに出て列車を待ちます。
駅構内には、岩手開発鉄道の主役である長編成の石灰石列車が身を横たえています。
線路は盛からさらにセメント工場のある赤崎まで伸びていて、盛は中間駅です。
貨物は長編成ですが旅客列車は単行気動車という対照の妙が面白く、食パンのような完全切妻型の車両・キハ202が運用されていることは事前に雑誌などで知っていました。

乗車券同様、なんともシンプルすぎる顔立ちのキハ202
鉄道チャンネルHPから

ところがホームに入線しようとしているのは食パンキハ202ではなく、大昔の国鉄にいたキハ07(42000)形のような流線形の大型車両。
しょくぱんまんが出てくると思っていたら急にジャムおじさんが現れたようなインパクトでした(←意味不明

流線型の精悍な面構えなのに、前照灯下のビョーンと突き出たタイフォンがなかなかお茶目です。
が、キハ202しか頭になかった私は、目の前に停まったこの車両に本当に乗っていいものかどうか戸惑いを覚えました。
帰宅してから調べると、この車両は夕張鉄道から購入した機械式気動車キハ301で、キハ202の入場時や故障時だけ走る予備車とのこと。

一応サボも入っているので営業列車なんでしょう

細かい話ですが、JR線の盛行列車のサボは盛岡行と混同されないよう「さかり」とひらがな表記だったので、漢字で「盛」と書かれたサボはなかなか新鮮でした。
同じく盛岡とは無関係な三陸鉄道の方向幕も「盛」と漢字表記ですね。

キハ202がロングシートなのに対しこちらは転換クロス、しかもバス窓(きょうびバス窓のバスなど走っていませんが)
MT車と同じく運転士氏がクラッチとシフトレバーを操作して走行します。機械式気動車に乗るのは南部縦貫鉄道のレールバス以来です。

私のほか3人ほどの客を乗せて、ガクンガクンと走り出しました。

岩手開発鉄道は貨物列車が頻発するため、レールは50キロぐらいの太くてしっかりしたものが使われていて、キハ301はシフトチェンジのショックはあるものの乗り心地はまずまずです。

日頃市線には長安寺、日頃市と2つの交換可能駅があり、長安寺で貨物列車と交換しました。全線自動閉そくですが、2駅とも場内信号機が2灯式のため下位に通過信号機が設置されています。

終着の岩手石橋は石灰石の積み出し駅で、列車は駅の下を一旦通り過ぎてからスイッチバックで駅構内に入って行きます。着発線に入ると運転士氏が反対側の運転席に移動し、逆向きに進んでホームへと入線します。

岩手石橋

たった2分の折り返し時間で、駅のたたずまいも見ることができずに盛へ戻ります。
帰路もどちらかの中間駅で貨物列車と交換しました。

盛に到着後、次に乗る三陸鉄道盛駅に向かって歩いていると踏切が鳴り、車庫に引き返すキハ301の姿を見ることができました。次は約3時間後の日頃市行まで列車はありません。

ふだんは走らない予備車のキハ301に乗れたのは幸運でしたが、あの素っ気なくも憎みようのないしょくぱんまんにも乗りたかったなぁと思いつつ、再訪は叶うことなく旅客営業は廃止され、のちに2両とも解体されたと聞きました。