音威子府駅と天北線
1989年3月渡道時の音威子府駅です。
コンパクトカメラ撮影しかも絹目プリントなので、画質についてはご容赦願います(汗
この年は暖冬で、雪も少なめでした。
JR移行後でしたが、駅名標はまだ国鉄時代のものが使われていました。
駅舎入口に掲げられた一枚板の駅名標は、駅舎改築後の現在はどうなっているのでしょうか。
1番線の短いホームに宗谷線経由稚内行が停車しています。私は名寄からこの列車に乗ってきました。
深名線や札沼線と同じく、キハ56を両運転台化したキハ53が急行型塗色のまま普通列車として就役していました。
子どもの頃から長編成列車のイメージがあった急行色車両が単行で走っている姿にはすごい違和感がありましたが、考えてみれば地元に近い有田鉄道にも両運車の元・富士急行キハ58003がおり、1度だけ乗ったことがありました。
さて、私は独特の食感の名物駅そばを食べたのち、これから天北線経由の稚内行に乗り込むところです。
こちらはまだ車齢10年程度だったキハ40で、支線の方に本線筋より新しい車両が運用されていたことにも違和感がありました。まぁ乗客側としては新しい方がいいという声もありますが。
まったく図らずも、車体に宗谷線の稚内行が映り込んでいました。
音威子府から5駅目の敏音知で上り急行「天北」と交換。
この時の写真をよんかくサイト天北線ページに掲載しています。
中頓別で10分程度停車するので途中下車してみました。
天北線には「頓別」と付く駅や仮乗降場が小頓別、上頓別、中頓別、下頓別、浜頓別と、さながら頓別祭りの様相を呈しています。
このうち小頓別、中頓別、浜頓別は「天北」停車駅でもありました。
この時期に訪れたのはオホーツク海の流氷見物という目的もあり、天北線の車窓から見える流氷を期待していたのですが、暖冬のせいで波しぶきを上げる海には氷ひとかけら浮いていません(泣
けれども、車窓を見る眼に力を込めながら最後の天北線を心ゆくまで味わうことができたので、大いに満足しました。
この約2か月後、1989年4月末限りで天北線は廃止となりました。