鉄道のかんかん

我が家に転がっている缶容器が3つ。中に何らかの商品が詰め込まれて売られていたものです。
どれもずいぶん昔からあるので(「なは」という時点でもう…)そもそもこれらには一体何が入っていたのか思い出せません。

ただ、「なは」だけはうっすらと心当たりがあったので、しかるべきところを探索してみると、内容物が出てきました。
実際に使い続けてボロボロになった「なはフェイスタオル」です。記念に未使用のまま置いとくもんやろ普通

おぼろげな記憶の彼方に霞んでしまった的な「なはタオル」

「なは」は新大阪-西鹿児島(現・鹿児島中央)間を結んでいた寝台特急(ブルートレイン)です。列車名はアメリカ占領下にあった沖縄の日本復帰を願って公募・選定されたもので、鹿児島港での航路乗り継ぎを意図したものでもありました。
手元の時刻表1998年4月号によると新大阪2026発→西鹿児島1024着、西鹿児島1855発→新大阪926着というダイヤで、開放型2段式B寝台を主体に個室B寝台1人用ソロと2人用デュエット、それに普通車指定席のレガートシートを連結した「選べる夜行列車」です。

この頃は全国的に寝台列車が減便・廃止の一途をたどっていた時で、かつてのブルトレブームの牽引車!であった東京-九州間の寝台特急からはついに食堂車が外され、優雅な旅を楽しむ前にメシの心配をしなければならなくなりました。
そして晩年の「なは」は長崎行「あかつき」と京都-鳥栖間併結運転となり、2008年3月ダイヤ改正で廃止となります。

昔の時刻表には寝台特急の専用ページがあったのです(JTB時刻表1998年4月号)

さて、なは缶を仔細に見てみましょう。
形状の制約で絵柄はデフォルメされていますが、もちろんJR西が許諾しているはずなので、鉄的にも十分許容範囲内のデザインではないでしょうか。
台車などの下回りがない分、ツッコまれどころも少なくて済んでいる印象です(笑

モデルとなったEF65の1129号機はいわゆる貨客両用のPF形で、同形式の最終グループとして1978年宮原区に新製配置ののち下関区で旅客列車用として働き、現在はJR貨物の配下にあるようです。

私は「なは」に結局乗らずじまいでなくなってしまいました。長崎へ行くのに「なは・あかつき」併結時代のあかつき編成に乗った、ただそれだけが「なは」との接点でした。
今では最速4時間弱の距離となってしまいましたが、八代以南の天草灘が望める区間(現・肥薩おれんじ鉄道沿線)の車窓を寝ぼけ眼でぼーっと見つめるのも至福のひとときではなかったかと、今更ながら思うのです。何時まで寝てるつもりや

以上、「なは」で今回の話の大半が終わってしまったのであとはチャッチャと行きましょう(←ひど

大阪市交(現・大阪メトロ)20系シリーズの千日前線用25系です。
御堂筋線とかではなく千日前線野田阪神行というのがあまりにもベタ過ぎです(千日前線沿線の方すいません

蛇足ながら、野田阪神という駅名は時々「なぜ阪神野田でないのか」と言われますが、もともとは市電の停留所「野田阪神電車前」(地名の「野田」+位置としての「阪神電車野田駅前」)があって、千日前線開業時にその前半をそのまま駅名として採用したからなんだそうです。

地下鉄というより路面電車チックなサイドビュー

この25系は他線のお古ばかり回されてきた千日前線に初の新車として1991年から投入された車両で、同線初の冷房車でもありました。どんだけ冷遇されてたんや千日前線
この25901は25系のトップ編成25601F(4連)の野田阪神方先頭車ですが、両運転台にされてしまっているのはデザイン上の都合による大人の事情ですな。
国内の高速鉄道営業車としてはかなり登場時期が早い部類のVVVF車で、妻面左上とクハ車体側面には20系独自のVVVFマークとドア横には大阪市交地下鉄伝統のマルコマークがあしらわれています。
ちなみに、中身はクッキーか何かの食品系だったのは覚えているのですが、正確に何だったのかは早々に食ってしまったのでわかりません(汗

最後は神戸電鉄2000系。系列トップの2001編成(3連)の有馬温泉・三田・粟生方先頭車で、Mc車なので屋根上にパンタグラフが描かれています。
これも同じく大人の事情によりむりやり両運転台化されています。

「有馬温泉行準急」というスジは現行ダイヤの有馬線にはありません

なんとこの缶には台車などの下回りがついています。下回り部分はプラ製で、ご丁寧にも車輪が回ります。この下回り機器の配置などが実物に即したものかどうかは神鉄愛好家の方に聞いてみたいものです。
さらに驚くべきは簡易な連結器まで付いていて、複数両買えばつないで遊ぶことができます(←どんな遊び?

この缶も中身が何だったのか思い出せません。たぶん大市交と同じくお菓子の類だったはずなのですが・・・
神戸なのでゴンチャロフのキャンディかチョコレートか何かだったかも知れません。

これらの缶のモデルとなった車両は、幸いにも今なお現役で活躍しています。
そして我が家でも、ちょっとした物入れとして現役で活躍しています。非鉄一般人の妻からは「いったい何が入ってるのん?」と不審がられていますが