めし駅弁 その2
前回の最後に、「めし駅弁」の東日本編がちょっと時間を要するかもと言い置いて店仕舞いしてしまったわけですが、灯台下暗しといいますか再度物入れの中を探索してみるとあっという間に「めしのタネ集」が見つかりました。
てなわけで、東日本編出発進行です。
【釜めし】
横川駅「峠の釜めし」(荻野屋)
いきなりメジャーどころを持ってきました。「元祖」の謳い文句どおり、釜型の容器を用いた駅弁のパイオニアです。
碓氷峠ありし頃は売り上げ1日何万個とか餃子の王将みたいに言われていましたが、横川駅での売り上げが僅少となった今はサービスエリアや周辺の新幹線駅、東京方面の直営店などが主な販路です。峠のない東京で「峠の釜めし」ってのもねぇ・・・
益子焼の釜型容器は包み紙にもあるようにご飯が炊けるので、よんかくも持ち帰って何回か炊いています。また「空釜は車内または駅備え付けの屑物入れに・・・」とJRにとって迷惑千万なことが書かれていますが、実際は持ち帰る人が多いでしょうし、最近は店舗やリサイクルボックスでの回収にも力を入れられているようです。
青森駅「帆立釜めし」(伯養軒青森支店)
これもなんとなく有名であろう帆立釜めし。こちらは陶製ではなく釜型のプラ容器に入っていました。
調製元の伯養軒はもともと仙台駅弁の会社だったのですが、東北一円の主要駅駅弁にも進出。のち「ウェルネス伯養軒」に改組し、現在は青森駅から郡山駅に至るまで、あたかも東北楽天ゴールデンイーグルス球団歌の♪竜飛崎から磐梯山…を地で行くような営業展開をされています。
さて内容はというと、この包み紙の裏に鉛筆で「ほたて3コ」と書いてあるので、そういうことだったようです。←食レポ雑すぎ
盛岡駅「南部の釜めし」(むつ弁)
盛岡駅では伯養軒盛岡支店と村井松月堂、そしてこの「むつ弁」が駅弁を販売していました。現在はウェルネス伯養軒盛岡支店と、斎藤松月堂(一ノ関駅)など他駅の業者が入っているようです。
「四季折々の山の幸にて…」とあるように、椎茸や蕗やたけのこ、鶏肉などの煮しめが乗っていたような記憶があります。
蛇足ですが、むつ弁の所在地・電話番号の下に書かれている「テレックス」とは、メールもポケベルもFAXもなかった時代、通信用タイプライター(テレタイプ端末)同士を電話回線でつないで文字情報のやり取りを行う通信方式でした。これ以降もテレックス番号が記載されている包み紙がちらほら出てきますが、受注内容などを文字で残しておく必要性から駅弁業界でもよく使われていたのではないかと思います。
釧路駅「貝の釜めし」(釧祥館)
釧祥館と引田屋商店の2社が魚介系の駅弁を販売する釧路駅。「貝の釜めし」は味の付いた帆立貝、ホッキ貝、アサリが上面に乗る貝づくし弁当で、現在も釧路の名物駅弁として君臨しています。
私が購入したのは釜型のプラ容器入りでしたが、以前は陶製容器だったそうです。
【とりめし】
ところ変われば呼び名も変わるで、東日本はさすがに「かしわめし」ではなく「とり(鶏)めし」です。
高崎駅「鶏めし御弁当」(高崎弁当)
「鶏」の字が達筆すぎて読めませんが、絵柄から見て「鶏めし」以外の何物でもありません。高崎駅で明治年間から営業しているたかべんの、「だるま弁当」と並ぶ定番商品です。
中身は醤油味のご飯の上に海苔を敷き、その上に鶏肉の照り焼きとそぼろが乗っているというもので、前回出てきた西都城駅の「かしわめし」に近いイメージ。それもそのはず、同社サイトによるとこの鶏めし弁当は「九州出身の先代主人が考案」したものだそうです。
おかずとして添えられた上州名産の赤こんにゃくがアクセントとなっています。
宇都宮駅「とりめし」(松廼家)
「日本で初めて駅弁が販売された駅」として鉄道豆知識にもなっている宇都宮駅。
この「とりめし」は箱ぎっしりの炊き込みご飯の上にそぼろが敷き詰められ、照り焼きと錦糸卵が添えられたボリューム満点の弁当でした。現在は「いっこく野州どり弁当」としてほぼ同じものが販売されているようです。
大館駅「比内地鶏の鶏めし」(花善)
古くから鶏めし弁当で有名な大館駅の花善。同社サイトによると戦後まもない昭和22(1947)年から販売を始めたそうです。普通の「鶏めし」も食べたことがあるのですが、これはそのグレードアップ版というか、比内地鶏を使用し質量共にちょっと豪華になっています。
この弁当は自分で購入したものではなく、入手の経緯はこちらをご覧くださいませ。
山形駅「鶏めし弁当」(森弁当部)
なんか部活みたいな名前の業者ですが、包み紙にもあるように「森旅館」から独立して発足した会社で、現在は「合名会社もりべん」として山形駅弁を一手に引き受けて盛業中です。駅弁界の楽天イーグルス・伯養軒も、もりべんには遠慮があるのか山形駅には進出していないようです。
内容はよく覚えていないのですが、多分炊き込みご飯の上にそぼろが敷き詰めてあって、照り焼きが数切れ乗っていたような・・・まぁ、よくあるタイプの鶏めしだったと思います。
ところで、古くから営業している駅弁調製元には「○○弁当部」「○○軒支店」のような、旅館や料亭などの一部門から独立したと思われる業者名が少なくありませんが、のちに弁当・仕出し専業の会社に改組されたりあるいは廃業したりで、こういった出自のわかるような業者名はほぼなくなりました。今では豊橋駅「壺屋弁当部」(「壺屋旅館」から独立)ぐらいでしょうか。
【牛めし】
東北地方はさまざまなブランド牛の産地としても知られ、もちろん駅弁にも応用されています。
秋田駅「牛めし」(関根屋)
楽天イーグルスのあとはオリックス・バファローズ、ではなく秋田駅・関根屋の「牛めし」。現在も同社の看板商品で、ご飯の上に甘辛く炊いた肉と糸こんにゃくが3:2ぐらいのビミヨな面積比で敷き詰められ、漬物とお口直しの金時豆、あんずが付いています。
JR移行直後だったので「関」の字の上の「国鉄」という文字が消されています
一ノ関駅「前沢牛めしアツアツ」(一関のしょう月堂)
盛岡駅弁にも進出している「一関のしょう月堂」こと斎藤松月堂。
名前のとおり加熱式容器入りの牛めし弁当で、操作方法の「すばやく引き抜いて下さい」という大きな文字が、失敗が一切許されない緊迫感のような空気を醸し出しています。
内容は白ご飯に甘辛く煮込んだ前沢牛with玉ねぎ、糸こんにゃくなどが乗っている、よくある牛丼タイプのがっつり飯。現在は「岩手牛めしアツアツ」と改称して同じ内容・同じ包装デザインのものが販売されています。アツアツというと高石太を連想するよんかく
盛岡駅「南部の牛めし」(むつ弁)
先ほどの「南部の釜めし」に続くむつ弁シリーズ第2弾。偶然にも上の「前沢牛めしアツアツ」と同様の色使いの包み紙で、南部牛追唄があしらわれているところがいかにも牛めしですな。
内容は関根屋の「牛めし」と同様、ご飯の上に甘辛味の肉と糸こんにゃくという手堅い弁当でした。
【その他めし】
気仙沼駅「あわびめし」(博愛舎)
どこかの社会福祉法人のような名前の博愛舎は、もともとは気仙沼駅で牛乳の立ち売りをしていましたが終戦直後に駅弁販売に進出、1990年代まで営業されていたそうです(博愛舎そのものは牛乳販売業を継続中)。弁当の中身は、アワビの出し汁で炊いた赤っぽい色のご飯の上にアワビの薄切りが数枚、というものでした。
今の気仙沼駅では、JR東日本系コンビニ・ニューデイズで販売日時限定の「黄金龍のハモニカ飯」が販売されているとのことです。
盛岡駅「南部 鮭はらこめし」(伯養軒盛岡支店)
これも有名駅弁のひとつでしょう。「はらこ」はイクラの意で、茶飯の上に鮭の切り身が数個とイクラがパラパラと乗っています。
これまで出てきた盛岡駅弁の「南部」はかつての南部藩…今の岩手県北中部、青森県東部と秋田県の一部を含む広域地名です。もちろん「南部」の付かない盛岡駅弁もたくさんあるんですが、めし駅弁に限ればなぜか「南部もの」が多かった気がします。
大曲駅「仙北おばこめし」(暁月堂本店弁当部)
「おばこ」は秋田県、山形県庄内地域あたりで「若い娘」を意味するコトバで、こちらにも出てきます。
さて、めし駅弁のネーミングって通常、使われている食材や特徴(釜めしなど)が入るものですが、この「おばこめし」は秋田米を使ったフツーの幕の内弁当で、「おばこ」にちなむ何か特別なものが使われていたわけではありません。「おばこ弁当」ならこんなところに取り上げられることもなかったやろうに
調製元の暁月堂は1990年代に廃業したそうですが、社屋はこちらのサイトで大曲の近代洋風建築として紹介されていました。本業は和菓子屋さんだったようです。
八戸駅「南部の桶めし」(吉田屋)
吉田屋も明治年間から八戸駅(過去は尻内駅)の駅弁を作っている古い業者で、「八戸小唄寿司」が知られています。「桶めし」はプラスチック製の小さな桶に入っていて、内容はよくある釜めし駅弁のような具材を乗せた炊き込みご飯でした。この「南部の桶めし」は今はなく、近いイメージの「わっぱめし」が数種類販売されています。
東京駅「深川めし」(ジェイアール東海デリシャスフーズ)
今回の大トリは東京駅弁に取っていただきましょう。
現在販売されている「深川めし」は調製元も異なり、ご飯の上にアサリがびっしりという見た目にもインパクトのあるものですが、この当時はアサリの炊き込みご飯の上にアナゴの蒲焼2切れとハゼの甘露煮2匹、あとは若干の漬物という非常に地味な内容でした。最初はドジョウでも入ってるんかなと期待しましたが、「どぜう」は江戸でも別の場所だったんですね。
以上で「めし駅弁」コレクションは予定終了です。
ただ、「めし」の付かない駅弁コレクションはこの数倍はありますので、それらをどうしようかと目下思案中です。
今後も機会があれば(=よもやま話のネタがなくなったら)いろんなテーマを設けてお目にかけていきたいと思いますので、気長にお待ちくださいませ。