鉄ピクのニッチな特集たち

ここをご覧の皆様には釈迦に説法ではありますが、数ある鉄道趣味雑誌にはそれぞれカラーというか特色があります。
主なところでは、ビジュアルの「ファン」、お堅い「ピクトリアル」、社会派の「ジャーナル」、撮り鉄御用達の「ダイヤ情報」、トワイライトゾーンの「RM」…(多少偏見あり)

ほかにもいろいろあっていろいろ読んだりしているわけですが、よんかくが最も読んでるというか最も多く所蔵しているのは「お堅い」ピクトリアルで、何よりお堅いモノが苦手な私としてはかなり意外な結果に驚いている始末です。
確かに資料的価値は数多ある趣味誌の中では随一だと思いますし、学術研究の域に踏み込むような専門的記事も多いことから、とにかく「お堅い」というイメージがピクトリアルに対する一般的な評価ではないでしょうか。

そんな「お堅い」(何べんも言うな)ピクトリアルは特集記事として、特定の車両形式や特定の路線を取り上げることが多いのですが、その中にあってちょっと毛色が違うというかピクトリアルらしくない、いやひょっとしたらピクトリアルだからこそ?の特集号も散見されたりします。

今回は、私のココロの琴線に触れたというかジャケ買いを誘発されてしまったピクトリアルのニッチな特集号を、表紙だけですがお目にかけようと思います。

まずはこれ。

車両研究が最も幅を利かせる鉄道趣味界にあって、信号や閉そく関連はどうしても日陰の存在に甘んじがちなところがありました。ピク誌においても、あくまでトピックのひとつとして信号関係を扱うことはあっても、特集まで組むのは極めて異例のことと思われます。

No.655は非自動閉そくの現場の写真や信号システムの初歩的解説、各種信号機の説明、ひいては「全国鉄道閉そく方式一覧」など、閉そく趣味者にとっては待望とも言い得る一冊でした。
右のNo.675はATSやATCなど運行システムの方に軸足を置き、「踏切図鑑」など踏切関連の記事も充実しています。
それにしても(活用編)って何に活用したら良いのでせうか(笑

その続編的存在がこちら。

この2冊とも、信号方式や閉そく方式の詳細な記事が満載という、もう表紙が全てを物語っているような内容です。以上4冊は、通票よんかくサイトの記事更新の際にも大いに参考にさせていただきました。

左のNo.754は、当時タブレット閉そくだった八戸線、只見線、久留里線のカラーグラフに始まり、信号・標識・表示の諸相や「かぶりつき入門」などの記事が掲載されています。表紙の写真(八戸線侍浜)がいいですねぇ。
また、No.937はこれはもう非自動祭りの様相を呈していて、タブレットや連査などの非自動閉そく方式の解説や衣浦臨海鉄道の運転席同乗記など、何度も繰り返し味読したい内容です。
これらは、ただでさえ風前の灯だった非自動閉そく方式がほぼ壊滅的な状況に追い込まれてきたからこその特集とも言えるでしょう。
ちなみに、もっと非自動な風景をご覧になりたい方はこちら(PR)

続いて、信号・閉そく関連以外の特集を。

サボ、幕、ヘッドマークの特集もピク誌としては珍しいのではと思います。
とくに右のNo.839など、行先板・種別板特集で増大号て一体何をすんねん的な力の入れようです。

左のNo.731は下段の写真にご注目を。80系電車による上野-軽井沢間準急「軽井沢」のサボは、横川-軽井沢間がバスと書かれています。
1962年7月、信越本線高崎-横川間電化とともに登場した列車ですが、当時アプト式だった横軽間に80系が入れなかったためバス連絡としたもので、1年後の粘着新線開通とともに晴れて軽井沢入線が実現したそうです。
また、乗降扉の窓が縦長になって右側に寄せるように配置されているのは、おそらく通票通過授受時にタブレットキャリアが窓ガラスに当たるのを回避する目的だったのでしょう。

お次は列車内の供食設備関係です。

左のNo.761は「カシオペア」の煌びやかなダイニングカーが表紙を飾っているのに対し、右のNo.794はくたびれかけたビュフェ車サハシ451。
No.761は食堂車の型式写真や車内の様子、列車編成表からメニュー表コレクションといった誌面構成です。この刊行当時はトワイライトエクスプレス「ダイナープレヤデス」、北斗星「グランシャリオ」などが一般人がかろうじて手の届く食堂車として営業していましたが、現在は一部のクルーズトレインを除いて絶滅種となってしまいました。

一方のビュフェは、簡単な椅子に腰掛けて又は立ったままササっとお茶を飲んだり軽食をつまむ感じのカウンター式食堂です。主に急行列車に連結され、うどん・そば、にぎり寿司などの営業もあったようです。
No.794もビュフェ連結列車の編成表や型式写真などの基礎資料のほかビュフェ体験記や「ビュフェかビュッフェか」なる些末な用語分析まであったりして、なかなか楽しませてくれます。

さてさて、食べるものを食べた後は出るものが出るのでありまして
(お食事中の方には申し訳ございません)

トイレ特集というだけでもたいがいなのにしかも2回も…やるなぁピクトリアル、と思いましたね。
これはもう鉄道趣味の枠を超え、排泄行動という生命の神秘にまで切り込む深遠なテーマと言えるかも知れません。

どちらの号にもトイレ付き車両の型式写真やトイレそのものの型式写真?がふんだんに取り上げられ、鉄道文化に占めるトイレ役割論やトイレ技術の変遷、国鉄車両のトイレの扉に注目した記事のほか、社会問題ともなった黄害(詳しくは検索してみてください)関連記事など、鉄道趣味の奥行きの広さを改めて思い知らされる内容となっています。
1958年に運行を開始した電車特急「こだま」も当初は垂れ流し式で、タンク式の登場は1964年の東海道新幹線開業まで待たなければならなかったことなど、さまざまなウンチクに触れることもできます。

最近は「トイレ」「お手洗」などと呼称しますが、かつての鉄道車両や施設では「便所」という呼び方が一般的でした。扉には便所と書いてあり、トイレ使用表示灯は「便所使用知らせ灯」でしたし、駅のトイレもたいていは「便所」でした。
日本人はいつの間に「便所」というコトバを使わなくなったのでしょうか・・・

人間の生理現象シリーズ?? 次は「睡眠」。

寝台車も食堂車とともに風前の灯で、一般の指定券と同様に寝台券を購入できるのは「サンライズ瀬戸・出雲」だけとなりました。
私が小・中学生だった1970年代後半から80年代前半あたりに「ブルートレインブーム」が訪れ、「さくら」「富士」などの東京・九州間ブルトレで個室A寝台をリザーブして夕食は食堂車のシチュードビーフ…というのが当時の最高の憧れの的だったのです。

左のNo.811はイネ・ロネ特集で、寝台車がごくごく一部の層の人だけのものだった時代から、ブルトレの元祖である20系客車の登場、そして等級制が廃止されモノクラスとなり、かろうじて一般庶民の手に届くようになったロネの系譜が綴られています。
私自身A寝台の乗車経験はほんの数回しかないので、死ぬまでに一度は「サンライズ」のシングルDXあたりに乗れればなぁと夢見ています。

右はつい先月刊行されたばかりのNo.1003・ハネ特集。
B寝台なら多くを語れるぐらい乗っています(笑)ので、現在、懐かしさとともに味読しているところです。
それまでイネ・ロネしかなかったところに10系ハネが登場したのが1955年、そこから寝台車の大衆化が一気に進み、車両が足りないぐらいの繁栄ぶりを示した時代の空気が、読み進めるほどに感じ取れます。
「蚕棚」と揶揄された開放式B寝台に、窮屈ながらも身を委ねることができたのは、実はとても幸せなことだったのかも知れません。

 

長くなってきたのでそろそろ締めを。

鉄ピクのニッチな特集の中でも、私が最も心を奪われてしまったベストワンが、通票でもトイレでもなく実はこれなんです。

もう表紙写真だけで遜色急行の十分すぎる説明となっています。
要は明らかに格下の車両を使った優等列車のことで、「乗り得列車」の対極ですね。
私も221系やキハ47が急行として走っているのを何度か目撃しています(もちろん乗ったことはありません)が、過去にはもっとすごいのがあり、写真下に記載のある「房総の遜色急行」ではオールキハ17の7連の海水浴列車といった凄まじい事例が挙げられています。

時々思い出したように過去のピクトリアルを引っ張り出してパラパラめくっていると、失われてしまったものがいかに多いかを痛感させられます。
現代ほど快適ではなく、むしろ不便で苦痛なことが多かった昔の汽車旅が無性に懐かしく思えるのは、私がトシを食ったせいでしょうか・・・