水軒
古い鉄道写真を整理していたら、廃止となった南海和歌山港線の末端区間の写真が出てきました。
現在の和歌山港線は南海フェリー連絡駅の和歌山港が終点ですが、2002年5月まではもうひと駅先の水軒まで伸びていました。
和歌山港-水軒間の列車は日にわずか2往復。南海各駅に掲げられた運賃表の水軒駅のところには、時刻は係員に尋ねられたしという趣旨の断り書きがありました。
私も、ラーメン屋か何かの屋号みたい駅名やなぁと思いながらもなかなか行く機会を見出せず、なんとなく乗り残していたまま放置していました。
和歌山市駅で発車を待つ水軒行列車。撮影年月日不詳ですが、車両が南海最後の吊り掛け車1521系なので、1993〜95年ごろと思われます。
見えにくいですが両運車の2連で、2両ともパンタを上げる豪華?な編成です。
和歌山港線は純粋な南海の路線ではなく、途中にあった久保町駅(廃止)の県社分界点を境に和歌山港方は和歌山県が臨港鉄道として敷設・管理する区間となっていて、南海はその上を第二種鉄道事業者として運行しています。
県が水軒駅の西側にあった貯木場の木材輸送を当てこんで和歌山港駅から延長開業したものの、線路に沿って整備された県道のトラック輸送に県営鉄道が戦わずして敗れるというアホみたいな構図となり、この1日2往復の列車は県の失政をカムフラージュするため南海に泣きついて走らせていたものと言われています。南海にとってはええ迷惑
水軒駅には1面1線のプラットホームのほか、2本の貨物用側線があります。
3本の線路を跨ぐ堂々たる架線柱、そして駅の横には木材が積み上げられているのが見えますが、これら木材の1本たりとも鉄道で運ばれることはありませんでした。
駅へのアプローチは、上の写真手前に伸びる未舗装の道だけ。もちろん駅舎はなく、写真右端に見えるミニマルな掘立小屋ぽいトイレがあるのみです。
駅の東側にはそれなりに人家があり和歌浦や雑賀崎などへの観光需要も見込めるので、本気で旅客輸送に取り組んでいたらそこそこ利用されたのではないかと思うのですが、このあたりは古くから和歌山バスが1時間に2〜3本の頻度で走っている地域でもあるので、新参者の鉄道は相手にされなかったのかも知れません。
小学生の団体が長蛇の列をなしています。
この時の乗車記録が全く残っていないので記憶定かではありませんが、この先の橋を渡ったところに小学校があるので、遠足か校外学習からの帰校途中と思われます。夕刻に1本しかない列車をうまく利用するものです。
しかしながら普段は空気輸送に徹していたらしく、折り返し列車は数人(しかも鉄っぽい人々)を乗せて寂しく水軒駅を出発していきました。
先ほども書いたとおり和歌山港-水軒間は2002年5月に廃止となります。
廃止の理由は乗客が少ないからではなく、区間内唯一の踏切が道路拡幅の邪魔になるからというものでした。消極的に路線を維持してきた県と、いやいやながら列車を走らせてきた南海の双方にとって積極的な廃止理由が欲しかった中、まさしく渡りに船だったのでしょう。
ここからは廃止後の和歌山港-水軒間です。
和歌山港駅は1面2線で、東側の1番線がそのまま水軒駅に向かい、反対側の2番線はこの駅で行き止まりとなっていました。
今も県社分界点から和歌山港駅までは和歌山県の線路で、南海が線路使用料を支払っています。
和歌山港駅2番線に停車する特急サザン(2016年8月)
和歌山港駅上空からのGoogleMapの空中写真では、現在行き止まりとなっている高架線路の先に線路跡の築堤が続いているのが見えます。
並行する県道から一部分線路跡が見えるところがありますが、道路拡幅などによりわからなくなってしまったところも少なからずあるようです。
下は埼玉大学が運営されている今昔マップon the webから引用したもので、水軒駅現役時代の1984年ごろと現在の対照地図です。
両方の地図の「西浜」と書かれた上にある東西方向の道路が線路と直交する地点が問題の踏切です。
次は現在の水軒駅跡のストリートビューです。またストビューか
現在の跡地周辺は水軒公園として整備され、駅構内にあたる部分は駐車場となっています。
右側のトラックが停まっているあたりが駅ホームのあった位置と思われます。
この写真からは木材の姿が見えませんが、もちろん現在も木材の集積地としての機能は存続しており、和歌山木材港団地として盛業中とのことです。