ひのとり&京都市電

(2025年10月24〜25日撮影)

あるきっかけがあって名古屋方面へ行くことになりました。

大阪府南部民のよんかくが名古屋へ行くには、急ぐ旅でなければ新幹線より近鉄が便利です。また近鉄ネタか
かつては「アーバンライナー」で名古屋出張というのが時々あったんですが職場が変わってそれもなくなり、名古屋は新幹線やクルマで通過することはあっても、目的地として行くことが久しくありませんでした。
そんな折、非鉄一般人の妻が「ひのとり」に乗ってみたいわぁなどと口走ったため、流石に検討せざるを得なくなったのです。私も内心は嬉しかったんですけど。 ←この流れはよんかく夫婦のデジャヴ

ただ「ひのとり」往復乗車だけではもったいないので、名古屋まち歩きと博物館明治村訪問を組み合わせた1泊旅行を計画。明治村では、動態保存されている元・京都市電と蒸気機関車牽引列車の乗車体験ができるのですが、あいにく蒸機の方は長期運休中とのことで、京都市電にじっくり乗ってみたいと思います。

実はよんかくも初乗りの「ひのとり」。
どうせ乗るならプレミアム車両の最前列かぶりつきで、ということで奮発しました。通常の特急料金プラス特別車両料金900円なのでJRのグリーン車ほどの大奮発ではないんですが・・・

「ひのとり」に乗れるのが嬉しくて購入した「ひのとり弁当」を開きます。私自身相当な嬉しがりのミーハーであることに今更ながら気づきました。
辛味ソースのかかったチキンカツにさらにチリソースをかけて食えという、まさにヒーハー火の鶏弁当ですが、実際にはそんなに辛くありません。ただ、名阪を意識した手羽先の煮物はいいとしても、たこ焼き風?の団子は工夫の余地ありですな。

大和八木駅を出たあたりで運転指令の無線がひっきりなしに入るようになり、運転士氏が時々受話器を上げて通話しています。内容はよく聞こえませんが「榛原」の名が何回も出てきて、事故でもあったのかなと思っていたら次第に減速し、本来なら通過の榛原駅に停車。何の説明もなく1分ほどで発車し、何事もなかったかのように通常運転に復しました。

そうこうするうち名阪特急のハイライト・中川短絡線を走行します。
大阪線と名古屋線がV字型に接続する伊勢中川駅の北側に、両線を結ぶ短絡線がデルタ線のように敷設されていて、名阪特急はこの短絡線を経由します。
中川短絡線は伊勢中川駅構内扱いのため、分岐の大阪方手前には伊勢中川駅の名古屋方場内信号機と中川方第1場内信号機が、名古屋線への合流ポイント手前に出発信号機が設置されています。

【動画】中川短絡線(名古屋方場内信号機が進行)

現在の名阪特急は全列車が津駅に停車して乗務員交代していますが、かつての名阪ノンストップ時代は大阪線担当乗務員と名古屋線担当乗務員が中川短絡線走行中に運転を交代する離れ業が行われていました。

その津駅にまもなく到着。

ハングルには「ツ」という発音に相当する文字がないので「ッス」という文字で代用するそうです

津駅では乗務員交代の引き継ぎの声が聞こえてきて、榛原駅の停車はどうやら誤乗の外国人客を降ろすためだったとのこと。超高頻度運転の東海道新幹線などではあり得ないことですが、近鉄の名阪特急では(必ずではなく状況により)停車可能な駅で臨時停車して乗務員用扉から誤乗客を降ろす措置が時折行われているようです。
よんかくも発車直前に飛び乗ったり飛び降りたり回送列車に乗り込もうとするインバウンド諸氏をしばしば見かけるので、現場の方々のご苦労や如何にと案じられます。←日本人の誤乗は論外

近鉄名古屋駅に到着。榛原騒動のおかげ?で所定より3分ほど余計に乗れたものの、それでも2時間8分のひのとり旅はあっという間もなく終わりました。

栄のホテルに入るまで若干の時間があるのですが、名古屋城は行ったことがあるので何となく大須観音に立ち寄ってみました。
続く大須商店街にはアジア系のエスニックな料理店や物販店が軒を連ねていて、古き良き商店街の雰囲気を味わおうと思っていたよんかくはちょっと意表を突かれました。

夜の栄。

歩き回った後は手羽先やら串カツやらドテやらでしこたま呑んでバタンキュー。

前置きが長くなりましたが、翌朝は明治村へ名鉄電車でGO!
明治村へは名鉄電車1日券+バス券+入村券がセットになった「時間旅行きっぷ」が便利です。

名鉄名古屋駅から犬山駅まで快速特急で28分、さらに岐阜バス明治村行に乗り換えて約20分。快速特急は一般車でも転換クロスシートなのでちょっとした旅気分が味わえます。

博物館明治村に到着。
重要文化財を含む明治・大正年代の建造物が広い園内に60棟以上並んでいます。これだけの建物を全国からどうやって移築してきたのか・・・もちろん一度解体したものを運んできて当地で組み立て直しているのでしょうが、それに要する時間や作業量を想像するだけで気が遠くなりそうです。

ぶらぶら見学するうちに軌道が現れ、電車がやってきました。
京都市電なのに市電名古屋電停-品川燈台電停間を結び、ここは途中駅の京都七條電停です。

日本初の旅客用電車・狭軌1型(N電)の第弐號車。この車両は1911〜12(明治43〜44)年ごろ梅鉢鐡工所(のちの帝國車輛工業→東急車輛製造)で落成したものだそうです。

車内は重厚さの中にも趣が感じられ、ここまでよく整備されていることに感心しきり。

運転席はドアも窓もない吹きっさらしで、運転士氏はマスコンと手回し式のブレーキの2つのハンドルを巧みに操りながら走行します。

園内はけっこう起伏が激しく、平坦な碁盤の目の京都市街を走っていたこの車両もここでは老体に鞭打ちながらカーブや勾配の多い過酷な線路を走らされています。
運転士氏のマスコンさばきもさることながら、手ブレーキをコーヒーミルみたいにぐるぐる回すのがなんとなくユーモラスです。時計回りが制動、反時計回りが緩めのようです。

【動画】カーブと勾配をゆくN電を巧みに操る運転士氏

終点折り返しの際は進行方向転換のためトロリーポール回しが行われます。細い架線に一発でホイールを嵌め込むのはまさに職人技で、着線とともに車内灯が点灯します。

【動画】ポール回し

市電名古屋停留所の先にもう1両留め置かれているのは同形式の第壹號車で、2両が代わりばんこに運用されているようです。もう一方の品川燈台停留所の先にも車庫があり、そちらは第弐號車の寝ぐらと思われます。

明治村京都市電の線路は途中に分岐がない「完全単線」で、1本の線路の上を1両が往復する運行形態です。ピストン運転の遊戯用鉄道なので普通鉄道のような閉そくは行われていませんが、それでも1両には手歯止めをかけて2両同時に線路上に出ないようにしてあるので、一応の安全は確保されています。

もうひとつの乗車体験・蒸気機関車ののりばは市電名古屋電停から少し上がったところにありますが、長期運休中なので列車の姿はありませんでした。

ここで運用されている12号蒸気機関車は鉄道黎明期の1874(明治7)年イギリスから輸入されたものだそうで、N電よりはるかに古い車両でもありぜひとも乗ってみたかったのですが、また次のお楽しみ。

さて、乗車体験以外にも鉄な物件がいくつかありました。
車輪や台車がゴロゴロ置いてあるうしろの建物は鉄道寮新橋工場。日本初の鉄道が開業した明治5(1872)年建築の車両工場です。現役時代の12号機関車もここで整備を受けていたのでしょう。

こちらは少し時代が下って明治22年建築の鉄道局新橋工場。門扉がいかにも車庫という感じです。

さて、名鉄グループの明治村らしく名古屋鉄道関連の物件ももちろん存在します。
1912(大正元)年、現在の名鉄犬山線開業に際して建てられた煉瓦造りの名鉄岩倉変電所。今は多目的ホールとして、明治村ウェディングの披露宴会場にも使われるそうです。電力は変えても結婚後の心変わりは無きことを願うや切

その左後方は東京の帝国ホテル正門・・・よくこんなもの持って来れたなぁと、またまた感心しきりです。

こちらは名鉄尾西線の前身・尾西鉄道開業時の明治29(1896)年に製造された1号蒸気機関車。動輪2軸のミニ機関車で、上の12号機関車も晩年は尾西鉄道にいたらしいので一緒にここへ連れて来られたんですね。

・・・などなど、とても1日では回りきれない博物館明治村を後にして、名古屋から「ひのとり」レギュラー車で帰途へ。

新型の特急電車と最古の電車の取り合わせがなかなかの妙味だった名古屋&明治村行きでした。