琵琶湖疏水船
(2023年6月8日撮影)
琵琶湖の水を京都へ通すため、3代京都府知事・北垣国道と若き技師・田邉朔郎が中心となり大津と京都の間に立ちはだかる長等山や逢坂山をトンネルで掘り抜いて建造された琵琶湖疏水。
難工事の末1890(明治23)年に完成したのちは水運や水力発電に利用され、今も京都市の水道水源としての役割を担っています。
京都の大学に通っていたよんかくにとって琵琶湖疏水はとても身近な存在でした。
鉄的には4か所ある疏水トンネルと蹴上(けあげ)のインクラインが超萌えスポットで、船で疏水を巡るツアーみたいなのがあったらなぁ…と思い続けていたところ、2018年に疏水船が運行を開始するや乗りたい思いが日増しに募り、それが爆発寸前まで来た先日やっと乗船のチャンスに恵まれました。
おけいはん淀屋橋から三条そして地下鉄に乗り換えて、乗船場のある蹴上へ向かいます。
鉄分が薄いネタなので何とか電車の写真を貼りたくて 汗
かつて三条から蹴上は京阪京津線のテリトリーでしたが、併用軌道が多かったのと輸送力に難があったこともあって、三条-御陵間が京都市交東西線に乗り入れる形となって廃止されました。
三条通りの併用軌道を2両編成の電車がクルマにイケズされながらのろのろ走っていたのを鮮明に覚えています。
下車徒歩5分程度で蹴上浄水場の横にある乗船場に到着。
疏水の京都口である蹴上は市街地よりかなり高いところにあるため、水運をしていた当時はケーブルカーのような傾斜鉄道(インクライン)の台車に舟を載せて、市街地-疏水間を昇降させていました。
今はレールなどが残るだけのインクラインですが遊歩道として開放されており、かつては私もよく歩いたものです。
今日は時間の都合でインクラインは泣く泣く割愛…
乗船場手前のインクライン最上部。ここから市街地に向けて線路が下って行きます
受付ののち疏水の歴史などを説明するビデオを鑑賞します。口だけ動く北垣国道の肖像がいろいろ説明してくれ、なかなか勉強になります。
その後案内された船着場のすぐ大津方には第三トンネルがぽっかり口を開けていて、いやが上にも疏水気分爆上がりです。
疏水船の乗船時間は、これから乗る京都→大津の上り便が35分、逆の下り便が55分。
流れに逆らって遡上する上り便は、低速では自船が起こした波に巻き込まれて操舵困難となるそうだ(←なんでここだけダ調?
なので、流れに乗ってゆったりとした船旅を楽しむなら下り便、スピード感あふれる疏水スプラッシュを体験したいなら上り便、という乗り分けが魅力とのことです。要は両方乗ってくださいという営業戦略
一番先頭席が割り当てられ、いよいよ出航。離岸するやいきなりエンジンを唸らせトップスピードでトンネルに突入します。
開通当初からある3本のトンネルの入口・出口には装飾が施され、明治時代の名士の揮毫による扁額が掲げられています。第三トンネル出口は三条実美の「美哉山河」。
さながら高速艇のように水面を滑っていきます(収音がうまくいかなかったので無音です)
トンネルを出たところに日本最古の混凝土(コンクリート)橋である日ノ岡11号橋があり、ここで船が速度を落とすや否や、自船による大波が前方に向かって追い抜いていきます。
文系のよんかくには波動力学とかサッパリなのですが、まぁそういうことなのでしょう(←粗雑なコメント
ほどなく第二トンネルを通過し、天智天皇陵がある御陵から山科あたりにかけては両岸に並木のある開水路をそこそこのスピードで進んでいきます。
春季は桜、秋季は紅葉が楽しめるため、トップシーズンの疏水船のチケット取りは至難の業となるようです。
実はこのあたりはJR琵琶湖線(東海道本線)と非常に近接していて、山科駅から徒歩わずか数分で疏水沿いの遊歩道に出ることができます。疏水沿いを散歩する人、ランニングする人など、生活に密着した疏水の一面が見えてきます。
山科駅の少し東方で諸羽トンネルに入ります。
かつては開水路で通じていた区間ですが、疏水が湖西線建設工事に支障するとのことで、1970年に当時の国鉄が補償として掘ったバイパストンネルです。
なので、出入口は装飾も扁額も何もない一般的な鉄道トンネル仕様で、断面積的には列車が走れる大きさだそうです(写真を撮り損ねたので興味のある方はこちら(琵琶湖疏水船公式HP)をご覧ください)。
阪神淡路大震災を機に設けられた緊急遮断ゲートをくぐり眼前に山々が迫ってくると、第一トンネルに入っていきます。2436メートルの長大トンネルですが、直線なので京都方坑口から朧げながら大津方の光が見えます。
当時としては国内初の竪坑方式のトンネルで、2本の竪坑のうち1本のトンネル内坑口からは地下水が滝のように降り注ぎ、先頭の乗客は間違いなく水をかぶります(もちろんちょっと濡れる程度ですが)。
ここを過ぎると今度は北垣国道揮毫の扁額「寶祚無窮」が、なぜかトンネルの壁面に埋め込まれているのが見えます。
スプラッシュ→壁面扁額→大津下船場
扁額通過後はトンネル壁面にアッと驚く?仕掛けが現れ、ほどなく坑口となります。
大津の下船場にて上陸後は第一トンネル入口の直近まで案内してくれます。
扁額は伊藤博文の「気象萬千」で、揮毫に「千」と入っているのがなかなかのツボではありました(←若い人にはわかるまい
ほぼ見えませんが扁額の上には「SAKURO TANABE」の名も掘り込まれてあります
水位調整のための閘門を見学し、同乗ガイドさんの熱弁に感謝の拍手を贈って解散。
雨には降られなかったものの天気は悪く、トンネル内疾走中は肌寒ささえ感じられましたが、長年抱いてきた疏水クルーズの夢が叶えられたので満足満足です。
大津着船場のすぐ隣は三井寺(園城寺)で、高台にある西国三十三所14番札所の観音堂で御朱印をいただいた後は琵琶湖を望むはず…だったのが、ビルが立ち並んでいてほとんど見えません。
京都府民・大阪府民に対する滋賀県民の脅し?文句として「琵琶湖の水止めたろか」というのがあると巷間言われますが、実際に琵琶湖の水を止めると滋賀県の湖岸一帯が水没するそうです。
<<琵琶湖水ユーザとして滋賀県様には感謝しておりますです 汗
京阪石山坂本線の三井寺駅へと向かいます。
他にも行きたいところがあったのですが、昼下がりから大雨になるとの予報だったので、そそくさと大津を後にするしかありませんでした。
びわ湖浜大津駅は1面2線ながら京津線と石山坂本線の2路線をうまく捌きます
びわ湖浜大津駅で京津線に乗り換え、上栄町駅までの併用軌道をそろそろと進んでいきます。
時々鳴らす「ボーン」という警笛音は寺院の半鐘の音をイメージしたもので、三条方が地上線時代の80系車両から使われてきたものです。
併用軌道、急勾配(最急61‰)、地下鉄と目まぐるしい路線です。
三条からは来た道を単純に戻るだけです。
ただ単純な中にせめてもの変化をつけて@プレミアムカー