時刻表1961年10月号 東北線・常磐線編
時刻表1961年10月号シリーズもいよいよ大詰めを迎えます。
この時刻表は京阪神版の小型時刻表なので、京阪神から離れれば離れるほど割かれるページ数が減少し、そのぶん駅の省略が増えて記載が簡略化されています。
ところで、東北線・常磐線編を書くにあたってこの時刻表をよくよく見ると、ミスプリや抜け落ちが疑われる箇所が多々見つかり、単にスペースの都合や記載の簡略化という以上に、当時の製版・印刷技術レベルもさることながら編集自体が雑になっているような印象を受けました。
そんな中、時刻表置き場様という素晴らしいサイトを発見しましたので、今回は同サイトの力をお借りしながら情報を補正しつつ書き進めたいと思います。
ではまず東北本線をご覧ください。
優等列車が停車する駅しか記載されていないので、準急や急行はほぼ各駅停車です(汗
尻内は現・八戸、浅虫は現・浅虫温泉で、記載のない駅の改称も多数ありますがここでは割愛します。
長距離列車のみの掲載なので上野-黒磯間の近・中距離電車は省略されていますが、日光線乗り入れの電車列車がこの後のページで登場します。
黒磯から先は仙台まで交流電化という時代で、黒磯をまたぐ客車列車や貨物列車は地上切替のため交直電気機関車を付け替える作業が行われていました。
交直両用電車401系は常磐線で先行運用されていましたが東北本線には未導入で、この時刻表でも電車の長距離列車は見当たりません。
特急はキハ80系による「はつかり」が上野から常磐線経由で青森まで、そして秋田行「つばさ」と不定期の仙台行「ひばり」が設定されています。
この「ひばり」はスジだけ引かれたものの、キハ80系のトラブル多発により運用が逼迫していたこと、現場が慎重になっていたこと等の理由で実際は不定期ですら運転されず、翌年4月にやっと運転開始という多難なスタートでした。その後電車化され東北新幹線開業まで走り続けたのはご存知のとおりです。
昼行急行は福島で分割併結する仙台・秋田行「みやぎの・鳥海」と仙台・山形行「松島・蔵王」、郡山で分割併結する仙台・会津若松行「吾妻・ばんだい」、常磐線経由の盛岡行「陸中」と青森行「みちのく」。列車名が抜けている上野920発急行33列車は「青葉」で、一見仙台止まりのようですが、仙台で右横の「みちのく」に一部車両が併結され青森まで行っていたようです。
夜行急行は青森行「八甲田」、新庄行「出羽」と、常磐線経由の青森行「北上」「十和田」「北斗」「いわて」「おいらせ」。「出羽」は上野行の掲載はありますが、上野2330発の新庄行が無視されています。
Wikipediaによると、東北本線は通勤時間帯に混雑することや奥羽本線等への乗り入れ列車があることから、上野と仙台以北を直通する夜行列車は常磐線経由が主力だったとのことです。他に奥羽本線回りの青森行「津軽」と秋田行「男鹿」。
準急は郡山-青森間の気動車列車「やまびこ」、郡山で分割併結する福島・喜多方行「しのぶ・ひばら」、新潟から磐越西線経由で仙台に至る「あがの」、上野発仙台行夜行の「あぶくま」など。「あぶくま」は会津若松行の夜行「ひばら3」を併結していたそうです。
普通列車はかなり省略されている(上り青森発は112列車と114列車の2本のみ)ものと思われます。夜行普通列車は、夜行となる区間が全く異なる上野発青森行が2往復。
当時の東北本線岩切-品井沼間は利府経由の旧線と塩釜経由の新線の2ルートがあり、優等列車はじめ大部分の列車は山越えを伴う旧線経由から勾配の緩い新線経由に移行しましたが、塩釜駅が「‖」となっている一部列車は旧線を経由していました。この時刻表翌年の1962年7月に旧線は岩切-利府間を残して廃止され現在に至っています。
続いて常磐線、日光線、磐越西線です。
ますますスペースが小さくなり、駅がえげつなく省略され、列車名もすべて省略されています。1ページに3路線もよく押し込んだなと驚嘆します。
常磐線の優等列車は、東北本線直通列車を除けば上野-平(現・いわき)間の準急「ときわ」が大半を占めます。面白いのは水戸601発準急2905列車「いわき」及び205列車「そうま」で、「いわき」は平から磐越東線に入って「そうま」ともども仙台へ向かっています。上り206列車も平での併結があるはずですが省かれています。
このほか上野・青森間の普通列車は、東北本線ページでは全く無視状態です。
日光線は1959年に電化され、上野方面から多数の電車列車が乗り入れています。157系電車による準急「日光」、二大観光地を結ぶ伊東-日光間準急「湘南日光」など、東武鉄道との熾烈なシェア争いの中、国鉄日光線が最も輝きを放っていた時期でした。
新宿715発準急501列車は期間限定運転の「中禅寺」で、今では埼京線や湘南新宿ラインの一部と化した山手貨物線経由の旅客列車は、当時としては稀有な存在だったそうです。
磐越西線は、東北本線の項で出てきた上野からの準急「ひばら」、仙台-新潟間準急「あがの」と急行「ばんだい」。仙台発着列車以外はすべて客車列車のようです。
日出谷駅は現在1面1線の無人駅ですが、この当時は蒸気機関車の中継基地として給水塔やターンテーブルを備え、ダイヤ上でも折り返し列車の設定がある拠点駅でした。
1985年5月号の時刻表では日出谷駅に駅弁販売駅のマークと、欄外には「日出谷-鳥めし弁当500円」の記載があり、私は最初、普通列車しか停まらないこんな小駅でなぜ駅弁が…?と思っていたのですが、以上の経緯を知って深く得心したものでした。
この鳥めし弁当は1990年代に駅売り終了となりますが、「SLばんえつ物語」運転に際して一時期復活したのち、現在は調製元廃業のため過去の駅弁となりました。
次は東北本線と常磐線近隣各線のダイヤを。
成田線は、常磐線我孫子駅で接続するはずの「我孫子支線」の掲載がありません。
太字の列車は新宿あるいは総武本線両国からの準急「総武」で、佐倉で佐原行と銚子行に分割されます。佐倉と佐原の区別がつきにくい私
「成田エクスプレス」などが行き交う現在とは世界が異なる感があります。
仙山線の太字は、キハ55による奥羽・米坂・羽越経由新潟行準急「あさひ」と奥羽・陸羽西・羽越経由酒田行準急「月山」の併結列車です。
当時の仙山線の電化状況は仙台(交流)作並(直流)羽前千歳・山形で、「あさひ・月山」を除く全てが電気機関車牽引列車でした。のち1968年のヨンサントオ改正直前に直流区間も交流化され、気動車準急から格上げの電車急行「仙山」が登場します。
1985年3月の自動閉そく化・CTC化までは、仙山トンネル内の面白山信号場を含む奥新川-山寺間が連動閉そく式、その他の区間が通票閉そく式でした。
成田線が出たところで、房総方面の時刻表で今回の締めにしたいと思います。
房総東線は現・外房線、房総西線は現・内房線で、両線まとめて環状線のように掲載されており、実際に循環列車が数本設定されています。このダイヤでは普通列車はほとんど循環運転のように見えますが、本当にそうだったのかは疑わしく思っています。
ちなみに、1970〜80年代あたりは安房鴨川駅で完全に系統分離されていましたが、のちに両線をまたぐ列車が復活し、現在は木更津-上総一ノ宮間で半島をほぼ2/3周?する列車が走っています。
今でこそ横須賀・総武快速線や京葉線からの直通列車が外房内房両線に乗り入れていますが、この時点では千葉駅が東京方の電車区間と以南の汽車区間の接続駅という位置付けでした。また、総武鉄道ターミナルを起源とする両国駅では日に数本の優等列車が発着しているものの、房総方面への玄関口としての拠点性を失いつつある時期でもありました。
房総東・西線の優等列車は準急「房総」で、上下段ともに両国716発と1338発の列車が記載されていますが、これらは千葉で2分割され、それぞれ反対回りで房総東・西線を一周し千葉で再び併結して両国に戻るというトリッキーな循環運転をしていました。この時刻表以前は、安房鴨川行「房総(外房)」と館山行「房総(内房)」のカッコ付き列車で、循環運転ではありませんでした。
なお、当時は外房・内房をそれぞれ「がいぼう・ないぼう」と読んでいたそうです。
一方、安房鴨川725発(房総東線経由)両国950着の準急「京葉」は、下の総武本線ダイヤに目を転じると同じ両国950着の準急「京葉」に千葉で併結していることがわかります。これは安房鴨川1340発の列車についても同様です。
「京葉」は安房鴨川発の一方向のみの設定のように見えますがそんなことはなく、両国発の「京葉」もあったのですが、時刻掲載漏れでしょう。
で、ここから次第に総武本線ネタに入っていくわけですが、銚子行準急として「総武」「京葉」の2系統が運行されていました。
両国703発と1322発の「総武」は成田線の項でも記したように佐倉で佐原行を分割します。また、両国957発と1634発の「京葉」は千葉で安房鴨川行を分割する代わりに佐原行を併結せず、佐倉を通過しています。
ややこしいので列車系統を今一度おさらいしてみますと、
「房総」…房総東・西線の循環準急
「京葉」…安房鴨川・銚子行準急(非循環)
「総武」…銚子・佐原行準急
さすが気動車王国の名をほしいままにしていた千鉄局管内らしく、気動車の特性を活かした巧みな運用が随所に見られます。
なお、当時の房総方面ダイヤについてはRail・Artブログ様と鉄道ピクトリアルNo.579(1993年8月号)「特集・房総の鉄道」を参考にさせていただきました。
次回は奥羽線、羽越線、北海道編でシリーズ完結とする予定です。